しつこいが、黒瀬陽平的、ケータイ云々、或いは自然主義リアリズム云々といった、え、それ何も言ったことにならねえんじゃね?的ロクでもない「批評家」的レビューは下さないように、頑張ります。自戒。
2010-05-12 10:36:26で、ああいう「批評」ってのが世の中のいろんなものを見過ごすんだって絶対。レッテル貼りに終始しすぎじゃんw お前、最初から作品真面目に読む気ないだろ、っていう。まだ最初から自分の興味しか見ません、っていうならまだしも、自分の周囲のものしか称揚してないしねw 福嶋とか。
2010-05-12 10:45:21私の知り合いであり周辺人物である某のことは褒めますが、それ以外の連中は「遅れてる」から作品はカスいから、まともに読みもしません、って、いやそれどうなんだ。
2010-05-12 10:46:17もしかすると黒瀬陽平の新人小説月評は「文学界」を潰そうとする、実に「深遠な」試みなのかもしれない。それだと、むしろ成功している気がする。あの月評で「文学界」の購読を止めた人は、そこそこにいるのではないのだろうか。少なくとも愛想を尽かすくらいは結構いそう。
2010-05-12 10:55:28@shostakovich たぶんそれはないんじゃないかとw ああ、でも東浩紀クラスタ……なのか知りませんが、あの辺が読むようになったかもしれませんがw でも、「なんとなく、考える」の連載があったはずだし……。
2010-05-12 11:01:28.@joe_kuga なんかボロクソ書かれてますが、レッテル貼りをせずに玉石混淆の小説20本くらいを毎月1400字で批評する方法を教えてください。あの枠は「紹介」するだけではだめなので、それなりに工夫が必要なはず。 ちなみに小説はちゃんと読んでますし、身内以外も褒めてます。
2010-05-12 12:17:03黒瀬氏の新人月評が云々というポストを見たが、むしろ新人月評という枠自体がダメなんでしょうな。新人という限定自体が差別的だし、他のベテラン作家に対してはできない批判も許されるという文芸誌の中でも特異な枠。
2010-05-12 12:45:34全dis的文芸時評みたいなのは渡部直己さんとかすが秀実さんとかも書かれていて、僕の小説の評価基準や文学への関心はそれから出発していたりするので、黒瀬さんの月評には全く違和感がないというか月評ってああいうものじゃないのかな。
2010-05-12 12:58:57やっぱり問題は「新人」に対して行なった辛辣な批判をベテランの作家についても出来るのかということでしょう。文芸誌では、批判するのがタブーな大物作家がいるからねえ。
2010-05-12 13:04:01@neko800 確かに石川さんは「文芸誌」の枠に収まらない批評家ですからね。「文芸誌なぞにかまってる暇なぞない」とおっしゃっても不思議ではない。
2010-05-12 13:05:11おお。それはすごいですね。寡聞にして知りませんでした。すみません!黒瀬さんは保坂に止どまらす、これからは、川上弘美や町田康、さらには、筒井、古井や大江に至るまで、メッタ斬りにしていってください!
2010-05-12 13:19:05僕は文芸時評ってのは文学というシステムのメンテナンスみたいなもんだと思っている。もちろん文芸誌ファック文学ファックみたいな文芸時評もありうるけどまあ、文芸誌の作品を論じるということはやはり文学というシステムの「保守」に寄与せざるを得ないのが基本線だと思う。
2010-05-12 13:21:24@ttt_ceinture いやいや。これから、文芸時評などでも活躍なされるだろう黒瀬陽平氏に閉鎖的な文芸誌を打破していただけるような痛快な批評をお願いしているのですよ!
2010-05-12 13:25:57で、問題はそれをどう「保守」するかというのが問題なわけだ。で、すがさんとか渡部さんとかあるいは東さんでもいいけど、彼らの批評は辛口に見えるけど、僕の考えだと彼らが言いたいことは文芸誌を破壊したいんじゃなくて、逆にこのシステム運用だと破産しますよみたいな感じで(続く)
2010-05-12 13:27:07いいと思ったけどな、黒瀬さんの月評。イメージと作品構成の関係について触れてる面。2月号と3月号の月評は、「身体性をにおわせる言葉」「ささやかな幻想を細々と紡いでいく」理念なきミニマリズムに疑義、という切り方は、事実そうした傾向があるだろうし。
2010-05-12 13:27:09反発を受けたらしい2月号の島本評にしても、「97年を舞台にしてるから"時代錯誤な設定"という批判は当たらない」と言われたにせよ、そうした97年を舞台にする作品が「なぜ現代に書かれなければならなかったのか」と、その理念の欠落への疑義なのだから、批判点丸々残ってるし。
2010-05-12 13:30:031400文字でやる場合、「解説・紹介にする」か「批評上の価値判断を明確にする」かで大体分かれるんだけど、後者を選べば細部読解が減るのは当然。「好みの裁断じゃないから気に入らねえ」といった反発はもう、論外としか。東初期の文芸時評とは枚数が違うからやれないことも多い事情もあるし。
2010-05-12 13:33:55(続き)別の「保守」の仕方を考るべきだということだとおもう。で、その手段として「dis」が必要になる。それは例えていうならハッカーみたいなものだ。例えばニコ動であえてランキング工作をしてシステム危機管理能力が高めるみたいな。僕の考えだと神文芸時評はそういう機能があるとおもう
2010-05-12 13:35:16数十文字で、4月号の村田評、「「変身」を扱っているように読めたのだが、肝心の場面、主人公の早苗が「ビルの内臓」を見るシーンで起こっている早苗の内的な変化を書き損ねているため、小説内での世界の変貌に読者を巻き込むことができてない」 も、短いくだりでびしっとポイント出してるし。
2010-05-12 13:36:34で、90年代前半だったら文芸時評のテーマってのはちょうどその頃国民国家批判がまだ流行ってたわけだけど、文芸誌の「天皇制」というか一種の日本型経営の批判だけど、多分今だったら、ネットワーク下の文学をどう捉え直すか、になるとおもう。で、今それを坂上くんや黒瀬さんがやっている
2010-05-12 13:39:43で、おおざっぱに見れば僕は黒瀬さんは成功していて、坂上は苦しい戦いをしいられている感じに見える。で、その理由を考えてみると黒瀬さんが「文芸評論家」ではなく「美術批評家」という立場を保持して文学を論評しているのが大きな理由ではないかと思う。
2010-05-12 13:42:03