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【北伐論】諸葛亮と姜維の軍制の違いについて

三国志に詳しい@Jominian氏と@sweets_street氏の議論のまとめです。三国志好きの皆様にぜひ見てほしいという考えと、ところどころ私の知識では追いつけないところがあったので、今後の復習用も兼ねてまとめました。 諸葛亮と姜維の組織した軍の違いと、その立場の違い、姜維に課せられた条件の厳しさと諸葛亮の凄さを改めて実感できた議論でした。議論をもとに正史を読み直すだけでも新しい発見があり、とても勉強になります。
歴史 姜維 諸葛亮 北伐 三国志
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Jominian @Jominian
http://t.co/2EXI2TWc 5年も前から思っている事だが、前後左右中の監軍や護軍は、姜維の時代になると途端に消失する。これは、諸葛亮と姜維の間で、戦力の運用について明確な変更があった事を示唆している。また、前後左右の監軍は魏では見られない。
Jominian @Jominian
ただ二例、華陽国志において陳祗が中護軍であった事、中監軍前将軍の胡済が督漢中となった事が、中監軍や中護軍が姜維の時代に居た事を示している。だが、前者の真偽は分からず、後者の中監軍が姜維の時代かは分からない
Jominian @Jominian
司馬昭が諸葛亮の囲陣用兵倚伏之法を研究した理由も、諸葛亮の用兵が特異だったからではないか?そして諸葛亮のやり方には、護軍や監軍の存在が不可欠だった。
Jominian @Jominian
監軍や護軍を野戦軍に配し、督左部や督前部などの司令官を置く事でできる事。それを考えると、諸葛亮の用兵が見えてくるだろう。
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian 中級指揮官と幕僚組織が充実してるということは、戦略単位を小分けにできるということと、万事に処理が早くなるということですね
Jominian @Jominian
@sweets_street そうですね。諸葛亮の八陣図を見て常山の蛇であると語った桓温の言とも一致します。複数の戦略単位からなる軍を、監軍等を配置しつつ、伝令を充実させる事で自由に動かす。戦術面でも戦況に応じた予備の投入も適宜行えるようになる。諸葛亮の用兵の妙はそこにあるかと
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian それだけに中級指揮官や幕僚に求められるものも多いですね。諸葛亮は人事に疎いと言われがちですが、これだけ優秀な幕僚を集めたのですから、相当なものだと思います
Jominian @Jominian
@sweets_street 人を集める事は、劉備の死の直後から始められてますね。最初から構想はあったのでしょう。丞相府を肥大化させたのは、軍事面での彼の構想もあったはずです。人を見る目もそうですが、そうしたシステムを作り上げた事に諸葛亮の凄さがある。
Jominian @Jominian
姜維は恐らく蜀で最強の指揮官だった。だが、強過ぎる程に強いが、魏から見ても分かりやすい強さだった。しかし諸葛亮は、強い上に、何故強いのかが魏の人間には分からなかった。どうやって諸葛亮のように軍を動かすのか分からなかった。だから研究させた。
Jominian @Jominian
しかし、魏がその研究を始めた時には、諸葛亮の作ったシステムは解体され、残骸しか残っていなかった。それを断絶させたのは姜維である。姜維の最大の罪は、蜀を滅ぼした事ではなく、諸葛亮の軍事制度を後世に残さなかった事である。
Jominian @Jominian
@Jominian こういう視点での姜維批判は恐らく史上初だな
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian 衆に抜きん出た人物なんてそれほどいないわけで、大切なのはむしろ自分の意を体して動く手足となる人物を多く集めて、適所に配することなんですよね。これができる人物は、戦争に勝ったり戦略を練ったりできる人物より稀有です
紫電P @sidenp
@Jominian 少なくとも、私は三国志に触れてから二十二年間で初めて見ました。
Jominian @Jominian
@sidenp 恐らく、こうした批判は司馬昭から先、私までいなかったでしょう。奇しくも私が自分と似ていると公言して憚らない司馬昭です。司馬昭は当初から父や兄を通じて、蜀を滅ぼしたら諸葛亮の軍事制度を研究するよう言われていたのだと思います。司馬昭は姜維に相当歯軋りした事でしょう
Jominian @Jominian
@sweets_street そういう点でも、諸葛亮の人の使い方は相当だと思います。公正さというだけではなく。
Jominian @Jominian
惜しむらくは、諸葛亮の作ったものは完璧すぎて、諸葛亮にしか使いこなせなかった事だ。司馬懿はあの世で知った事だろう。諸葛亮の凄さは制度そのものではなく、それを使う事のできる諸葛亮自身にあったのだという事を。
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian 司馬懿は与えられた軍を与えられた条件の下で使いこなして勝敗を決する将ですが、諸葛亮は理想とする用兵をするために、自分専用の軍を作りました。司馬懿はさぞうらやましかっただろうと思います。それが「天下の奇才」という評価でしょう
Jominian @Jominian
@sweets_street 恐らく、五丈原の陣地に残された僅かな文書などから、諸葛亮の強さの一端を垣間見たのでしょう。そして息子たちに、いつか蜀を攻める時が来たら、それを探して我が物とするよう伝えた、と。
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian それを望んだ司馬懿親子の作った晋が個人の人間性と能力に大きく依存した体制だったということと、それゆえにあっけなく崩壊したと言うのは皮肉ですね
Jominian @Jominian
@sweets_street 司馬懿はまだしも、普通の人間では誰であろうと諸葛亮の真似事はできないという事ですね。姜維はそれが分かっていたので、敢えて諸葛亮を捨てたというのを含めて、あの流れはドラマがあります。
Jominian @Jominian
姜維の話をしようと思っていたら、いつの間にか諸葛亮の話になっていた
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian 理想の軍を創り上げるために、自分に権力を集中して、政軍両方で自由な采配を振るうという発想が、姜維にはなかったのではないかと思います。精鋭を揃えて、兵站を整備する以上の発想はできなかったんじゃないかと。諸葛亮の発想が異常なので責めるべきことではないと思いますが
Jominian @Jominian
@sweets_street 少なくとも軍隊の整備に関しては、姜維は深く関わっていたので、諸葛亮が何をしていたかは分かっていたでしょう。そして、姜維もまた異質で、彼は戦略思想から違っていた。恐らく、姜維の考え自体も異質なので、諸葛亮のやり方とは合わなかったのだと思います。
お菓子っ子 @sweets_street
@Jominian 僕が姜維と諸葛亮の最大の違いと思うのは、姜維には腹心らしい腹心がいなかったということですね。自ら後輩や部下を引き立てて育てたという話がないんです。彼の構想ではそういう人間は必要なかったんだろうと思っています
Jominian @Jominian
@sweets_street 彼の理想とする軍隊において考えるのは姜維一人で良いので、恐らくその指摘は正しいです。どういう布陣をし、どういう機動を行えば敵を撃破できるかが姜維の頭に描けていて、後はそれを実行するだけなので、指示を聞く人間だけで良い。その弊害が蜀征伐で顕在化しました
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コメント

紫電P @sidenp 2011年10月30日
最後の部分が抜けていたので追加。
神月P/新ちゃん @kamitukiP 2011年10月30日
これは「こういう議論があった」と広めておく話だ。 しかしこれを読むと、諸葛孔明がますます化け物的人物に見えてきて怖い。
紫電P @sidenp 2011年10月30日
被った所を再編集
紫電P @sidenp 2011年10月31日
翌日深夜~朝の感想の交換について追加させていただきました。
紫電P @sidenp 2011年10月31日
抜け落ちていた部分を再編集しました。
思考機械@原付一種を愛でる教 @thinking_m 2011年10月31日
戦略単位を小分けにして、処理や行動を速くする。それを率いるそれぞれの指揮官は多くを 求められる故、優秀な将校が必須ってな辺りがナポレオンの用兵とダブったのはあちきだけかな?
s_doi @s_do_i 2011年11月6日
諸葛亮の護軍監軍により軍の指揮するやり方は命令方式というより訓令方式に近いかな? プロシャの大モルトケが組織した参謀本部システムの作戦参謀による野戦軍の遠隔コントロールの仕組みに似ている。
緑一色( •̀ㅂ•́)و @Allgreen76 2012年6月22日
おいらもプロイセンの参謀本部システムを連想した(´・ω・`)
緑一色( •̀ㅂ•́)و @Allgreen76 2012年6月22日
孔明をいう人は発明好きだったというけど「できないものをできるように工夫する」のが好きなマゾヒストだったのかもしれない。まさかそれで仕官先に劉備を選んだんじゃあるまいな(´・ω・`)
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