【キャラを知る】 プロットの是非論 【己を知る】

職業的漫画原作者で元編集者でマンゼミ作者の喜多野土竜さんが、漫画におけるプロット論について論じていたので、竹の子書房向けの覚え書きとして。 物語を、ネーム>下絵>完成稿と仕上げていく漫画と、プロット>完成稿と仕上げていく小説とでは必ずしも一致する部分ばかりではないのだけど、ストーリーメイキングで悩む人の参考になる話。 「設定が上滑りしてキャラが立ってない」 「話はいくらでも長くなり滞空時間は長いのだが、いつまで経っても落ちてこない上に話を終わらせるときはいつもハードランディングである」 「作者(と主人公)にとっていつも話が都合良すぎる」 続きを読む
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喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

プロットについて・01)編集者や専門学校、大学のマンガ学科などでも、作品作りの第一歩はプロット作りという人間は多い。自分も昔はそういう指導をしていた。でも、ある時期からこの考え方に疑問をもつようになった。少なくとも、素人や投稿者、新人には有効ではないのではないか……と。

2011-11-02 14:12:08
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

02)プロットの有効性を解く人は、物語の方向性がブレないとか、考えを整理するのに良いと力説する。その側面は否定しない。また、ベテランの作家の多くがプロットを推奨されているという経験則を言う人もいる。これも否定しない。しかし、投稿者とベテラン作家は分けて考えるべき。

2011-11-02 14:15:55
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

03)ベテランは物語のポイントとなる部分を抽出する技術と経験値があるので、プロットをザッと作っておけば、作業が短縮できて効率的である。逆説的に、作業効率化の方法論を経験値が不足した投稿者や新人にやらせても、かえってプロットの方向性に束縛され、自由度がなくなる。

2011-11-02 14:18:06
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

04)自分の場合、原作を勝手にマンガ家に変えられることは多々ある。ただ編集も経験している身としては、作品作りは生き物だと認識している。マンガ家と編集者の打ち合わせの中で、実際にネームにしたらシックリこない部分や、逆に想像力を刺激され膨らむ部分が数多くある。むしろ、ない作品はダメ。

2011-11-02 14:20:24
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

05)ところが多くの投稿者や学生を相手にしていると、プロットに拘るあまり、生き物としてのネーム作りを窮屈にしている人間のほうが多い。マンガ家は小説家ではない(そういう資質を持った人もいるが)。セリフと絵が一体となって場面を構成しているので、それを文字で抽出するのは苦手な人が多い。

2011-11-02 14:22:41
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

06)なので自分はある時期から、「予定は30ページだけど、60ページになってもいいからとにかくネームで起こして」と言うようにした。完成度は低くても、その作家が書きたいと思っている点を全部吐き出させて、その上で全体を俯瞰してネームを叩く方が、手間はかかっても完成度は高くなるのだ。

2011-11-02 14:25:56
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

07)そもそも、プロットとは何か? それは、演劇や映画の世界で、長大な脚本を読む手間を減らすために、物語の概要をまとめてダイジェスト化したものであって、実は作品の完成度を高める手段と言うよりも、100ページ前後もある脚本を読んで時間をムダにしたくない、手抜きの発想から生まれた。

2011-11-02 14:28:11
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

08)コレ自体に、考えをまとめるための手段としての効能があることは、否定しない。しかしそれは、自分で自分の作品を客観視し、調整する能力が高い作家には有効でも、大多数の人間には難しい。そういう調整能力に長けた作家は、そもそも編集との打ち合わせすら不要なことが多いのだ。

2011-11-02 14:30:28
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

09)作品とは、計算尽くの部分から生まれるものではない。起承転結がしっかりしていて、受けそうなキャラクターを配置し、派手な事件を組み合わせれば傑作ができるのなら、誰も苦労はしない。そういう要素を食いあわせれば傑作ができるのではなく、傑作はそういう要素を含んでる、ということ。

2011-11-02 14:33:03
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

10)そもそも作品とは、書き手の自覚していない無意識下の不満とか欲求とか葛藤などが、フッと浮上した時に良いものが生まれることが多い。ところがプロットというのは客観化・自覚化の作業なので、プロット段階で無意識化の要素が浮上していないと、ただ型を追うだけになってしまう。

2011-11-02 14:35:50
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

11)だから投稿者や新人はプロットなんか作らず、話が右に行ったり左に行ったりしていつまでも終わらないとかの経験を何度でも繰り返し、経験値を貯めこむことが地力になる。そうやって失敗の経験値が積み重なると、次の作品作りではその失敗が生きる。失敗は成功のマザー(by 長嶋茂雄)。

2011-11-02 14:38:22
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

12)自分が推奨しているのは、プロットを作ってからネームを作るのではなく、ネームを作ってからプロットを作れ、という手法。自分の無意識下を引きずりだしたごった煮状態の作品を、一歩引いて俯瞰して、不要な部分や不足した部分を客観視するのだ。順番は違うがコチラのほうが完成度が高まる。

2011-11-02 14:41:14
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

13)もちろん、多くの作家は客観視が難しいので、そこで編集者の役割が生きてくる。逆に言えば、編集者に必要なのは徹底的な客観視の能力。作家は作品にのめり込んで視界狭窄に陥りがちなので、そこで一歩引く。作品の展開のキモを抽出し、単純化すればそれがプロットになるのだ。

2011-11-02 14:44:01
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

14)こういう経験を繰り返せば、作家の中に自分なりのパターンと言うか、得意技がいくつか生まれる。そうなると、物語を強引だと気づかせずに強引にエンドマークを打つ技術が育つ。そこまで行けば、おおまかなプロットを元に作品作りをしても、途中で破綻しても、なんとか着地させられるようになる。

2011-11-02 14:46:29
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

15)これがより高い段階に至ると、ひとつの単語やワンシーンのイメージが浮かんだだけで、物語にすることが可能になっていく。本宮ひろ志先生は冬の日本海を歩く母娘のイメージから『男樹』を発想し、勝新太郎はライターが出した3つの単語からTV版座頭市の物語を発想した。

2011-11-02 14:49:26
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

16)しかし、ココら辺は経験値が高い人間の手法であって、それをマネしても投稿者や新人には失敗することが多い(稀に天才型はそれができる)。宮崎駿監督はシナリオなしでいきなり絵コンテを書いて『未来少年コナン』を作り、魔夜峰央先生はネーム無しで下書きに入るが、それをマネしても難しい。

2011-11-02 14:53:19
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

17)よく例えに出すが、自転車に乗れる人間は、乗れなかった時の感覚を思い出せない。プロットや、場合によっては単語から物語を作れるようになった人間は、昔自分がどう試行錯誤して作品作りの文法を確立したか、忘れていたり記憶を組み替えたりすることが多い。

2011-11-02 14:57:13
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

18)いや自分は最初から担当に言われてプロットから作品作りをしていたと言い張る人もいるかも知れないが、それは実際はネームづくりでの試行錯誤がフィードバックされ、プロットがまとまるようになっただけ。逆にマンガ家なら、キャラが勝手に動き出して予定外の成長をしたという経験があるだろう。

2011-11-02 14:58:54
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

19)それは、自分の無意識下にある欲求や葛藤や人格がキャラに投影されて、型から脱して自由に動き出したから。作品作りは生き物とは、そういうこと。物語は自分の中の問題とシンクロしていないと上滑りするように、キャラも自分の人格の一部が投影されていないと、本当には生きてこない。

2011-11-02 15:01:52
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

20)ココら辺の話は、マンゼミで詳しくやりたかった部分でもあるので、あくまでも概要だけ。マンガ家が読み切り作品を描く機会が減って、訓練するまもなく連載に入ってしまうことの弊害も含めて、ココら辺の問題は根深く思い込みと前例踏襲が跋扈している。

2011-11-02 15:06:01
@IsagiTachibana

@mogura2001 漫画描き講師業をしている者です。漫画を描くのは初めてという学生の場合、ページ数と『主人公が○○する話』というテーマとあらすじ、登場人物を書き出させる「プロット」を作らせてます。そうしないと10人くらい登場させて、40Pのプロローグを描く確立が高いのです。

2011-11-02 14:46:59
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

@IsagiTachibana 重要なのは、そういう作品を「描かせない」ことではなく、登場人物10人の40ページのプロローグを描かせて、なぜそれではいけないのかを本人にも分かる形で納得させ、ではどうするかの方法論を、本人の書きたいものの全体像から俯瞰して叩くことです。

2011-11-02 15:08:32
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

@IsagiTachibana そして、そういう作品を描いてしまう生徒というのは、だいたいが既成作品の影響を受けた借り物でしかないので、そこを的確に指摘すること。そこで教える側が楽してもしょうがないと自分は思うんですけどね。まずは連載作と読み切り作の違いを、ちゃんと説明しないと。

2011-11-02 15:12:27
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

個人的には、マンガ家が生徒を教えることに関しては、問題点もあると思っています。マンゼミの前書きでも書いたように、ンガ家はスペシャリストであればいいですが、人を教え育てるのはゼネラリストでないと。多種多様な個性を持つ生徒を教えようと思ったら、対応能力が必要です。

2011-11-02 15:14:35
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

村上もとか先生のアシは、デビュー39年で40人ほどとか。自分の場合だと1年目で20人ほどの作家を担当し、新人育成の必要性を感じたため毎年20人以上の投稿者を見ていた計算。10年で80人ほどの作家と作品作りをし、100人以上の投稿者のネームを最低1回は見て打ち合わせた計算に。

2011-11-02 15:21:00