死んだら負け?
いや、だからさ、おっさん。自殺する子供を本当に減らしたいのなら「死んだら負け」と言うよりも「いじめたら負け」「人を苦しめたやつは負け」「パワハラする奴は負け」と声を大にして言おうよ。それを言うのが大人だろう。なんで常に被害者に努力を強いて加害者はお咎めなしなん?おかしいやん。 twitter.com/matsu_bouzu/st…
2018-10-17 15:21:50【死んだら負け】…僕が高次脳機能障害盛んなりし頃にマジ死のうかと本気で考えたのは、凄く単純に「死んだほうがらくなぐらい辛いから」だった。死んだら負けとか言われた瞬間、そのぐらい苦しい状態を全否定されたことになるって分かって欲しい。残酷とかの言葉じゃ言い表せない
2018-10-18 07:13:55生は闘い。…何との?
確かに「死んだら負け」の裏には「人生は闘い」という価値観がある。だが、死ぬほど追いつめられてる人間は、ただ苦しみから逃れたい一心で、勝ち負けなんて考えられない。考えない方がいい。「死んだら負け」は容易に「負け続けの生ならば、死んだも同然」という負の感情に転化する気がする。
2018-10-17 23:05:20かりに「生は闘い」だとしても、それは「生を裁こうとする者」や「裁き」(人が決めた「勝ち負け」「良し悪し」etc.)との闘いです。そう語った老哲学者がいた。私は、彼の軽やかな言葉や生き方に惹かれている(病魔に侵され、自殺を選んだ、その最期も含めて)。
2018-10-17 23:07:28『いかなる裁きも前提としない闘いによってこそ人は成長する。…裁くことがこんなにも嫌悪をもよおさせるのは、すべてが等価だからではない。反対に、すべての価値あるものは、裁きに挑戦することによってしか、自らを生みだし際立たせることができないからである(ドゥルーズ『批評と臨床』)
2018-10-17 23:08:13あるいは、私は坂口安吾が友・太宰治の自殺に寄せた文章を思い出す。「死んだら負け」ではない。彼曰く、人は単に「負けたから、死ぬ」。生はそれ自体では「勝ちもなければ、負けもない戦い」であるにもかかわらず。
2018-10-18 00:46:10『かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し…是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。…人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。(坂口安吾『不良少年とキリスト』)
2018-10-18 00:46:10生を戦いとみる彼らの思考の底には、死を外在的なものとみなすスピノザがいる。こうして連投したのは、「死んだら負け」と「負けたから死ぬ」の間にある微妙な、だが決定的な差異に、私自身が戸惑ってしまったからにほかならない。それは「競争」と「闘争(逃走)」の差異に繋がる筈である。
2018-10-18 00:46:10