「幻想巡礼 ~Electronic Magician.」メモまとめ(仮
- shibayann_
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~その発見が今、あなたを動かす~ 大変お待たせいたしました! ただいまより、2月25日 (土)開催の 42ndサタデープログラムの申し込みを開始します。 今回も前回と同様に完全予約制となっております。 詳しい情報はサタプロホームページへ! satprogram.net #サタプロ #サタデープログラム pic.twitter.com/xXqcIk0OhL
2023-01-11 18:00:31内容メモ
Iwanaさん
記憶が薄れないウチに今日の東海高校でのZUNさん講演会の概要を書き起こす ※メモと記憶を頼りに書いているので若干不正確な点があります (リプツリーに続く)
2023-02-25 23:21:37幕が上がって神主登場 前方のスライドには大きく霊夢の絵と、「出てくる人 東方Project原作者ZUN」の文字 ZUN「スライドは行きの新幹線の中で作りました(笑)」
2023-02-25 23:22:04ZUN「講演会ってね、今までもう結構やり尽くしちゃって語ることがないの。でね、こういう会で一番盛り上がるのは何かって言うと、質疑応答。なので今回は90分間全部質疑応答でやろうと思います」(会場から割れんばかりの拍手)
2023-02-25 23:22:19(前半が司会からのZUN氏人生振り返り質問、後半が客席からの質問) 司会「ゲームや音楽に触れたのはいつから?」 ZUN「いつからかって言うと保育園からになる。実家が喫茶店やってたので、ご飯テーブルがそのまんまゲーム台になってたものだから」
2023-02-25 23:22:31司会「印象深いゲームは?」 ZUN「こういう話、皆の世代じゃないんだよね(笑) 『ソンソン』とか……分かんないよね。皆が知ってるのだと、『スーパーマリオブラザーズ』は感動した。今まで背景って宇宙みたいな暗いものしか無かったのに、地上のステージがあったり海のステージがあったり」
2023-02-25 23:23:01司会「その後、靈異伝が1996年に発売されるわけですが……」 ZUN「いや、靈異伝が発売されたのって1995年だよ。1996年って言ってるのはWikipediaだけ。原作者の言う事の方が上だと思うんだけど、Wikipediaは客観的な事実が無いと正しいと認めてもらえないらしい(笑)」
2023-02-25 23:23:22司会「コミケの印象はどうでしたか?」 ZUN「コミケ自体全然知らなかったんだよ。大学のサークルの先輩が『こんなの作れるヤツいるならコミケ申し込んどけば良かったな』って言ってきて、えっなにそれ?って」
2023-02-25 23:23:33司会「主人公の霊夢について」 ZUN「当時は巫女さんが主人公のゲームとか全然なかった。奇々怪界とかぐらいじゃないかな。そういう捻くれてる主人公にしたかった。実は、昔から神社が好きとかそういうわけじゃなかったんだよね」
2023-02-25 23:23:45司会「タイトーに就職した頃について」 ZUN「会社でゲーム作れるわけだし、個人じゃなくても良いよねってことで一度東方卒業を考えてた。5作も作ったし自分の中では満足かなって。それに、当時は副業とか厳しかったし、ゲーム会社に勤めながらゲーム作るなんてコンプラ的にも……ね」
2023-02-25 23:24:11司会「タイトーを選んだ理由は?」 ZUN「アーケードが好きで、タイトーはアーケードが多かったので一番入りたかった。あの頃は、インベーダーが廃れても、どうせまたその次のヒットが生まれるだろうって思うぐらいの勢いだったし」
2023-02-25 23:24:18司会「紅魔郷制作に至るまでに何が?」 ZUN「ゲーム作るのはコンプラ的に厳しいだろうってことで最初は音楽サークル作ろうと思って、だから幻樂団なんて名前付けてるんだよね。当時の音サーは捻くれた名前を付けるのが流行ってて、だから東洋と西洋がごちゃまぜみたいな名前にした。」↓(続)
2023-02-25 23:25:05ZUN「けど、2001年のコミケは落ちちゃって。考える時間ができたから次はコンプラとか気にせずゲーム作りしてみようと思って、紅魔郷を作った」
2023-02-25 23:25:13司会「STGと音楽CDに世界観の繋がりはある?」 ZUN「明確に繋がってるってしちゃうと矛盾が起きちゃったりするかもしれない。なのでふんわりと繋がってる世界観のつもり」
2023-02-25 23:25:21司会「スペカはどういうイメージで作った?」 ZUN「弾幕STGって東方と同時多発ぐらいに出て来て、紅魔郷の頃は黎明期だけど、今後消えゆくジャンルのような気がしていた。弾幕STGの良いところを出すにはどうしたらって考えて、楽しい部分に名前をつけて識別出来るようにすれば良いんじゃないかって」
2023-02-25 23:26:20司会「必殺技みたいな感じですね」 ZUN「そうそう。自分ではかなり良いアイデアだと思ったので、思いついてすぐ会社で企画書を書いた。けど通らなくて(笑)、だったら自分で作るしかない!ってなった」
2023-02-25 23:26:29司会「初の例大祭が2004年にありましたが、その頃の印象は?」 ZUN「個人的には東方の盛り上がり度合いが今と変わらないような印象だけど、数としては全然多くないものだった。多分パワーがもの凄かったんだろうね」
2023-02-25 23:26:37司会「永夜抄の次作はかなり間隔があきましたが、その頃も作る予定自体はあった?」 ZUN「そもそもゲームって1個作って終わりじゃ勿体なくて、3個ぐらいが丁度良い。初回で原型を作って、次で可能性を広げて、最後に集大成を作る。だから永夜抄で個人的にはやり切って満足してた」↓(続)
2023-02-25 23:26:56司会「その頃には書籍も」 ZUN「こういうのやりませんかって出版社に声をかけられて、『自分でやらせてもらえるなら』って条件付けて返したらオッケーもらっちゃって。結果自分で自分の首を締めることになったんだけどね(笑)。自分でやりたいなんて言ったことはなくて、基本的には向こうから」
2023-02-25 23:27:19司会「その頃の二次創作について」 ZUN「永夜抄の頃が一番盛り上がってたよね。その後にニコニコ動画が始まるけど、あれは既に流行ってたものを色んな人に広める役割を果たしてた」
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