【戦闘機】F104戦闘機と西ドイツの覚悟について【随想】

まとめました、よろしくお願いします。 因みにサムネイルはF104ではありません。
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はじめに。

2022年12月16日に閣議決定された「安保関連3文書」を受けて、防衛についての議論が盛んになってきました。
しかしいまだに「F35戦闘機」や「トマホーク巡航ミサイル」など個別の兵器のみに的を絞った「反対論」や「不要論」が展開されています。

兵器はより大きな「戦略」や「戦術」の一つとして使用されるものであり、兵器単体のみの議論にはあまり意味がないと感じます。
そこで議論の一助として「F104戦闘機」と、それを使用した「西ドイツの戦略」について語ってみました。

防衛について、大きな視点から実のある議論が行われることを願います。


参考資料

【要旨】岸田政権が閣議決定した安保関連3文書
https://www.asahi.com/articles/ASQDJ5146QDHUTFK00Y.html


キム @Kim_Kaphwan11

【雑談】【軍事】 今日は「戦闘機に関する随想」のようなものを披露したいと思います。 少し長くなりますが、お付き合いいただけると幸いです。 かつて「F104スターファイター」という戦闘機がありました。 アメリカが開発したマッハ2級の戦闘機です。jiji.com/jc/v2?id=20100…

2023-01-02 12:22:32
リンク 時事ドットコム 第一級の要撃戦闘機 F104:時事ドットコム 朝鮮戦争でソ連製MIG15の軽快な機動性に手を焼いた米空軍のパイロットたちは、速度と上昇力に優れた制空戦闘機の開発を強く求めた。1954年3月に初飛行したロッキードF104スターファイターは、そうした現場からの要求を具現化した機体で、重さ5.7トンの単発軽量機ながら最高速度はマッハ2を超えた。朝鮮戦争終了後、米空軍は戦闘機にマルチロール能力を強く求めるようになったため、自国で活躍の場はなかったが、敵爆撃機の侵入を阻止するインターセプター(要撃戦闘機)としては一級品で、日本の航空自衛隊にも採用さ
キム @Kim_Kaphwan11

朝鮮戦争で米軍が対峙した「MiG15」戦闘機に影響を受けた、小型・軽量の機体に大出力のエンジンを搭載した戦闘機です。 当時としては画期的な速度と上昇力を備えた機体で、敵爆撃機の高空からの進入を阻止する能力に長けた「要撃戦闘機(インターセプター)」でした。

2023-01-02 12:22:32
キム @Kim_Kaphwan11

その反面、機体が小さすぎて搭載力や航続距離に難がありました。 また機動性が低く操縦も難しいため、使い所が限られる戦闘機になってしまいました。 それでも要撃戦闘機としての能力を評価され、日本をはじめ各国で導入されました。

2023-01-02 12:22:33
キム @Kim_Kaphwan11

F104を最も多く導入した国が「西ドイツ(当時)」でした。 全生産数(約2,500機)の1/3を超える916機を導入しています。 西ドイツがF104に期待した任務は「低空侵攻用の戦闘爆撃機」、とりわけアメリカと核共有していた「核爆弾」を投下する任務でした。ja.wikipedia.org/wiki/F-104_(%E…

2023-01-02 12:22:33
リンク Wikipedia F-104 (戦闘機) F-104 は、ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機。愛称はスターファイター (Starfighter)。 アメリカ初のマッハ2級の超音速戦闘機で、アメリカ空軍の超音速戦闘機群「センチュリーシリーズ」の一員に数えられる。 F-100 スーパーセイバーに始まるセンチュリーシリーズの一員とされ、また、第2世代ジェット戦闘機に分類される、アメリカ合衆国初のマッハ2級のジェット戦闘機。初飛行は1954年2月。 細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを 10 users 55
キム @Kim_Kaphwan11

F104は低空で音速を超える速度が出せ、機体が小さいため発見しずらい機体でした。 しかし低速を超音速で飛行するのは燃料消費が大きいため、攻撃半径は120㎞程度になってしまいます。 つまりF104は「西ドイツ領内で核爆弾を投下する」任務を想定していました。trafficnews.jp/post/83290/2

2023-01-02 12:22:34
リンク 乗りものニュース いまはあり得ない? 冷戦期、西ドイツが考えたF-104「スターファイター」幻の運用計画 | 乗りものニュース 冷戦期には、いまでは考えづらい発想の兵器や戦術などが検討され、作られもしました。当時、西側陣営の最前線である西ドイツに配備されたF-104戦闘機と核爆弾の運用計画も、そのひとつかもしれません。 21 users 380
キム @Kim_Kaphwan11

第2次世界大戦後「分断国家」となってしまった西ドイツは東西冷戦の最前線となり、常にソ連を中心とする「東側」の脅威にさらされていました。 西ドイツにとって東側の脅威に屈することは、即「亡国」を意味しました。

2023-01-02 12:22:34
キム @Kim_Kaphwan11

第2次世界大戦後、西側諸国(NATO)は東側諸国が侵攻してきた場合「通常兵力だけでは西ドイツを守れない」と言われていました。 そのため「核兵器」も加えて防衛する戦略を立てましたが、この戦略では核兵器の応酬となり「百数十万人の死者が出る」ことが予想されました。bookbang.jp/review/article… pic.twitter.com/bbWJDVIklo

2023-01-02 12:22:35
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リンク Book Bang -ブックバン- 核抑止のディレンマに苦悩する西ドイツ――『核の一九六八年体制と西ドイツ』を読む | レビュー | Book Bang -ブックバン- 冷戦終結の少し前にブルッキングス研究所が出版したManaging…
キム @Kim_Kaphwan11

西ドイツ政府は大いなるジレンマに悩みましたが、結局「核兵器で防衛する戦略」を選択します。 「核不拡散条約(NPT)」が発効したため自前で核兵器を持つことは断念しましたが、アメリカとの核共有を受け入れます。 これは「西ドイツの覚悟」を内外に示す効果がありました。

2023-01-02 12:22:35
キム @Kim_Kaphwan11

すなわち、アメリカ対しては『たとえ自国内で「核戦争」になってもあなた方と共に戦います、あなた方だけに「核兵器使用」の責任を負わせません』 他のNATO諸国には『たとえ自国内で核兵器を使用してでも、敵の侵攻を私たちが盾となって食い止めます』というメッセージを発することになります。

2023-01-02 12:22:36
キム @Kim_Kaphwan11

もちろんその後には『だからオレ達を見捨てるな!全力で支援しろ!!』が続きます。 そして東側諸国には『たとえ百万人が犠牲になってもオレ達は屈しない、全力で抵抗してやる』というメッセージなります。 そのぐらい当時の西ドイツは切羽詰まった状況に置かれていました。

2023-01-02 12:22:36
キム @Kim_Kaphwan11

西ドイツに導入されたF104は、916機中292機が失われました。 戦争があったわけでもないのに約1/3が失われたことになります、それぐらい事故の多い機体でした。 これは無理な任務を想定した訓練のためと言われています。 ↓ pic.twitter.com/dbadstmBnG

2023-01-02 12:22:37
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キム @Kim_Kaphwan11

これだけの犠牲を払ってもF104は必要とされされました。 それは「西ドイツにとって核共有は必要不可欠」と考えられたからです。 F104は1980年代初頭に後継機「トーネード」と入れ替わる形でその任務を終えました。 そして今なおドイツで核共有は維持され続けています。 ↓ ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88…

2023-01-02 12:22:38
リンク Wikipedia トーネード IDS トーネード IDS / ECR(Panavia Tornado IDS / ECR)は、イギリス、西ドイツ(開発当時)、イタリアが国際協同開発し、英・独・伊・サウジアラビアで運用されている戦闘攻撃機。マルチロール機でもあるため、主に航空阻止を主任務とし、プロジェクトにおいて合理化のため要撃、近接航空支援、艦艇攻撃、偵察など多数の派生型が開発された。名称の「トーネード (Tornado)」は、竜巻の意。 次世代機を共同開発する計画がヨーロッパ諸国とカナダの間で挙った際に、プロジェクトが本格的に実動する前にカ 5 users 1
キム @Kim_Kaphwan11

なぜ西ドイツはこれだけの犠牲を払ってでも「核兵器で防衛する戦略」を維持したのか? それはやはり「民主主義国」としてソ連や東ドイツに屈するわけにはいかなかったのでしょうね。 もっと正確に言えば「ソ連や東ドイツは国民の人権を守ってくれない」と確信していたからでしょう。

2023-01-02 12:22:38
キム @Kim_Kaphwan11

東西冷戦の最前線にいた西ドイツには、当然ソ連や東ドイツの内情は届いていました。 そして「ベルリンの壁」を間近で見ています。 民主主義を掲げる以上、これだけ大勢の国民が必死で脱出していく国に自国民をまかせるわけにはいきません。german-interpretation.com/blog/berlinerm…

2023-01-02 12:22:39
リンク German in Tokyo 命懸けでベルリンの壁を越え、西ベルリンに自由を求めた人々 — German in Tokyo 西ベルリンに到達することを決意した東ドイツ人の創意工夫を駆り立てました。 ドイツ人看護師のイーダ・ジークマン (Ida Siekmann) は何日も前から潜伏していていました。 9 日前、作業員は真夜中まで彼女の国との国境を封鎖していました。 その3日前、彼女のアパートの正面玄関は警察によって封鎖されていました。 1961 年 8 月、西ベルリンにおいて、彼女は何の犯罪を犯していませんでしたが、ジークマンは誤った時期に、誤った場所にいました。彼女のアパートは東ベルリンにあり、エントランス前の歩道を含めて西 1 user
キム @Kim_Kaphwan11

事実、イスラム主義組織「タリバン」が制圧したアフガニスタンでは、「女性の権利」や「言論の自由」などが大きく後退しました。 それまでのアフガニスタンが民主主義国と言えたかどうかは微妙ですが、建前でも「民主主義国」でなくなると国民の人権は大きく後退します。nikkei.com/article/DGXZQO…

2023-01-02 12:22:39