猫の話を、少しだけしたい。そんなに難しい話じゃあ決してない。とある家の軒先に、沢山の猫が住み着いてて、そこが私のお気に入りの場所だっていう、そんなお話
2011-10-25 14:09:19最寄り駅から、広告なんかの表現なら徒歩5分。少し遠回りだけどわかりやすい道を教えると、改札を出てすぐに国道に当たるから、右折。すぐ次の信号をまた右折。そのまま真っ直ぐ3分くらい歩く。線路を越えて少し行くと歩道がなくなるから気をつけて。
2011-10-25 14:13:53あとはずっと右を見ていればいい。いわゆる住宅街だけども、歩いてる道は多分県道で、トラックやバスなんかも良く見る、交通量が多い道だから要注意。たまには左や前も見よう。
2011-10-25 14:17:03あとはずっと右を見ていればいい。いわゆる住宅街だけども、歩いてる道は多分県道で、トラックやバスなんかも良く見る、交通量が多い道だから要注意。たまには左や前も見よう。
2011-10-25 14:17:03そうして歩いていけば、すぐに見つかると思う。道に面した家の、軒先。ちょっとした雨よけにもなる屋根があるその場所に、5匹くらいの猫が寝そべってるのを見つけられるハズ。今朝は、子猫が2匹に、ちょっと大きめの猫が1匹の計3匹しか居なかったけど
2011-10-25 14:20:53そこは、私のお気に入りの場所。夕方のお散歩コースの終着点にして目的地。その途中でねこじゃらしを採取していくのがオススメだったりする。猫と遊べるから
2011-10-25 14:30:10当たり前のことではあるのだが、猫にもやっぱり性格というものはあるようで、すぐに寄って来る白猫は、最近とみに図々しくなってきたように思う。いい加減おとなしく抱っこさせろ。
2011-10-25 14:36:33はたまた、大体1メートルくらいをつかず離れず、私から間合いをとり続ける白と三毛の子猫が居る。私が寄れば離れ、離れれば寄ってくる。この1メートルは私か子猫達の、どちらの間合いだろうか?少なくとも私は寄っても寄らなくても斬りはしないから安心して抱っこされろ
2011-10-25 14:39:40灰がかった黒猫は、いつもこっちをジッと見てる。ねこじゃらしにも興味津々、という風に見えるのだけれど、でも、絶対に近寄っては来ない。「いつかデレると信じて』が合言葉。…いや、今考えたんだけれど。うん、せめて背中くらい撫でさせて
2011-10-25 14:43:21その場に残ってくれる猫も居れば、そうではない猫ってのも、やっぱり居る。サッとその場から逃げてどこかに行っちゃう猫が何匹か。それはちと寂しい。寄ってくる猫をねこじゃらしで構ったり何やらしてると、たまにこそっと家の陰からこっちを覗いてたりする。ホラー
2011-10-25 14:47:09猫が生来気まぐれなように、私だって気まぐれに猫達の所を訪れて、気まぐれに遊んで、撫でて、不器用な抱っこで逃げられて、ねこじゃらしに興奮した猫に爪で引っ掛かれたりして。そんな、緩やかな癒しの時間が、私は堪らなく好きだ
2011-10-25 14:51:18そこで座り込んで猫とじゃれあっていれば、沢山の人との出会いがある。まず、その家の主。窓越しに目が合って会釈、人の敷地で何やってんだ、とかそういうのはない。あぁまた来たんだね、くらいのことを思ってくれていると思う多分。
2011-10-25 17:11:40散歩中の老夫婦に、御挨拶。「可愛いねぇ、どっちも」とか声を掛けられてみたり。はたまた、幼稚園児が「ねこー!」って駆けて来て、その若いお母さんが困り顔だったり。
2011-10-25 17:15:03近所のスーパーからの買い物帰りとおぼしき御老人は、足元に寄ってきた白猫の背を撫でながら、いかにここの猫と仲が良いかという話をひとしきりした後に、「優しい撫でてやんなさい。そうすればワシのように仲良くなれるから」と教えてくれた。
2011-10-25 17:18:40私には目もくれずに歩き去る学生、ねこじゃらしを手に奇声をあげて猫を追い回す小学1年生(男子)達と、それをたしなめる小学1年生(女子)は、傍目にとても微笑ましい。
2011-10-25 17:22:16そんな出会いも含めた、この猫の居るその場所が私は好きだ。これまでもそうだったように、これからも、ずっと好きであり続けたいと思っている。戯れに悪戯に気まぐれに訪れて、猫を撫でて、あるいは抱いてその温かさに触れて、確かめて。
2011-10-25 17:24:22猫という、動物を介した人との触れ合いだって、温かい。猫達が潤滑油になって、それは在る。古きよき日本の姿の一端が、そこでは再現されているんじゃないだろうか、なんて。そんな大層な、でも取り留めもないようなことを思って、浸ってみる。
2011-10-25 17:29:47場所を、もう一度確認しよう。その駅までは、東京から電車でおよそ2時間。広告基準でその駅から徒歩5分。国道から1本折れた枝の県道沿い。交通量はそれなりに多く、だが歩道はない。その道路に面した家の軒先が、猫達の集う憩いの場。
2011-10-25 17:35:29いや、憩いの場だなんてのは、私の勝手な思い込みか。私は確かに幸せを感じているが、しかしその猫達が幸せかどうかは分からない。どの猫も首輪は付けていない。それは自由の証だし、実際、きっと自由なのだろう。どこに行くのも、何をするのも。
2011-10-25 17:42:20とある御老人が話してくれた。「道路を渡ろうとしとるワシの足元に来て、肩に乗せろとせがむんだ。だから、猫の腹をワシの肩に乗せて抱いてやってな。道路を渡ってやったら、サッと降りてどこかに行きおった」それは、どんな魔法なのか。
2011-10-25 17:49:17その猫は、道路を渡ってどこに行ったんだろう。そして用事を終えて帰って来る時は、どうしたのだろう。抱いて渡ってくれる人間がそうそう居るとも思えないから、きっと一人で、いや一匹で道路を渡って帰って来たのだろう。
2011-10-25 17:54:05猫は小さくて、はかない生き物だと、私は思う。ねこじゃらしを振ってやれば爪を出すし、不器用に抱いてみた時にも、やっぱり私の腕や太股に爪を引っ掛けて逃れようとする。それは痛いというよりは、怖いという感情が先に立つ。だが爪があっても、欠片の役にも立たない相手が在る
2011-10-25 17:58:37二回、それを見た。その数字はあくまでもこの場所を知ってから数えたものであって、過去の記憶を辿れば、もっと数は多くなる。そしてそれは、私にとっても、多分猫達にとっても、余り気持ちの良いものでもなければ、幸せな記憶でもない。そういうモノを、私は知っている。
2011-10-25 18:07:14