蘆名盛氏は初名「盛治」を名乗ったのか?
- miurano_suke
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2022年最後の考察は蘆名盛氏の実名について。 有名?な話だが、一般的に盛氏は初名「盛治」を名乗ったとされている(『会津若松史』など)。
2022-12-31 18:26:39これはお馴染み「塔寺八幡宮長帳」の天文6年(1537)条にある「此年松山の御せいはいに盛治の直ニ御判形うたせられ候」と「此年伊達より盛治ノ上さま御こゑ候」の2つの記述が根拠となっているのだが、これを以て本当に初名「盛治」を名乗ったと言えるのだろうか。
2022-12-31 18:27:25さて、蘆名家歴代で最も有名と言っていいだろう盛氏だが、いつ元服したのかは明確ではない。差し当たり天文2年(1533)、数え13歳で父盛舜と並んで売券に判形を加えている(『福島県の古代・中世文書』108-6)が、横線を一本引くだけの略押であった。
2022-12-31 18:30:02つまり正式な花押をまだ持っていなかったと考えられる。このことからすると、当時はまだ実名も持っていなかったのではないだろうか。
2022-12-31 18:33:44では実名「盛氏」の初出はいつかというと自分の知る限りでは天文6年12月、田村三郎宛ての起請文(『福島県の古代・中世文書』69-24)である。この時盛氏は17歳。
2022-12-31 18:34:15先述の略押を記した時点から4年が経過しており、ここまでの間のある期間、「盛治」と名乗っていたと考えられそうな気もするが、ここで冒頭の記述を思い出してほしい。
2022-12-31 18:35:21そもそも「盛治」の名が見えるのも天文6年の記述なのだ。しかも「塔寺八幡宮長帳」の記述は一年の終わりにその年の出来事を書き置いたというもの。
2022-12-31 18:35:46つまりもし仮に初名「盛治」だったなら、天文6年12月以前に「盛氏」と改名したことになり「塔寺八幡宮長帳」の記載者がそれを知らなかったと考えざるを得なくなる。しかし塔寺と黒川の距離的な近さからも、蘆名家との関係の近さからも、改名の事実をひと月経っても知らなかったというのは考えにくい。
2022-12-31 18:36:44また、「盛治」という記述も「塔寺八幡宮長帳」のこの条以外に一つも見当たらないし、改名の理由も機会も字の由来も思い当たらない。
2022-12-31 18:37:05では「盛治」表記はなぜ生まれたのか。これは完全に推測になるが、当時よくあった「音写」「当て字」で、即ち「盛氏(もりうじ)」→「もりぅじ」→「もり(ぅ)じ=盛治」ということだったのではないだろうか。
2022-12-31 18:38:24