長州レジームと司馬遼太郎

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河樹 彬 @e_rewhon

この視点、面白い。>岩上安身『長州出身者が政権を担った期間の合計は、36年超…明治維新以後…一貫して日本の政治の中枢にあったといえる。…国内では権威主義的・専制的にふるまう一方で、対外的には覇権国に従属しているにすぎない「長州レジーム」>ch.nicovideo.jp/iwj/blomaga/ar…

2018-07-29 13:33:09

司馬遼太郎が描く「長州」

河樹 彬 @e_rewhon

なお、このページでも「司馬史観」が仮想敵の一つにあげられていますが、司馬遼太郎の長州モノそれ自体が、「長州レジーム」批判の魁であった可能性も考えておきたいところです。膨大な司馬作品を年表に並べてみるだけでも、彼の歴史小説が現代(戦後史)と密接に関係していたことに気付きます。

2018-07-29 13:33:09
リンク Wikipedia 司馬遼太郎 司馬 遼󠄁太郎(しば りょうたろう、1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)は、日本の小説家、フィクション作家、評論家。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明 43 users 272
リンク 司馬遼太郎記念館 司馬遼太郎の世界|司馬遼太郎記念館 大阪府東大阪市にある、司馬遼太郎記念館のページです。施設と展示品の概要のほか、友の会・グッズの案内、イベント情報を掲載しております。 51
河樹 彬 @e_rewhon

たとえば人気の高い『竜馬がゆく』('63-66)や『燃えよ剣』('64)。これらは高度経済成長真っ只中(池田内閣の時期)にあって、それぞれ「商売人」や「組織を編成する者」の視点によって、幕末史を見直すものでした。いわば経営者や中間管理職の幕末史です。

2018-07-29 13:33:09
リンク Wikipedia 池田勇人 池田 勇人(いけだ はやと、1899年〈明治32年〉12月3日 - 1965年〈昭和40年〉8月13日)は、日本の政治家、大蔵官僚、全日本居合道連盟創立者と初代会長。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。 大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角を顕し、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深 30 users 218
リンク www.jimin.jp 池田勇人総裁時代 | 歴代総裁 | 党のあゆみ | 自民党について | 自由民主党 自民党の初代総裁から、現総裁までの歴代総裁の任期などの情報とその当時の情勢や功績などを掲載しています。 99
河樹 彬 @e_rewhon

『竜馬』における幕末長州は、良かれ悪しかれ「革命的な集団」でした。その長期連載が終了する頃、時代は池田内閣から佐藤内閣へ、つまり長州内閣の時代('65-72)に移っています。司馬は『竜馬』完結の翌年、乃木希典を描いた『殉死』('67)を発表。一言でいえば、長州の負の側面を描いた作品です。

2018-07-29 13:33:10
リンク Wikipedia 佐藤栄作 佐藤 栄作(さとう えいさく、1901年〈明治34年〉3月27日 - 1975年〈昭和50年〉6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。「政界の団十郎」「早耳の栄作」の別名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。2,798日の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された(連続在任記録及び戦後最長在任記録は大甥の安倍晋三が更新した)。1974年にノーベル平和賞を受賞した。2022年時点で日本人唯一のノーベル平和賞受賞者である。 旧制山口中学校、旧制第五高等学校、東京帝国 32 users 171
リンク www.jimin.jp 佐藤栄作総裁時代 | 歴代総裁 | 党のあゆみ | 自民党について | 自由民主党 自民党の初代総裁から、現総裁までの歴代総裁の任期などの情報とその当時の情勢や功績などを掲載しています。 22
河樹 彬 @e_rewhon

代表作『坂の上の雲』に直結するという意味でも、『殉死』は、司馬遼太郎という作家を理解する上で最も重要な作品だと私は思います。この作品を起点に、『坂の上の雲』('69-72)『世に棲む日日』('71)『花神』('72)と、司馬の長州モノは佐藤(長州)内閣時代に集中して生み出されました。

2018-07-29 14:56:40
河樹 彬 @e_rewhon

『世に棲む日日』(松陰・晋作)は長州の狂気じみた思想性を、『花神』(大村益次郎・桂小五郎)はその身も蓋もない合理性を描いた作品でした。この時代の司馬は、「長州」という革命的集団の陰と陽、正負両側面を分析することに注力していたように私には見えます。

2018-07-29 14:56:40
河樹 彬 @e_rewhon

'72年、長州人・佐藤栄作首相の退陣と期を一にして、長州をメインに据えた小説は、司馬の作品年譜からすっかり姿を消しました。ここには同年2月のあさま山荘事件で「革命の季節」が終わりを告げたことも影響しているのかも知れません。

2018-07-29 14:56:41
リンク Wikipedia あさま山荘事件 あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所(本社・静岡県浜松市)の保養所「浅間山荘」において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件である。 1972年(昭和47年)2月19日、日本の新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻(当時31歳)を人質に浅間山荘に立てこもった。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うも難航し、死者3名(機動隊員2名、民間人1 57 users 390
河樹 彬 @e_rewhon

この後も司馬は、長編小説『翔ぶが如く』('75-76)、長期連載随想『この国のかたち』('90-96)と、晩年まで作品を発表しつづけます。ただ、これらはいずれも沈鬱な読後感が残る作品です。晩年の司馬には「私達はどこかで失敗してしまった」という感覚、「あとのまつり」感があったように思います。

2018-07-29 14:56:41
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