2018年7月、今も生きる「長州レジーム」
この視点、面白い。>岩上安身『長州出身者が政権を担った期間の合計は、36年超…明治維新以後…一貫して日本の政治の中枢にあったといえる。…国内では権威主義的・専制的にふるまう一方で、対外的には覇権国に従属しているにすぎない「長州レジーム」>ch.nicovideo.jp/iwj/blomaga/ar…
2018-07-29 13:33:09司馬遼太郎が描く「長州」
なお、このページでも「司馬史観」が仮想敵の一つにあげられていますが、司馬遼太郎の長州モノそれ自体が、「長州レジーム」批判の魁であった可能性も考えておきたいところです。膨大な司馬作品を年表に並べてみるだけでも、彼の歴史小説が現代(戦後史)と密接に関係していたことに気付きます。
2018-07-29 13:33:09たとえば人気の高い『竜馬がゆく』('63-66)や『燃えよ剣』('64)。これらは高度経済成長真っ只中(池田内閣の時期)にあって、それぞれ「商売人」や「組織を編成する者」の視点によって、幕末史を見直すものでした。いわば経営者や中間管理職の幕末史です。
2018-07-29 13:33:09『竜馬』における幕末長州は、良かれ悪しかれ「革命的な集団」でした。その長期連載が終了する頃、時代は池田内閣から佐藤内閣へ、つまり長州内閣の時代('65-72)に移っています。司馬は『竜馬』完結の翌年、乃木希典を描いた『殉死』('67)を発表。一言でいえば、長州の負の側面を描いた作品です。
2018-07-29 13:33:10代表作『坂の上の雲』に直結するという意味でも、『殉死』は、司馬遼太郎という作家を理解する上で最も重要な作品だと私は思います。この作品を起点に、『坂の上の雲』('69-72)『世に棲む日日』('71)『花神』('72)と、司馬の長州モノは佐藤(長州)内閣時代に集中して生み出されました。
2018-07-29 14:56:40『世に棲む日日』(松陰・晋作)は長州の狂気じみた思想性を、『花神』(大村益次郎・桂小五郎)はその身も蓋もない合理性を描いた作品でした。この時代の司馬は、「長州」という革命的集団の陰と陽、正負両側面を分析することに注力していたように私には見えます。
2018-07-29 14:56:40'72年、長州人・佐藤栄作首相の退陣と期を一にして、長州をメインに据えた小説は、司馬の作品年譜からすっかり姿を消しました。ここには同年2月のあさま山荘事件で「革命の季節」が終わりを告げたことも影響しているのかも知れません。
2018-07-29 14:56:41この後も司馬は、長編小説『翔ぶが如く』('75-76)、長期連載随想『この国のかたち』('90-96)と、晩年まで作品を発表しつづけます。ただ、これらはいずれも沈鬱な読後感が残る作品です。晩年の司馬には「私達はどこかで失敗してしまった」という感覚、「あとのまつり」感があったように思います。
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