ミスコンを論じる前に。90年代から00年代の『CanCam』に代表される赤文字雑誌について
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カントも重要かもしれないけれど・・・、ここ四半世紀くらいの赤文字系の女性誌(の隆盛と、ある種の衰退)を分析しないと、どうしてそういう美が求められたのかとか、そういうことは分からないでしょう。
2011-10-16 22:58:16TL上に、断続的にミスコンについてのツィートが流れるのだけれど、いったい何なのだろうか・・・。やはり、『エビちゃんとその時代』(Yuri Ebihara and The Japanese Experience)が書かれていないことが大きい・・・(?)。(誤植訂正)
2011-10-16 22:59:51@adamtakahashi ICUミスコン問題を契機とした議論です。ジェンダー論的議論が目的と説明してきた主催者が、説明を求められると、対応せずに放り投げました。次に、その態度を咎めた人々に、ミスコン反対に理はあるのかと問いかけた人々が出たのが、一連の事態の流れだと思われます。
2011-10-16 23:23:54@motoakihara なるほど。ありがとうございます。一週以上、断続的に流れているので、何なのだろうと思っておりました。。。
2011-10-17 00:13:50『エビちゃんとその時代』でなければ、『醜さを抱きしめて: 赤文字系女性誌と日本の美』でも良い・・・。カントよりも・・・、ジョン・ダワー的な歴史家が求められている・・・。
2011-10-16 23:15:44「想像力の自由な遊び」(としての美)を称揚して、「ミスコン企画会社のHPは何とも言えずグロテスク」と仰るのは、ヴォーグは良いけれど、キャンキャンは醜いみたいな発言なわけで、もちろん、それは一つの見識だけれど、それで済むのだったら、歴史学も社会学もいらないでしょう・・・。
2011-10-16 23:43:05ええ、まァ、ミスコンやるなら、キャンキャンではなくてヴォーグであってほしいとは思います。でも、「それで済む」とは私も思っていません。RT@adamtakahashi 「想像力の自由な遊び」(としての美)を称揚して、「ミスコン企画会社のHPは何とも言えずグロテスク」と仰るのは
2011-10-17 01:44:36@charis1756 ギリシア悲劇や神話について造詣が深い植村先生が、あの「グロテスク」さに含まれる意味を、少し粗雑に扱われているかのように思われるのが、少々残念です。オウムに対して、宗教学者が、宗教としては不純であるといったのが乱暴だったのと、同じです。@okisayaka
2011-10-18 20:58:53授業で扱ったSF映画GATTACAでも(技術としてはややフィクションめいたところがあるが)、遺伝子改造されたエリート達はやはりみな「美しい」という描写だったな
2011-10-16 02:31:41@SatsumaAki 美を認識する能力についてはまだわかってないことが多いので、さすがにそこを変えるという話は私の生きてるうちには出ない気がしますが、しかし、記憶力を高めるなどの「改造」はひょっとしたら…?と思うことはありますね…マウスを使った実験の話など聞いていると
2011-10-18 20:41:19風邪が長引く中でボーと考えていたことですが(というか、どうでも良いことを考えているな・・・)、植村先生のような高所からの批判は、やはり、ちょっとポイントを外しているのではないかと思います。
2011-10-18 21:01:37おそらく、大学のミスコンはミス・ユニバースとは異なるのです。前者は、「美」や「セクシーさ」を競う場ではなく、(少なくとも2000年代前半においては)「めちゃモテ・かわいい/かっこいい」というシンボリックな役割を人々から託される人物を選出するための社会的な儀礼だったのです。
2011-10-18 21:03:08@adamtakahashi なんかどうも、大学の広告研究会系の人材や私と同年代のベンチャー男ども(堀江貴文など)がキャンパスイベとして盛り上げたのが現在のミスコンの流れにつながってるようです。それらの人々にどれだけ距離を感じる立場かどうかで感覚は変わるでしょう。
2011-10-18 21:13:14@okisayaka 男たちが盛り上げた、だけで盛り上がるなら、そんな楽な話はありません・・・。2000年代前半のシンボリックな意味合いを考えないと、どうして(単なるサークル企画を超えて)盛り上がったのか、が説明できないと思います。
2011-10-18 21:35:41この「めちゃモテ」というシンボリックな役割が、最も目に見える形で醸成された、もしくはそこにおいて結晶した場が、2000年代前半の『キャンキャン』だったので、それを少し回顧した方が良いのではないか?と思ったわけです。
2011-10-18 21:04:04最盛期で月の発行部数が50万部を超えていた(しかも、読まれていただけではなく、自己成型のソースだった)この雑誌で、エビちゃん、山田優、押切もえの三人が、(主に関東在住の、主に)大学生・専門学校生、新入社員の女性たちに、「何を着るべきか」(の幾ばくか)を教えていました。
2011-10-18 21:07:45彼女たちのキャラクターは、宮台さんが「歌謡曲」を分析したときと同じ意味合いを含んでいます。つまり、純粋に「何が美しいか」という趣味判断の対象ではなく、そこに倫理的な意味合いが、つまり「何をすべきか」という次元が、織り込まれているわけです。
2011-10-18 21:10:12(補足すると、だから、純粋に趣味判断だけを扱っている海外の雑誌に比べると「不純」に映るのだと思います)
2011-10-18 21:10:42彼女たちは、それぞれ「めちゃモテ・かわいい(エビちゃんOL)」「かっこいい:優OL」、そしてその中間の「かっこ・かわいい:もえカジュアル」というシンボリックな機能を与えられていました(ただ、押切の役割は、前二者の役割と異なって、元ヤンの代表みたいなものだったのです、たぶん)。
2011-10-18 21:12:41「かわいい」と「かっこいい」という象徴的な役割は、想像的な次元で区別されるものでした。後者は、黒や青などの色が基調で、かわいいの方は、パステルカラー?が多用されているような・・・。
2011-10-18 21:15:43で、問題はここから?で、エビちゃんが、ふらふわのスカートを着ることそれ自体よりも、それによって体現される「めちゃモテ」がいかなるシンボリックな社会的意味を担っていたかいうことです。
2011-10-18 21:16:31これについては、内田樹老師が、「めちゃモテ日本」というタイトルで、少し論じています。そこでの肝は、「私はキャンキャン型の「みんなに愛されるラブリーな女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社会になりつつあるという痛ましい現実を
2011-10-18 21:18:47シビアに映し出して」いるのではないか、という点です(たぶん)。(詳細は、以下のブログをどうぞ。。。http://t.co/XALXn8mo)
2011-10-18 21:19:33@adamtakahashi ご考察は面白く、大変参考になります。が、一言だけすみません。ウェディングドレスを着て欲しいという(人によっては吐き気を催す)プレッシャーを、恐らくはその身体には感じては来られなかったであろう方こそが、一番の高みにおられるのだと、私は思います。
2011-10-18 21:27:40