吉本隆明「原発をやめる、という選択は考えられない」をめぐる島薗進氏と中島岳志氏の対話
1吉本隆明氏「原発をやめる、という選択は考えられない」(産経8/6)という発言http://t.co/QHI27aO4 は原発のマイナス面を科学と金の力で除去できるはずとの前提に誤り。「お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない」。それが成り立たないことが今は明白。
2011-10-24 08:36:492吉本隆明氏「原発をやめる、という選択は考えられない」(産経8/6)は原発導入時の科学者の発想を理解するのには役立つ。「危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外」なぜ論外なことが起こるのか?現代世界の政治経済システムが関与。これは当初からどこまで分かっていたか?
2011-10-24 08:38:583吉本隆明氏「原発をやめる、という選択は考えられない」(産経8/6)。「人類の知恵が生み出した原罪」。ここで「原罪」という宗教理念を持ち出すのは危うい。中島岳志さん@nakajima1975いかがでしょう?人類の存在基盤を変えてしまうような科学をどう統御できるかが問われている。
2011-10-24 08:41:204吉本隆明氏「原発をやめる、という選択は考えられない」(産経8/6)。氏は生産力の拡大によって人類の福祉と自由が成就するというマルクス主義的ユートピア論にはまった時期がある。その立場の反省はせずに、他方、親鸞を「偉大な思想家」に持ち上げた。その思想的な不整合が原発論に露呈。
2011-10-24 08:42:365吉本隆明「原発をやめる、という選択は考えられない」(産経8/6)原発が人類の福祉に反すると初めから見抜ければ良かったが、そうでなかったのでは?分かってきたにもかかわらず、それを守り続けようとしたプロセスの解明が必要。吉本発言は過去の科学者の弁護論と読めるか(確信犯的旧式保存)?
2011-10-24 08:47:116作業員被害は原発推進が不適切な理由の重い一角。脱原発否定の吉本隆明氏「お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない」。コストが高くて割が合わないから先進国は国内原発撤退傾向。作業員らの安全を配慮すれば割が合わない。それを知り輸出を許す国際社会は変えられる。日本の役割。
2011-10-24 08:49:50@Shimazono 島薗先生、吉本隆明氏の「原発は原罪」という発言への問いを頂きありがとうございます。私は吉本氏の「原発をやめる、という選択は考えられない」という発言に反対です。また「お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない」という発言にも反対です。
2011-10-27 23:42:05@Shimazono お金をかければ完璧な防禦装置をつくることが出来るという吉本氏の発想には、人間の能力に対する過信が反映されていると思います。吉本氏が探求してきた親鸞は、自力への奢りを厳しく批判したはず。親鸞思想から原発を完全に統御できるという考え方は出てこないと思います。
2011-10-27 23:44:30@Shimazono しかし、吉本が原発を「人類の知恵が生み出した原罪」と捉えていることには、重要な論点が含まれていると思っています。宇宙の原理を追求する行為を、吉本は人間であることの根源に据え、その英知に内在する「原罪」の存在を指摘しています。
2011-10-27 23:45:42@Shimazono 原罪の問題は「クライム」と「シン」の問題にかかわると思います。「クライム」は犯罪ですが、「シン」は「人間であることの罪」であり、親鸞が「悪人」と言った時の「悪」は「シン」にかかわる問題だと理解しています。
2011-10-27 23:48:13@Shimazono 原発を進めてきた行政や電力会社には、多分に「クライム」の要素が含まれていると思います。だから原発を法的に規制し、政治的決断によって放棄することは十分に可能だと思います。私は脱原発の方向に漸進的に進んでいくことが望ましいと考えています。
2011-10-27 23:49:12@Shimazono しかし、原子力に関わる原理の追求そのものを止めることは難しいと思います。そこには「人間であることの罪」が関わってきます。吉本氏の原発論の大部分に私は批判的ですが、彼が投げかけた「原罪」という問題は、クローンなどにもかかわる重要な論点だと思っています。
2011-10-27 23:51:59@nakajima1975中島さん応答下さり感謝してます。現代の科学はますます道具的な合理性の追求に引きずられており限定領域の有用知識の拡大に努め真理や知そのものの追求から離れる傾向を強めています。原発推進を後押しする科学の偏りは主に真理追求欲求が導いたものとは言えないでしょう。
2011-10-28 08:30:32@nakajima1975科学が自然と他者を支配する力の追求に引きずられた方向に曲がってきたという問題に向き合う前に急に「原罪」が出て来て神仏や伝統にお任せはよくない。そう述べた上で、経済発展と知の追求に私たち自身が関わって多くの利益を受けてきたこと、それは認めなくてはいけない。
2011-10-28 08:31:52@nakajima1975 『戦争の罪を問う』でヤスパースは「道徳的な罪」と区別される「形而上的な罪」について述べてます。そしてそれは敗戦時の日本人(例・吉田満)が深く感じ取ったものでもあった。http://t.co/MwOpW3Bq 今時の吉本発言は彼等の認識の痛切さから遠い。
2011-10-28 08:39:38@nakajima1975 振り返って親鸞の悪の自覚は?近代の知識人に仏教史や日本思想史の脈絡をはずしてキリスト教=西洋思想概念を持ち込み親鸞を讃美する傾向があり親鸞仏教の位置認識が不明に。親鸞の「悪人」を「原罪」と読み替えて内実不確かな「答」を出す前に仏教倫理思想再考が必要。
2011-10-28 08:42:32@nakajima1975 中島さんが「原罪」に注目されるのには共鳴。私も「原罪」にあたる思想を日本思想の経験に即して考えてきたつもり。『思想の身体 悪の巻』春秋社、2006年。第一章「悪に向き合う宗教」「鼎論 日本人にとって悪とは何か」(藤田正勝・佐藤弘夫両氏と)等。
2011-10-28 08:43:38@nakajima1975 昨日上智大神学部高山貞美氏と関連する対談(中島さんも寄稿する『道の手帖 親鸞』河出、近刊)。そもそも煩悩の重い自覚があるから戒があった。末法の凡夫は戒に従うことはできないと。そうとして戒にあたる倫理性はどこに求めるのか?(応答への応答、以上です)
2011-10-28 09:02:33@Shimazono @nakajima1975 おっしゃる通りです。さらに,キリスト教の「原罪論」もアウグスティヌス[354-430]以降の教義。親鸞の説く「悪性さらにやめがたし,こころは蛇蝎のごとくなり,修善も雑毒なるゆえに,虚仮の行とぞなづけたる」(悲歎述懐和讃)とは異質。
2011-10-28 09:03:08倉田百三等の教養主義知識人、京都学派や家永・丸山等がカントらに影響を受けて作った「宗教」「仏教」「親鸞」理解、要見直しです。@shienkiko @nakajima1975 キリスト教の「原罪論」もアウグスティヌス…以降の教義。親鸞の説く「悪性さらにやめがたし…とは異質。
2011-10-28 12:06:32@nakajima1975 @Shimazono ① 私は吉本隆明氏の言いたい事は、結局最後の回答につきると思いましたhttp://t.co/xeQYARFU
2011-10-28 14:15:16@nakajima1975 @Shimazono ②「僕はある程度名声も得たし、経済的にも困窮するような事態には陥らないで死んでいけそうなんで、自分と家族の安全があれば別にいいです」私には、彼がそう言っているとしか思えません。http://t.co/xeQYARFU
2011-10-28 14:16:53@nakajima1975 @Shimazono ③ですから、もうこの方は、社会的な意味のある存在としては、既にお亡くなりになっているのだと思います。
2011-10-28 14:19:12@nakajima1975 @Shimazono ばななさんのお宅だって、イザとなれば九州に引っ越したり、西の野菜を取り寄せるくらいの経済力は十分あるでしょうから、孫への心配もないでしょうしね。
2011-10-28 14:33:39@Shimazono @nakajima1975 残念ながら、そのような高尚な絶望感を私は吉本氏の発言に感じませんでした。何を感じたかは、②③でツイートしてます。
2011-10-28 18:32:44