『安全性の考え方』武谷三男編/岩波新書(1967) 書評まとめ

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もこ @ballyturkmoco

『安全性の考え方』武谷三男編/岩波新書(1967) 55年前に発行された本 ニッポンの産業優先人命軽視の企業姿勢・行政対応は半世紀を経てほとんど変わっていないのだなぁ…ということがわかる スレッドで一部紹介してみます↓

2022-10-17 21:34:11
もこ @ballyturkmoco

日用品の人間への危険性というのは、ほとんどが、静かにゆっくりと、人々が気づかないうちに悪い影響を与えるというものが多い。(P16)

2022-10-17 21:37:39
もこ @ballyturkmoco

(前略)何か人間に被害のでることが推測されるようなことが起こったら、まず“疑わしきは中止する”ことが、生命を尊重する行政態度であるはずだ。しかし、厚生省はいつも“まだわからないから”といって、使用・製造中止へは決して踏み切らない。(P17)

2022-10-17 21:43:25
もこ @ballyturkmoco

(前略)そこに働く人々の前途に不安が生れると、作業は投げやりになり、整備も行われなくなる。そこから事故がふえ、災害が起る。(P43)

2022-10-17 21:51:03
もこ @ballyturkmoco

技術は人間の生活を豊かにするためにある。安全性を考えに入れない技術は、すぐれた技術とはいえないし、それを完成された技術として売りこむような態度は許されない。(P45)

2022-10-17 21:55:56
もこ @ballyturkmoco

(前略)研究者にも、技術者にも安全性についてきびしい判断を持つことが要求される。この判断の習慣をつけることは、教育の仕事である。消極的で内容のはっきりしない安全率の数字を教えるかわりに、安全を第一に重視する思想と、そのあらわれである技術を教育の基礎におくことが、これからの→

2022-10-17 22:01:32
もこ @ballyturkmoco

→科学教育の任務である。このことは、社会を健康に保つ技術である医学についてもあてはまるのではなかろうか。(P45)

2022-10-17 22:03:51
もこ @ballyturkmoco

企業の中に働く人々に対しては、一つ一つの場面で、企業の利益と自己の人間の立場のどちらをとるかを考えてほしい。自分が食べる食品が汚染されていたらどうなるか。自分の呼吸する空気は安全なものなのか。(P45、46)

2022-10-17 22:08:10
もこ @ballyturkmoco

<ちょっと休憩…まだ続きます(たぶん)>

2022-10-17 22:16:14
もこ @ballyturkmoco

サリドマイドは睡眠薬として使われていたのだが、一九六一年ごろ、西独のレンツ博士が、あざらし症奇形児が急増していることに目をつけて調査して、サリドマイドとの関係が深いということを発表したのだった。(中略)このニュースは直ちに世界中に流れて、各国とも多少のズレはあったが、まず→

2022-10-17 23:19:43
もこ @ballyturkmoco

→サリドマイドの販売を停止するという措置をとった。しかし、わが国の薬学会や厚生省は、サリドマイドと奇形児発生との因果関係が、まだはっきりしない、と主張し、半年間も発売禁止をしなかった。そのあいだに、数百例のあざらし児が生まれてしまったのである。(P152)

2022-10-17 23:23:01
もこ @ballyturkmoco

サリドマイドの事件は、薬の動物実験を、そのまま人間にあてはめることが、危険を伴うことをはっきりと示した。動物実験で安全、ということで、売り出されたものであっても、そのまま「安全」ということではないのである。(P152)

2022-10-17 23:26:34
もこ @ballyturkmoco

もうひとつの教訓は、たとえ一例であっても、“危ない”ということがわかったら、直ちにその使用を中止しなければならない、ということである。薬と奇形との因果関係は、レンツ博士が指摘した時には実験的には証明されていなかった。はっきり証明できるまでには、実に5年以上もの歳月がかかっている→

2022-10-17 23:32:34
もこ @ballyturkmoco

→のである。しかし、西独などでは、まず使用を中止した。そうしておいて、因果関係の究明に乗り出したのである。「危うきは罰する」というのが安全性の哲学である。ところが、わが国の薬学界や政府は、「疑わしきは罰せず」という裁判の原則をタテにとった。その結果がニ〇〇例にものぼるあざらし児→

2022-10-17 23:38:57
もこ @ballyturkmoco

たちを生み、いまだに国と製薬会社を相手とする訴訟に勝利をおさめることができないままに、不自由なからだで、小学校進学の時期を迎えようとしているのである。(P153)

2022-10-17 23:40:52
もこ @ballyturkmoco

わが国の医学の、科学としての方法論の欠如、製薬資本の“人間不在”の商業主義、それに便乗する医学者、それらを大きく包んで守ることによって、自己の責任を放棄する厚生行政、広告収入に搦手を握られているマスコミのもろさーわれわれを取巻いている社会は、国民のからだの安全を守る、という根本の→

2022-10-17 23:46:11
もこ @ballyturkmoco

ところで、哲学を欠いている。(P154)

2022-10-17 23:47:01
もこ @ballyturkmoco

日本では安全問題の解決が非常にむずかしい。それは主として、自分が利益を得るために災害を発生させたり、災害を放置する一部の人間がいて、真実の追求や正しい処置を妨げようとするためである。この、被害者を苦しめている人達、いわば加害者の妨害のやり方はいろいろあるが、要するに、事実を→

2022-10-18 00:14:14
もこ @ballyturkmoco

→あいまいにして責任をのがれるのが目的であるから、数量的なデータにもとづき正しい議論をしようとする立場と正面からぶつかるのである。実は、この面が安全問題を自然科学の問題に解消してはならない最大の原因でもあるのである。 (中略)一般に、加害者側は、金まわりがよく権力も持って→

2022-10-18 00:20:34
もこ @ballyturkmoco

→いて、各分野の権威ある専門家を味方にしている。それにたいして被害者は、経済とか科学とか、自分のよく知らない領域で加害者と対決させられ、議論の中でごまかされることが少くない。そのため、安全問題を正しく解決するのに、加害者側の妨害やごまかしをつぶすのがもっとも労力のいる仕事に→

2022-10-18 00:25:19
もこ @ballyturkmoco

→なってしまっている。(P156)

2022-10-18 00:26:02
もこ @ballyturkmoco

災害の予測は、簡単のためにいくらかの前提条件が成り立つと想定して試算される。前提条件としては、気象状況や栄養状態のように、変動のあるものを平均的なもので代表させたり、理論式を用いて現実を理想化させたものなどがよく用いられる。どのように条件を想定すればもっとも現実に適合するかが→

2022-10-18 00:33:20
もこ @ballyturkmoco

→わかっていればそれを使い、もしよくわかっていなければ被害者にとって安全側にゆとりをとるのが良心的なやり方である。ところが加害者達は自己の利益がもっとも多くなるようにゆとりをとってしまう。(P163)

2022-10-18 00:35:55
もこ @ballyturkmoco

安全問題を科学的に追求する際、困る点は、ほんとうの条件では実験できないということがある。模型実験や動物実験の結果から類推しなければならない。この時、都合のよいように拡大解釈をしたり我田引水をしたりする。(P164)

2022-10-18 00:40:41
もこ @ballyturkmoco

災害を防ぐためには、危険物にたいして目安になる限度を定めるのが普通である。その値は、ある単位について定められる。これを保証単位という。保証単位が被害者の立場から見て不適当であれば、その限度は役に立たない。(P165)

2022-10-18 00:44:06