規範 法(のり) ルール

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光岡英稔 @McLaird44

私は講習などでよく「規範」を言葉として使うが、それを聞いたり読んでいる皆は「規範」と「法」と「ルール(規則、規定)」の違いを考えたことはあるだろうか。人間の脳や頭からするとこれらの違いは分かりにくいかも知れないが、この三つは明確に異なる。

2023-01-20 13:01:33
光岡英稔 @McLaird44

「規範」とはドイツ語のNormを新日本語として哲学を経由して日本へ流入した言葉である。 そのドイツ語の哲学用語としてのNormの意味は「「判断・評価・行為などの基準となるべき原則」「ノルマ、基準、標準、スタンダード」などと訳されている。

2023-01-20 13:01:34
光岡英稔 @McLaird44

これが、ドイツ語由来の英語などでもNormだとノーム、ノーマルのように“普通”の意味になるので、言語の意味が与える拘束力が薄れてしまうので、規範を英語に訳す時にLaw=法、法律やRule=ルール、Standard=一般的なスタンダードなどに規範と言う言葉を訳して用いた所もある。

2023-01-20 13:01:34
光岡英稔 @McLaird44

「規範」と「ルール(規則、規定、Rule)」また「法」も全て関係はあるも異なる意味を持つ言語である。 例えば「規範」と「ルール=規則」の違いはと言うと、ルールは外の世界から与えられ、それに私たちが従う対象であるのに対して、規範は「法に沿った手本、見本」と言う意味がある。

2023-01-20 13:01:35
光岡英稔 @McLaird44

規範の規は「ただす」「手本」と言った意味の漢字で、規範の範は「くぎり」「いがた(型)」「ただす」と言った意味の漢字である。 「規範」とは、その分野、文化圏における理想的な形、見本、手本を指す 「ルール(規則)」とは、外から社会的に与えられた守るべき事柄を指す

2023-01-20 13:01:35
光岡英稔 @McLaird44

なので「Norm=普通、ノルマ、ノーマル、基準」は「規範」と漢字を組み合わせて訳したことにより、漢字が持つ文字の意味が強くなり「規範」と言う言葉は語源のとは別の意味を持ち始めた所もある。

2023-01-20 13:01:36
光岡英稔 @McLaird44

よって、規範とルール(規則、規定)の違いは、 そのジャンルにおいて行動、行為、判断基準の手本となること=規範 その社会の中では、それに基づいて行動を取るよう外から定められていること=ルール(規則) のような違いとなる。

2023-01-20 13:01:36
光岡英稔 @McLaird44

また「規範」の大元には「法(のり、ほう)」があり、この「法」は各文化圏や地域、限られた空間と時間の枠組みを構成する法則性を指す。

2023-01-20 13:01:37
光岡英稔 @McLaird44

「ルール(規定、規則)」と「法(のり)」は取り違えやすいが、全く真逆の所がある。 ルールは人間が定め、人間同士が互いに同意の上でその時空間に住む上で人為的に作られ決められた物がルールである。

2023-01-20 13:01:37
光岡英稔 @McLaird44

それにに対して「法」とは、自然界から提示された規範であり、その自然界が決めた法則を人間が経験的に理解した時に、そこに規範が生じる規範の大元=法であると同時に、そこを突き詰めて行くと必ず自然界に法(のっと)らなければならくなる所も「法」の特徴である。

2023-01-20 13:01:38
光岡英稔 @McLaird44

例えば、自然界が提示して来る山岳地帯では自然と「海の魚は取れない」よう「山の法、法則」がなっている。また、逆に海の民族が山岳地帯の民族が収穫するものが収穫できないのも「海の法」がなっている訳で、これは人間が決めたことではない。

2023-01-20 13:01:38
光岡英稔 @McLaird44

また、その地域に住みだすと、自然と其処に住む個人も集団も「その土地の法」を理解するようになり、そこでの生活様式の技術が法(その地域の自然法則)を規範に自然発生的に生まれて来る。

2023-01-20 13:01:39
光岡英稔 @McLaird44

そこから、その地域の法に従った規範が生まれて来る。また、その土地や地域に住むための部族や集落の中での規範も設けられるようなってくる。

2023-01-20 13:01:39
光岡英稔 @McLaird44

ただし、原初民族のルールの方が、その土地や地域の自然が提示する法、法則に自然と法るようできている。“あそこに行くと毒蛇が多いので死ぬから行くな”とか“あそこの池に行くとジャガーにやられる”や“この道を通らないと他の部族とぶつかってしまう”などなどと自然と発生するルールが設けられて行く。

2023-01-20 13:01:40
光岡英稔 @McLaird44

つまり、自然界が人間界に提示して来る絶対的な法則、法に人間が従い、人間同士の間でその自然の法則に従って自分を省みた時に「規範」が生まれる。また、生まれた「規範」は、その集団の中で文化形成されて行く中で、その集団の中での風習や技術の「規範=手本」となって行く。

2023-01-20 13:01:40
光岡英稔 @McLaird44

これは「規範」の言葉の語源であるNormにも通じる。つまり、ある文化圏や一定数の種の集団において「普通のこと=Norm=規範、手本」となる事が「規範」となる訳である。よって、人間の規範も存在するし、自然界にも法と規範は無論存在するし、ことなる文化圏にも法と規範も存在する。

2023-01-20 13:01:41
光岡英稔 @McLaird44

「規範」とは基礎ノ基礎、つまり家の基礎を作る前の土壌の構造や状態を知ることの話しである。それは家の基礎ノ基礎と同じく、なるべく人の手が加わってない方がいい。山を削り、自然の法を無視し無理に家を建て土壌を人間側の都合に合わせて作った時には、私たち人間がしっぺ返しを喰うだけである。

2023-01-20 13:01:41
光岡英稔 @McLaird44

よって、自然界が提示して来る法、ルールを破ることを常として来た私たち人間は、他の脊髄動物のように我が身一つで地上を歩むことをせず直立二足歩行となり、手を使い、衣服をまとい、火を作り、製鉄技術を用いることを身体の自然を無視することを代償に行って来た。

2023-01-20 13:01:42
光岡英稔 @McLaird44

しかし、そのジレンマは「人間ならではの自然が直立二足歩行化した脊髄生物と言う不自然性/非・自然性からなっている事実」から始まっている故に、いくらでも不自然、非自然になれてしまう私たち人間は、自然が提示する法、法則性、規範を必要とするようになったのである。

2023-01-20 13:01:42
光岡英稔 @McLaird44

私たち人間の自然界と自らの自然性に対する今に至る横暴さは自然との付き合い方を省みれば一目瞭然だろう。また、その“横暴さ”に「自由の快感と快楽」を感じてしまうのも人間ならではの特徴、性質である。

2023-01-20 13:01:43
光岡英稔 @McLaird44

ただ、一ヶ所だけ私たちが自然に対して横暴であることへの“しっぺ返し”を比較的早く喰らう所がある。 それが、私たち人間の身体の自然であり、人間の存在の自然性である。 自らの身体の自然に対する横暴さは自らの痛みとなり、不祥事となり、不都合へとなって行く。

2023-01-20 13:24:49
光岡英稔 @McLaird44

そして何より横暴さから生じた身体の不都合は最後は自分で自分のつけの支払いをすることになる。 ただ、ここは近代文明とテクノロジー、医学、科学が身体の存在をボヤかしてくれ、身体の存在自体がボヤけている為、誰もが自分の身体の存在が分からなくなっているマトリックスに入っている。

2023-01-20 13:24:50
光岡英稔 @McLaird44

身体のなさ、身体の存在感のなさ、存在感のなさ、痛み、麻痺、これらこそが等身大の私たち人間の身体の自然である。また、その存在のなさや身体のなさの答えを客観世界や外の情報で埋めようとすることは更なる存在の分からなさや、身体の分からなさを生んでしまう。

2023-01-20 13:24:51
光岡英稔 @McLaird44

これが、現代人の身体観であり、現代人の私たちに取って課題となる所でもある。これは、私たちが自ら人間の規範を知らないことにも通じていて、更には自分(人間)の文化性/身体性における規範が分からなくなっている事にも通じる。

2023-01-20 13:24:51
光岡英稔 @McLaird44

また、それ故に自身の答えを外の世界にある情報、ルール、法則から得ようとするが、それが自分の存在に起源を持つ規範でない故に永遠と自分の存在、存在感とは関係なく知識と情報だけが増えて行く事態になってしまう。

2023-01-20 13:24:52