人文学者による、マスクを外す意味

5類移行前にノーマスクの意義を語った人文学者がいたことの記録です。
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田中希生 @kio_tanaka

ともあれ、われわれは自分のかけがえのない存在を、生命の維持と重ねるほどに、「生命」によって存在を奪われている。フーコーディアンは「生政治」を厚生省を中心とする一種の健康主義に還元してしまうが、それでは社会学的ではあっても哲学とはいえない。生命が存在の根源に達するのでないならば。

2022-12-25 21:21:13
田中希生 @kio_tanaka

いずれにせよ、われわれにとって最初に経験する身近な死は祖父母のそれであり、したがって「かけがえのなさ」とは文字通り生命維持を意味し、その人生において何を達成したかではない。これに反対することはきわめて困難であり、現代日本社会において疫病が表現した人文学上の意義である。

2022-12-25 21:28:01
田中希生 @kio_tanaka

ところで、自分にとって最初の身近な死は祖父のものだった。晩年は自分の境遇の恥ずかしさに、ほとんど会わなかったのだが、不思議なことに、死んでからはいつでも会えるようになった。死はひとから場所を奪う。だからどこにでも行けるのである。だが、これは歴史のことではないだろうか。

2022-12-25 21:32:20
田中希生 @kio_tanaka

社会は固有名のあるところまではなかなか降りてこない。むしろ固有名を社会に還元させることばかり考えているし、もっといえば「固有名」という言葉は社会中心の用語でしかない。「かけがえのなさ」は、生命維持のことではない。自分の精神に訪れては笑って去っていく、祖父の思い出である。

2022-12-25 21:34:36
田中希生 @kio_tanaka

いかに失われることが辛くとも、生命維持の道徳を超えて、存在の固有さにたどりつくことがないなら、人文学は空しい。《存在》はけっして情報に還元されないし、だから情報だけを取り出して古くなった肉体を捨てるわけにもいかない。《存在》とは、この世にたったひとつしかない《思い出》なのである。

2022-12-25 21:37:39
田中希生 @kio_tanaka

医者はわれわれの思い出まで回復させない。医者が行うのは、層一層、情報の修復である。それに反対するものではけっしてなく、生命と情報とが今日の道徳を形作っていることを認めざるをえないが、そこにわれわれが生きることのすべてを回収させることもない。すくなくとも自分はそんな生き方はしない。

2022-12-25 21:44:54
田中希生 @kio_tanaka

《記憶》と《情報》は違う。自分が経験した最初の身近な死の際に考えたのはそういうことだ。祖父とはいつでも会えるようになったが、それは祖父が情報になったことを意味しない。自分の精神に彼のための場所があるからこそ、祖父はそこを訪れる。歴史家として、わが精神は記憶の場でなければならない。

2022-12-25 21:49:10
田中希生 @kio_tanaka

しかし、自分はなぜそんなことを考えるのか。若者が「生命」を盾に機会を奪われ続けていることに対する怒りがあるからだが、しかし、一方でなぜ若者はマスクをしているのかという問いもあった。そんなことで他人と出会えるのだろうかと。疫病のために若い三年を棒に振ることになるのに?

2022-12-25 21:57:41
田中希生 @kio_tanaka

多くの場合、欲望は対象に直接向けられていない。欲望は、むしろ少し前を走る誰かに追いつくことを考えている。前近代における多くの戦争が、敵に対する憎悪よりも、味方との競争(先陣争い)によって始まるようなものである。したがって全員がマスクをすれば、欲望は前進せずに収束する。

2022-12-25 22:00:20
田中希生 @kio_tanaka

なぜなら、誰も誰とも出会わないからである。顔を知らないままだとしても、一方的に知らないというよりは、たがいに知らないのだから、すでに他人に追いついている状況であって、その状態を保つほうに行動が傾斜してしまうわけである。

2022-12-25 22:02:56
田中希生 @kio_tanaka

しかし、もちろんそれは「生命」の問題からすれば抹消的なことでしかない。むしろ若者の欲望からなされる麗しき行動を制限していたのは、「生命」のほうである。若者のなかにさえ、それが当たり前のこととして、刷り込まれているから、反逆できない。

2022-12-25 22:12:38
田中希生 @kio_tanaka

「老人が死ぬ」といわれて身動きが取れない若者を見るのは辛かった。老人を守ることが間違っているというのではないが、やはり「生命」が一人歩きし、しかも最強の盾として、若者の行動を萎縮に追いやっているのはまちがいなかった。自分にはそれはまったく新しい封建制に見えたのである。

2022-12-25 22:12:52
田中希生 @kio_tanaka

断っておけば、老人が若者の行動を制限している、というのではまったくない。むしろわれわれの精神の奥底に当たり前のように刷り込まれている「生命」なしに存在できないという観念を問題視している。存在にとって「生命」は重要ではない。それは情報でしかないからである。

2022-12-25 22:15:09
田中希生 @kio_tanaka

われわれの至高の《存在》が真に欲しているのは《生命》ではない。いくつになっても、《生きる》ことが一番である。老人だからといって生命維持を課されるのもまっぴらである。おじいちゃんの前では絶対にマスクするからね、という孫では困る。われわれはもう孫の顔を見れないのか。

2022-12-25 22:17:26
田中希生 @kio_tanaka

リプライありがとうございます。「生命」は21世紀のわれわれが超えるべきひとつの倫理/物語だと考えていいと思います。それを如実に感じる3年間でしたね。 twitter.com/SQOIuLE4WsJgGI…

2022-12-26 00:15:44
史学生 @SQOIuLE4WsJgGIe

@kio_tanaka 「生命」という「大きな」大きな物語ということですか?

2022-12-25 23:58:43
田中希生 @kio_tanaka

繰り返して言っておけば、われわれ日本人は「生命」を行動のアプリオリ/道徳にするか、あるいは「生命」を「情報」に還元しつつあります。それらは不可避であり正しい側面もあるにせよ、「生命」と生きる意志とは異なるものであり、情報と存在とは異なるものであると考えるのも大切なことです。

2022-12-26 00:30:51
田中希生 @kio_tanaka

歴史家として考えなければならないのは、封建制はたしかに1950年代に終わったと思いますが、封建制の衰弱につれて新たな支配——「生命」による支配が始まっていたということですね。

2022-12-26 00:37:14
田中希生 @kio_tanaka

死を扱うのでSNSで話すような内容ではほんとうはないですが、兄弟姉妹の誰かが死ぬことが前提の社会と、老いた者から順番に死んでいく社会とでは、死やかけがえのなさについて、異なる観念が生まれると考えなければなりません。つまりこれについて、ひとびとの思考の歴史的な変化が追えるはずです。

2022-12-26 00:41:10
田中希生 @kio_tanaka

人間は不思議なもので、「家」という観念を高めて家のために滅びるのであり、また「生命」という観念を高めて「生命」のために生きないことを選ぶ。これらは非常に強固なアプリオリティというか、道徳を形成してしまいますから、乗り越えるのが難しくなってしまいます。

2022-12-26 00:52:24
田中希生 @kio_tanaka

今回の疫病にしても、誰かを——ウイルスでさえ——悪者にする考えは自分にはありません。あらゆる対策や報道にも意味はあったでしょう。しかし、とにかく対策や報道もふくめて現代人の行動の前提である「生命」の観念こそが、問題の根幹にある。そこに知識人の批判が行き届いていない気がしますね。

2022-12-26 00:56:31
田中希生 @kio_tanaka

そうですね。レトリックはおおいに自分に欠けているもののひとつです。「レトリック」は仮装の一種だと思っていて、たぶん、自分は軽視しているのです。自分にとって言葉はもうひとつの肉体なんです。つまり「文体style」の問題だと。でもおっしゃることはよくわかります。 twitter.com/SQOIuLE4WsJgGI…

2022-12-26 01:13:57
史学生 @SQOIuLE4WsJgGIe

@kio_tanaka ただ「「生命」の観念」を問題と認識したうえでいかなる叙述(レトリック)に持って行くのか。 社会に鳴り響くような叙述にするのかそれとも対立覚悟でやるのか。 ここは非常に難しい問題であると思われますがどう思いますか?

2022-12-26 01:05:00
田中希生 @kio_tanaka

自分はつねに「対立覚悟」です。レトリックで相手を説得するより、学者として真理に徹することが基本線で、真理探究の過程で対立や否認があっても、気にしません。しかしそれでもおっしゃる問題はよくわかります。それでは自分が救われるだけだからです。ここから葛藤が始まります。

2022-12-26 01:19:14
田中希生 @kio_tanaka

若いころ自分が「明日死ぬなら何をするか、80で死ぬなら何をするか……」なんて言っていたら、先生にこう諭されたことがあります。「それではなにもしないのと同じだ。10年先に死ぬなら何をするかを考えなさい」と。なるほど、と思ってよく覚えています。

2022-12-26 01:30:22
田中希生 @kio_tanaka

10年単位で考えて、着実に進む。《人生》を考えて、その過程でいまはこれができていればいいと考える。自分はいま46ですが、いまなにもかも実現できていなくていいわけですね。危機的とはいつも思っていますが、自分の実力を上げるまで、まだもうしばらく日本社会も待ってくれるでしょう(笑)。

2022-12-26 01:36:47
田中希生 @kio_tanaka

長いようで短い10年のうちに、「実」のある言葉を話せるかどうか。いざとなったら(ロジックや)レトリックも必要になるでしょうが、中身がなければひとはついてこないでしょう。やはりレトリックより中身かなと、ぼくは思います。

2022-12-26 01:47:58
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