国電型ダイヤの発祥と、中心街とバス会社の衰退について

民営化直前に国電型ダイヤがスタートしてたのは知ってたけど、その役目をバスが担っていたのは知りませんでした。
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梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

先ほどRTした「旅に出たくなるバス路線図」さん( http://t.co/jDOn6dZr )の内容が充実していることに驚くとともに、自治体運行バスって考えているよりずっと多いと思う。それゆえに、自治体の境界が交通の分界になっていて、自治体の外に出ることができないものもみられる。

2011-10-21 09:48:16
梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

あとは思ったより障壁になっているのは都道府県境もちろん、地形的に急峻で人が住んでいないゆえにバスがなかったりもするけれども、山梨から路線バスのみで他県に出るのが道志村経由、もしくは山中湖経由というのが中々興味ぶかい。

2011-10-21 09:54:50
@Tomominori_T

@Azusayumi_ 昭和末期までは都市・地域間流動を国鉄が、都市・地域内流動を街道沿いに走るバスが担っていて、県境をまたぐような流動で比較的人流のあるエリアはバスで、無いエリアは鉄道でという形ができていて、さらに言えば国鉄駅は集落から外れるのでバスが集落をケアしていたのですね

2011-10-21 09:58:16
@Tomominori_T

@Azusayumi_ ところが、国鉄がいわゆる国電型ダイヤを全国の都市圏・地域圏で導入し連担する都市を結ぶ区間の利便性を高めたことによって、街道で都市・地域間の中小規模を結んでいたバスが衰退し、結果として県境や市境など地域界にあたる路線が衰退してしまったという見方もできます。

2011-10-21 10:00:52
@Tomominori_T

@Azusayumi_ 元々流動が少ない・山間部区間は別として、「国道●●線」とか「特急バス」などが昭和60年代までは普通に全国にあったわけですしね。そしてオンボロ客車で数だけ連なる鉄道よりずっと便利だったのですから。

2011-10-21 10:03:54
せき のりかず @kotonoha_s

@Tomominori_T @Azusayumi_ そうですね、昔は国道筋には大抵バス路線があり、近隣都市間を高頻度で結んでましたね。長野~上田間なんかも10~20分ヘッドで、別に急行便もある時代もありましたよね。

2011-10-21 10:09:08
梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

@kotonoha_s @Tomominori_T 僕が生まれたときには国鉄はなく、物心つくころには国電型ダイヤが各地に普及していましたから、実感としてはないのですが、いろいろ調べてみるとそのようですね。長野~上田10分おき!それは乗ってみたいです!

2011-10-21 10:15:33
梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

昔の仙石線のダイヤをこの間見たら、東塩釜行きですら全然走ってなかった。そりゃ宮城交通と仙台市営が共同でR45に10分おきにバスを走らせるわけだよね。

2011-10-21 10:17:44
せき のりかず @kotonoha_s

@Azusayumi_ 昭和50年代に広島で試験実施したのが、地方都市圏高頻度化の始まりです。6~8両編成で時間2本程度だったのを、4両編成で15分等間隔に改めたら大好評で、北部九州や名古屋、静岡、長野等に波及しました。

2011-10-21 10:25:15
梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

@kotonoha_s ありがとうございます。このそもそもの高頻度ダイヤは、国鉄・私鉄のどちらが先なのでしょう。それも気になります。

2011-10-21 10:28:37
@Tomominori_T

@Azusayumi_ @kotonoha_s 私鉄が先ですね。ですからたとえば、静鉄と国鉄に競合関係は強くは存在し得なかったんです。まぁ清水-静岡という点間はありますが、本数が多くて便利な静鉄、遠距離向けの国鉄という遠近分離(都市内都市間分離)ができていたということですね

2011-10-21 10:31:44
せき のりかず @kotonoha_s

@Azusayumi_ 続けてスミマセン。昭和50年代だと首都圏の電車区間以外は大抵のところで毎時1~2本の運行でした。貨物列車が今より多く、しかも最高速度75キロの一般貨物列車もあることから、旅客列車設定が難しかったという側面もあります。

2011-10-21 10:32:05
梓弓 つばさ(年度末にアカウント削除) @Azusayumi_

@Tomominori_T @kotonoha_s ありがとうございます。そうですよね、国鉄は遠距離輸送が目的ですもんね。恥ずかしい質問をしてしまいました(情けない…)。

2011-10-21 10:33:40
@Tomominori_T

@Azusayumi_ @kotonoha_s 私は日本のモータリゼーションの急速な進展のターニングポイントはここにあったと思ってます。都市間交通に都市内を担わせた際に二次交通整備ができなかったのが全てだろうと。ここで手を打っておけば全然違ったのでしょうね

2011-10-21 10:34:07
せき のりかず @kotonoha_s

@Azusayumi_ 私鉄は、大抵の路線は開業時から高頻度運行ですね。貨物列車や長距離列車という制約もなく(貨物列車のある私鉄もあったが低頻度)、長距離列車主体の国鉄とは全く違う存在でした。

2011-10-21 10:37:03
@Tomominori_T

@Azusayumi_ @kotonoha_s 長野は判りやすいと思います。国鉄が旧街道スジと離れていないですし、市街地の郊外展開が鈍いですから。近年でも今井駅開業で国道篠ノ井線が減便とか判りやすい現象も現れてますし。

2011-10-21 10:37:29
@Tomominori_T

@kotonoha_s @Azusayumi_ いわゆる「電車」と「列車・汽車」ですよね。分割民営化直前の昭和60年頃でもまだまだ長距離を走る普通列車が多数存在し、途中駅での長時間停車なども珍しくは無かったのですからね。途中駅での1時間停車とか。

2011-10-21 10:41:16
せき のりかず @kotonoha_s

@Azusayumi_ @Tomominori_T 今とは状況が全く異なりますからね(笑)。広島の試行も、新幹線開業や貨物の衰退で列車設定の自由度が高まったから出来たもので、他都市圏も同様ですね。しかし静岡の2両編成10分等間隔化は、衝撃的でした@当時

2011-10-21 10:41:31
@Tomominori_T

@kotonoha_s @Azusayumi_ 「広島シティ電車」「するがシャトル」などなどですね。昭和60年頃は一部の路線で定期列車の合間に「α列車」というのがあり、「利用者の動向をみて定期化するための実験的増発列車」というのがあったんですね。今で言う社会実験のハシリですね

2011-10-21 10:46:14
せき のりかず @kotonoha_s

@Tomominori_T @Azusayumi_ 小荷物輸送(今で言う宅配便程度の大きさを対象とした荷物)を旅客列車でやってたりしましたから、その積み卸しや他列車との積み替え等もありましたからね~@長時間停車

2011-10-21 10:47:23
せき のりかず @kotonoha_s

@Tomominori_T @Azusayumi_ 長野は「エコー電車」で、北部九州が「タウンシャトル」でしたね。「くる来る電車ポプラ号」は札幌でしたっけね…。仙台のも、なんか愛称ありましたよね。

2011-10-21 10:50:17
亮-太兵衛平 @high_island_exp

@kotonoha_s @Tomominori_T @Azusayumi_ 今でもその名残があるのは塩尻⇔辰野の「ミニエコー」くらいでしょうかね

2011-10-21 10:54:41
@Tomominori_T

国鉄の分割民営化前後の経営改善や改善施策実施時に、もう少し都市サイドと交通サイドが連携できていれば、中心市街地問題も地方のモータリゼーションも公共交通の維持問題も違った展開になっていたんだと思う。今、比較的中心市街地が元気な都市は偶然かもしれないけど対応ができた都市じゃないかと…

2011-10-21 10:58:38