「エスノメソドロジー・会話分析における自然(ordinary)な会話と制度的(institution)な会話の区分けについて 」をめぐって
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会話分析勉強中の僕の悩みを吐露してみたよ。この疑問に対する識者の教えをお待ちしております http://ow.ly/1K1HM
2010-05-12 20:26:55@n_akiya 会話の構造っていってもいろいろな水準があるから、まるごとひっくるめて「日常的/制度的」って分けるのはあまり意味がないっていうか示すべきことの先取りにしかならないと思うんだけど、でも特定の構造に照準したときにそういう区別は「判断するのが難しい」ものでもないと思うよ
2010-05-12 20:34:55@n_akiya たとえば順番交代の組織でいえば、SSJが記述したのは、事前に話す順番も時間も決まっていない中での順番交代のやり方なわけで、その「決まっていなさ」はordinaryのひとつの理解可能性だよね
2010-05-12 20:37:57@n_akiya 他方その「決まっていなさ」は、参加の構造やアイデンティティや行為連鎖の構造によって容易に変形を被る。質問と答えが生じるだけで変形する。であるなら、その変形の仕方を考えることは、場合によっては「日常的でなさ」を考えることにつながるはずだよね。
2010-05-12 20:40:10@n_akiya それは制度的アイデンティティと順番交代システムが結びついている場合かもしれないし、あるいは制度的アイデンティティと結びついた諸権利・義務が会話の特定の構造に影響をおよぼす場合かもしれない。いずれにしてもそういったことは照準をしぼって分析して考えてゆける
2010-05-12 20:43:35@n_akiya だから、「制度的」という言葉をデータに被せて何か言ったつもりになるんじゃなくて、データに見いだせる会話の構造から「制度的」特徴を精緻に弁別してみろ、というのがシェグロフの90年前後の一連の論文での主張になるわけで。
2010-05-12 20:47:00@n_akiya ただシェグロフがちょっとずるいというか絶対負けないのは、あの議論では会話データを分析することが前提になってるからなー。別に制度の研究するのに会話の分析しなきゃいけないわけじゃないのにね。
2010-05-12 20:48:27@n_akiya というかこの話は昔ガーフィンケル読書会MLかなんかで五十嵐さんや中村さんとして、それで中村さんはその議論をもとに年報社会学論集に論文を書いてるので、読み直されるとよいかも。
2010-05-12 20:50:09@n_akiya ちなみに私は ordinary は別に気にならないけど pure は嫌いです。日常性を我々は経験するけれど、純粋な会話なんてものは経験しない(というか会話の構造の特定の水準を「純粋」と呼ぶ権利はEM者にはない)。
2010-05-12 20:53:17@friendsroots うわあ、早速ありがとうございます!中村さんの論文は読み直してきます。ご回答いただきついでに質問なんですが、ある現象をどの段階で/またいかにしてordinaryだと会話分析者は判断できるんでしょうか?
2010-05-12 20:57:21@friendsroots 会話が録音された場面がどこか、そして彼らはいかなる身分で参加しているのか、ということに一度気になってしまったら、容易にそこでの現象をordinaryと言えなくなってしまうような気が。CA論文書いてる自分が今更こんな質問するのもナンですが…
2010-05-12 21:00:35@n_akiya 会話に限らずEM研究であれば、「この現象はしかじかの現象だ」といえる基準は分析そのものの外にはないでしょう?
2010-05-12 21:01:01@n_akiya どんなセッティングで録音された会話でも、どんな身分で参加した会話でも、会話にはそれに尽きないいろんなものが詰まってるということでしょう
2010-05-12 21:02:57@friendsrootsう〜む、なるほど…。分析それ自体がemを、という実感としてわかるんですが、その結果をordinaryとするところの根拠がよくわからない、ということなんですよね。いや、CAのこれまでの蓄積自体にはいちいちもっともだ!と思うんですが、その分析手続的な意味で。
2010-05-12 21:13:53.@friendsrootsう〜むなるほど…。分析それ自体がemを、という実感としてわかるんですが、その結果をordinaryとするところの根拠がよくわからない、ということなんですよね。いや、CAのこれまでの蓄積自体にはいちいちもっともだ!と思うんですが、その分析手続的な意味で。
2010-05-12 21:15:20@n_akiya 「分析の結果をordinaryとする」のではなくて、分析していくなかでordinaryと言えるような何らかの要素を示せるならそれが(そしてそれだけが)ordinary性の根拠でしょう。もちろん程度の差はさまざまでしょうか。
2010-05-12 21:19:19@n_akiya その事情は、たとえばある発話を「質問」と特徴づけることができる根拠はなんだ、というのとまったく同じ話ではないですか。
2010-05-12 21:19:55