人文学者によるマスクを外す意味

5類指定前の記録その2です。比較的短めにまとまったかなと思います。
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田中希生 @kio_tanaka

さて、「表情」がにわかに問題概念となったのは19世紀のことである。ダーウィンによれば、それは高等動物の証なのであり、しかも表情は、犬が尾を振るように、意識よりも「衝動」と結びつく、いわば非理性の産物だった。社会進化論的な潮流のなかで、その見解は広まっていった。

2023-01-29 10:56:30
田中希生 @kio_tanaka

前近代の肖像画同様、19世紀の写真の被写体はまだ「無表情」だが、非理性の産物とされた表情こそ人間の進化の証とするダーウィンの見解は、写真の流通とともに広がっていったと思われる。化粧も変わる。表情の否定であった化粧から、表情のための化粧へ。近代とは、表情解放の時代なのである。

2023-01-29 10:59:17
田中希生 @kio_tanaka

われわれは、笑いを堪えるのが容易でないのを知っている。怒りも涙も同様だ。意識して表情をコントロールするが、現実にはまったくコントロールできていない。場をわきまえぬ非理性の産物である表情をなんとか制御しようとして、ひとは眉を抜き、歯を黒く染めた。表情は恥ずべきものだったのである。

2023-01-29 11:04:09
田中希生 @kio_tanaka

しかし、表情が人間以前の古い起源をもつのについで、表情とは恥ずべきもの、という感情の起源もまた古い。この感情を振り払うのは簡単なものではない。前近代絵画の庶民のあふれる「表情」と貴族の「無表情」とを比較すればわかる。近代とは前者の肯定だが、そこにいたる長い歴史を必要とした。

2023-01-29 11:09:44
田中希生 @kio_tanaka

われわれは、大人になるにつれ、意識しては、つねに表情をコントロールしようとする。怒りを抑え、作り笑いを浮かべる。しかし、それは意識のうえでの話であって、ほんとうに笑っているかどうかなど、誰でもわかる。意識の制御を表情はつねにはみ出しているからである。

2023-01-29 11:14:21
田中希生 @kio_tanaka

平安絵巻の民衆はいつも笑っているが、その一方で貴族の表情を読み取るのは容易ではない。それは貴族にふさわしい理性の表れではあるが、現実にはそんなことが不可能なのは誰でもわかる。貴族は表情の吐露のため「歌」を必要としたが、歌を待たず涙や憤怒が漏れ出していただろうことは想像に難くない。

2023-01-29 11:19:10
田中希生 @kio_tanaka

有島武郎によると、公衆の面前で鞭打たれた人間は笑うという。痛みに対する恐怖より、恥ずかしいからである。近世日本の庶民は笑顔だった、という外国人の記述を素直に信用できるおめでたい近代史家がいるが、「笑い」はそれほど単純なものではない。笑顔は表情を隠すのに用いられることがある。

2023-01-29 11:27:09
田中希生 @kio_tanaka

恥ずかしいという感情を隠す笑いもまた恥ずべきものであるなら、顔を隠すしか手がない。この感情は、ときに鞭打たれる恐怖に打ち勝つほど強いものであり、また武士が切腹したように、ときに死を選ぶほどに強いものだ。この「恥」を捨てて生きる生き方にいたるまでに、人間は長い歴史を必要とした。

2023-01-29 11:33:19
田中希生 @kio_tanaka

現代日本人がこれほどマスクを手放せなくなっている原因は、ひとつは死の恐怖だが、もうひとつは恥ずかしさである。自分だけが顔/表情をみられることの非対称性に耐えられない。マスクを外すや、すべての他者に顔を、表情を——つまり精神を覗き見られるレヴィナス的状況におのれを陥らせる。

2023-01-29 11:41:44
田中希生 @kio_tanaka

こうして、日本人はみずから前近代的選択に逃げ込むようになってしまった。自分はこの状況をそうとう心配しているが、一度この流れが生じたら、これを逆流させるのは簡単なことではない。表情にまつわる近代的原則について合意のない社会で、自分の言論だけでどうにかなるものではない。

2023-01-29 11:47:56
田中希生 @kio_tanaka

死の恐怖を語る人間の声はますます大きくなるだろうが、大多数の人間は、これを恥の概念にもとづいて、しかもこの恥を死で隠すことによって、マスクを選んでいる。たんに医療上の効果だけで選んでいないのである。こうした人間の社会性について、現代日本は無頓着でありすぎた。

2023-01-29 11:50:40
田中希生 @kio_tanaka

科学主義に陥った日本人にとって、その行動を変えるに有効なのは、マスクに科学的な効果があるのか・ないのか、だが、効果のあることを証明するのは難しいが、ないことを証明するのはもっと困難である、という問題が立ちはだかる。ならば人文学的な意義は? 日本の人文学は薄弱にすぎる。

2023-01-29 11:54:55
田中希生 @kio_tanaka

日本人は、津波を防ぐため、海の見えなくなるほどの堤防を作った民族である。諸外国との交流より鎖国を選ぶ民族でもある。堤防も鎖国も結果に対して意味がないのだが、すこしはある、と考えるなら、有意味を反転させるのは容易ではなくなる。論理的には、次は、この有意味を遅延の問題にするしかない。

2023-01-29 12:05:41
田中希生 @kio_tanaka

海がみたいと言っても、津波が来たらどうするんだ、という意見に、前者は勝てない。生きることと命とでは、後者が重く、あの堤防は、その結果である。ところで、国家は原則として堤防国家である。堤防が被害を重くするとしても、堤防を作るのを人間はやめられない。だから国家もなくならない。

2023-01-29 13:27:19
田中希生 @kio_tanaka

以前、《マスクをしてもコロナは蔓延している。だからマスクをはずそう、というのは、ジャケットを着ていても寒い、だからジャケットを脱ぐというのと同じだ》、という意見を目にした。この比喩は一種の社会的効果をもっているが、前者は、網で矢を防ぐことはできない、と言っているのである。

2023-01-29 13:30:42
田中希生 @kio_tanaka

網で矢を防ぐ効果を認めるとしよう。降り注ぐ矢のなか網を鎧に戦っているのだが、彼はいずれ死んでしまうだろう。ちなみに、網で矢を防ぐ確率は、網をまとわないよりは高いそうである。つまり0%ではない。しかし時間の問題であることにかわりはない。したがって問題は時間である。

2023-01-29 13:36:05
田中希生 @kio_tanaka

そもそも、この矢で死ぬ確率は1%に満たない。つまり刺さってもほぼ死なないが、この1%未満を恐れて網を被り続けるとしよう。ところで、この網が矢を確実に防ぐ効果を多めに見積もって80%ほどとしよう。つまり、刺さっても死なないことを知らず、網のなか80%もの人間が生きていくことになる。

2023-01-29 13:47:23
田中希生 @kio_tanaka

まあいいや。結局のところ、人間が「国家」を作る——堤防国家を。現代日本のように国家が責任を果たせないとなれば、国民自身がひとりひとり国家を築いてしまうようなことも起こってしまう。まるで港の門を開くように、札をもったひとだけを通す。一見さんお断り、というわけだ。

2023-01-29 14:06:33
田中希生 @kio_tanaka

ときどきロケットニュースをみて笑っているが、去年みた、とてもよい記事のひとつだった。 【そのパターンは…】放射能汚染で全てが封鎖されていた福島県 夜ノ森駅周辺 → 2年ぶりに来たら思ってたのと違った rocketnews24.com/2022/10/12/169… @RocketNews24より

2023-01-29 16:46:30
リンク ロケットニュース24 【そのパターンは…】放射能汚染で全てが封鎖されていた福島県 夜ノ森駅周辺 → 2年ぶりに来たら思ってたのと違った 2011年3月11日の東日本大震災によって、原発周辺が長らく立ち入りのできない場所となってしまったのは、皆さんもご存じの通り。 とはいえ、復興は着々と進んでいる。先 … 5 users 32
田中希生 @kio_tanaka

お返事するか迷いますが、ともあれリプライありがとうございます。その通りと思いますが、立場によってみているものが違いますから、たとえが成り立っているかどうかは別の話ですね。 twitter.com/akisumitomo/st…

2023-01-29 16:50:38
住友陽文 @akisumitomo

網でも目が細かければ、矢は防げます。事実の問題として。マスクも同じ。ウレタンや布では不織布より難しいので、そういう相対的な問題でしょう。 twitter.com/kio_tanaka/sta…

2023-01-29 14:17:03
田中希生 @kio_tanaka

科学者は、与えられた条件のなかで実験ないし計算して、その結果を語るでしょう。その計算結果をわれわれは社会に適応するにほとんど迷いがないほどに、科学主義ですが、人文学者としては、ウイルスとは別の弊害を気にせざるを得ない。だから単純ではない、と言っておきたいだけですね。

2023-01-29 16:53:05
田中希生 @kio_tanaka

誰も言わないのにマスクを一億の人間がしだす、というのは、わりと異様なことです。それについての心配を、科学的に正しいからと人文学者が表明しないことを、自分は心配しています。科学の結果が条件を変えれば覆ることを、われわれは何度も見てきました。社会政策とここまで密に連動させていいのか。

2023-01-29 16:58:19
田中希生 @kio_tanaka

われわれ人文学者はべつに科学者の拡声器ではないので、科学者のいうことを拡声器のごとく信頼して代弁する必要はない。必要があれば用いるでしょうが、人文学者としていうべきことをいうのが先です。顔をマスクで隠し続けることの人間的心配はないとは言えないからです。

2023-01-29 17:03:40
田中希生 @kio_tanaka

仮に自分がこう言ったとしても、ひとは科学を信じるでしょう。それでかまいませんが、人文学者としての心配を表明するのを怠ることはできません。安倍政権はコンクリートの堤防をつくり、そして生活から海が失われました。人間の命を守るために。どちらが正しいか、悩むのが、本来の人間の姿です。

2023-01-29 17:07:10
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