アートディレクター佐藤直樹さんによるデザインとアートの型について

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佐藤 直樹 @naokisatoasyl

1)デザインとアートの「型」を巡る夢を見ました。忘れないうちに書きつけておきたいと思います。前に書いた「不自由」の話に通じていると思うので。というかあの話を書いたせいで夢を見たのでしょうが。

2011-10-15 13:56:17
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

2)夢の中で僕はキクチさんと話をしていました。キクチさんは菊地敦己かもしれず菊地成孔かもしれず菊池武夫かもしれず菊池桃子かもしれませんでした。ともかく僕はキクチさんとしゃべっていたのです。キクチさんは何かを背負っていました。それが何かを僕は夢の中で聞き出そうとしていました。

2011-10-15 14:09:21
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

3)そうしているうち「型」を巡る話になっていったのです。よく「型にとらわれない」とか「型破り」とか言います。では「型」とは何なのか。何のことを言っているのか。デザインの場合それはわりと明快に説明できると思います。今このテキストが読めているのは「型」がしっかり守られているからです。

2011-10-15 14:27:55
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

4)そんな流れから「絵」「イラストレーション」「アート」の「型」って何だろうという話になっていった。「アート」をひとつの専門領域として考えた場合に「型」というのは「近現代の美術史の文脈」から見出すしかありません。つまり「型」はもう崩壊しているということになってしまう。

2011-10-15 14:54:50
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

5)しかし「型」というのは本来的に身体性と結びついたものです。「文脈」が肩代わりできるようなものではありません。専門領域としての「アート」の問題はじつはここらへんに根があるんじゃないかと思ったのです。たとえば村上隆さんの語る「アートのルール」を日本国内の一般生活者は知りません。

2011-10-15 15:09:41
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

6)それがいいとかわるいとかではなく、ローカルに根ざした生活者にとって無縁の文脈が軸に語られているものを、自分たちにとって「重要なもの」「切実なもの」として見ることは難しい、ということを言っているだけです。そこを「じゃあ教えてやる」と言われても「いえ結構です」となる他ありません。

2011-10-15 15:16:54
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

7)一方で「とにかく自由にできるのがいい」という考えがあります。子供のお絵描き教室とかならそれでいいと思います。しかし大学生とかにそう言われるといいならいいでいいんだけどそれでこれからどうするの?と素朴に心配になってしまいます。僕は美大生の進路を心配する立場でもあるので。

2011-10-15 19:13:51
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

8)気がつくと僕はキクチさんに「学生達とはどう接したらいいんでしょうね?」と相談しているのでした。あるいはそのあたりから僕はもう目覚めていたのかもしれません。

2011-10-15 19:21:19
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

9)「自由」にもいろいろありますがいずれにしろそれは無条件に入手できるようなものではありません。「子供の頃から比較的自由に育てられた」という人は多いでしょう。が、それは保護者あっての「自由」です。誰からも保護されなくなってもなお「自由」を欲するならば、よく考えなければなりません。

2011-10-15 19:37:17
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

10)その時に重要になって来るのが何らかの「型」なんじゃないかということなのです。ところが今は信頼に足る「型」を見つけ出すことが大変困難になっています。昔の職人が幸いだったのは「今はわかんなくてもいいから黙ってこれをやっとけ」と言われるような「型」が明確に存在していた点でしょう。

2011-10-15 19:46:18
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

11)もちろん今もそうした「型」に支えられている表現領域なり職なりは存在しています。これからまた見直され再検討されていくでしょうが、現在のところは「型にはまらない」ことが自由であり自由であることがクリエイティブであるという考え方が支配的であるように思えます。

2011-10-15 21:46:20
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

12)すでに夢の話ではなくなっており目覚めてから考えていたことに移行しているがこの話どこで終わらせればいいのかがわからなくなってきた。

2011-10-16 00:37:48
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

13)クリエイティブという言葉がずっと嫌いでデザインの仕事を始めた頃(23年か24年くらい前)「クリエイティブディレクター」とか名乗っている人間のことは「こいつらは頭がおかしくなっちまったんじゃないのか?」と思っていた。バブルで狂ってしまっているんだろうと。

2011-10-16 00:44:14
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

14)じゃあ「アートディレクター」ならいいのか?って話ですけどもちろん恥ずかしかったです。今でも恥ずかしいことは恥ずかしい。この歳になってそんなこと言ってても仕方ないので言いませんが。ただどこかで「転向」したことは確かだと思います。

2011-10-16 00:51:25
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

15)そんな僕の自意識問題はどうでもいいとして「これからのクリエイティブ」についてです。「アート」も「デザイン」も今やジャンルとして認められいっぱしの業界を形成しているわけですが「新しい価値を創出する場所は今どこにあるのか?」を考えると問題は「ジャンル」や「業界」ではなかろうと。

2011-10-16 01:31:03
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

16)そう考えた時の「型」とは何だ?ってことを考えるわけです。「こんな自由もあるよ!」という価値提示はもちろん大事です。どう考えても否定するようなことじゃありません。どんどんやってほしいしどんどん見聞きしたい。ただ何と言ったらいいのか…つまりそれは「創造」ではないと思うのです。

2011-10-16 01:41:54
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

17)明日早いからもう寝ないとな。また夢が見れるといいんだけど。

2011-10-16 01:48:44
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

18)「型」と「自由」を対立的に考えないほうがいいんだなということは、ある種の様式の獲得の上にそこから突き抜けて行くものを見た時に実感します。

2011-10-27 12:25:26
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

19)ここで在日ファンクの話をしたい衝動に駆られていますが音楽には造詣がないのでやめておきます。

2011-10-27 12:29:12
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

20)信じるに足る「型」とは何か。結局、それは個々に見出すしかないことで、誰かが与えてくれるわけではないのでしょう。今世界的に活躍している日本の若いアスリートは幼少期から親に「型」を仕込まれている人たちですね。歌舞伎や狂言の役者さんなんかもそうです。でも僕らはそういう系統にない。

2011-10-27 12:36:38
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

21)「自分探し」なんかするくらいだったら「型探し」をした方がいい。とは言うものの、問題はそれをどこに見出すかです。

2011-10-27 12:52:40
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

22)この話はあまり広げても意味がありません。この先は決して一般化することができないので。なのでそろそろ収束させますが、例えば文字の扱いなどはグラフィックデザイナーをより「自由」な場所へと導く重要な「型」のひとつでした。今までは。けれどそれももう変化しつつあるように思えるのです。

2011-10-27 13:09:05
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

23)もちろん文字はまだまだグラフィックデザインにとって重要であり続けるでしょう。しかし「型」もまた変わるのです。というよりも本来「型」とは日々変化しているものを言うはずなのです。奇妙な言い方ですが「型」の形骸化が問題なのであり今「型」から想起されるのはその形骸の方になっている。

2011-10-27 13:40:16
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

24)それで夢の話に戻りますが、「アート」にも「型」はあるはずだと。ただただ無条件にひたすら「自由」であるなんてことはありえないではないかと。背景には送り出す側と受け取る側に何が共有され何が共有されてないか考えてないだけのアート幻想もあるんだろうと。ただそれにも理由があるはずで…

2011-10-27 14:05:16
佐藤 直樹 @naokisatoasyl

25)やはり「型」が見出しにくくなっているんだろうと思うのです。かつてサブカルチャーと呼ばれていたものはその時の社会に「型」がわかりやすく見えていたからこそ、そこを突くかたちで開花したとも言えます。そこに夢を見出す人もまだいるでしょう。生き辛さが解消したわけではないですから。

2011-10-27 14:53:31