公文俊平先生と海部美知さんのやりとり

自分用メモ
経済 海部美知 公文俊平
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Shumpei Kumon @kshumpei
海部さんの「ビッグデータ」の解説 http://t.co/pOEA9BhZ を読んで、データ→サービス→データという「智本」の運動形式が、貨幣→商品→貨幣という「資本」の運動形式と、二重の意味で重なっているなと思った。D→S→D’ とG→W→G' だ。
Shumpei Kumon @kshumpei
「二重の意味」とは、「ビッグデータ」の場合、本来の意味での「智本」の運動に、「資本」の運動が重なっていることをいう。「サービス」は、多くの場合商品として提供されて収益の源泉となる。だからそれは「資本」の運動でもある。だがそれなら、「データ」を無料で入手するのはおかしい。
Shumpei Kumon @kshumpei
もちろん、グーグルにせよアマゾンにせよ、データを入手してサービスに変換するためには、膨大な設備投資をしている。その意味ではデータが無料で入手できているわけではない。しかし、データをサービスの「原材料」とみなすならば、その多くは無料でとられている。私が疑問に思うのはそこだ。
TGT_Taro @TGT_Taro
収益の源泉を価値として実体化(予め存在したものと)するのは、労働価値説のバリエーション/フェティシズムでは。サービス提供内容をログとして収集活用するのは一般的だし、ただの検索ワードに交換価値の側面を見たのがグーグル QT @kshumpei 「データ」を無料で入手するのはおかしい
TGT_Taro @TGT_Taro
論理が整合していない。智本/資本としてのデータ(G)をサービス(W)に転化させるアナロジーでいけば、データは無根虚な貨幣と同位であり、中間材(W')でない。マルクスに無理やり依拠せず論旨を組み立てるべき QT @kshumpei: データをサービスの「原材料」とみなすならば、
Shumpei Kumon @kshumpei
鋭い指摘に感謝。さらに考えてみます。RT @nixontk: 論理が整合していない。智本/資本としてのデータ(G)をサービス(W)に転化させるアナロジーでいけば、データは無根虚な貨幣と同位であり、中間材(W')でない。QT @kshumpei: データをサービスの「原材料」
TGT_Taro @TGT_Taro
論理の繋がりはともかく「みんなで入力した情報で儲けるのはずるい」というのが落とし所と読めました。その不満・不公正の感覚(≒再分配要求の考え方)はどういう枠組みを根拠としてるのでしょうか。マスの心をつかめるかもしれませんが、生産的とは思えません。@kshumpei
Shumpei Kumon @kshumpei
昨日の続き1:マルクス流に書くと、企業は、貨幣(G)を投下して設備・原材料・労働力などを商品(W)として市場から買い入れ、生産過程でそれを製品やサービスなどの新しい商品(W’)に転化し、それを市場で販売して貨幣(G’)に変える。つまり、G→W→W’→G’が資本の運動形態を示す。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き2:その意味では、資本主義的企業としてのアマゾンやグーグルが入手する「データ」はとりあえず「W」の一部とみなせ、生産する「サービス」は「W’」の一部とみなせる。しかし、データの多くは無償で入手され、サービスの一部も無償で提供されている。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き3:ここでとりあえず「データ D」と「サービス S」だけに注目すると、 G→D→S→G’ ということになる。さらに G’→D’→S’→G’’ と続いていくわけだ。「G」のところを省略すると、これは D→S→D’→S’ とも書ける。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き4:しかし、「データ」のほとんどは「商品」として購入されているわけではない。その結果、この種の「企業」には「超過利潤」が発生している。ならば、「データ」、とりわけ個人のライフログ情報にそれなりの代価を払っても、企業は十分やっていけるのではないかというのが、私の問いだ。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き4:このように D→S→D’ は貨幣で測れる価値をもつ「資本」の運動形態の一環だとみなすことは可能だし、重要でもあるが、より重要なのは、それを「資本」とは異なる「智本」の運動形態の一環だとみなす視点だろう。では「智本」は何で測ればいいのか。この問いに答えるのは難しい。
TGT_Taro @TGT_Taro
昨年のセンター試験で岩井克人が出題された。「ベニスの商人は空間的差異から(輸送コストやリスク以上の)莫大な利潤を得た。」「(今日)ある情報が高値に売れるのは、その情報の開発にどれほど多くの労働が投入されたかには無関係」 RT @kshumpei この種の「企業」には「超過利潤」が
TGT_Taro @TGT_Taro
(続き)岩井のテキストが選ばれたのは時代認識を反映したものと思っている。価値創造の大きさに投下したコスト量は依存しない。 RT @kshumpei
TGT_Taro @TGT_Taro
(続き)「「人間」は資本主義の歴史のなかで一度としてその中心にあったことはなかった 」(同) G→W→というモデルから、Gを省く(価値の所在をD-S、具体的にはデータを投入した人に求めるという見方/願望)は労働価値説的だが、現実(グーグル)がそれを否定している @kshumpei
TGT_Taro @TGT_Taro
(続き)検索時に入れられたキーワードを価値に転換したのがグの発想であり、それが大きな利潤を生んだということ。価値の源泉と思われてないものから発想で儲けようという前向きな話でなく、既に儲けたグからいかにおこぼれを貰うかという話がどれだけ支持されるのかは気になる @kshumpei
TGT_Taro @TGT_Taro
やはり再分配要求が主張の起点にあることについては、合点行きました。が現実の事象(と30年前の岩井のテキスト)にそぐわない労働価値説を持ち出し、何より資本主義生産様式でGを省略する(それ自体背理である)論理の組み立てはあり得ない RT @kshumpei このようにD→S→D' 
Shumpei Kumon @kshumpei
別に労働価値説を持ち出しているつもりはないのですが?RT @nixontk: やはり再分配要求が主張の起点にあることについては、合点行きました。が現実の事象(と30年前の岩井のテキスト)にそぐわない労働価値説を持ち出し、RT @kshumpei このようにD→S→D' 
Shumpei Kumon @kshumpei
@nixontk 私は大学院時代に労働価値説を捨てて、近代経済学を勉強し始めました。そのために破門されたものです。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き6:「D→S→D'」は、資本の運動の一環としてみるならば、それは貨幣価値で測られる。しかし、それを智本の運動の一環と考えるならば、知(あるいは智?)の流れとみなして、とりあえずは「ビット」単位で測ることが考えられる。しかし、別の尺度もありうるかもしれない。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き7:昔、経済学者のボールディングは(半ば冗談に)、「ビット bit」に代わる「ウィット wit」を使ってはと提案したことがある。物理的な情報量ではなく、なにか「知的なもの」つまり「知」の量の単位を導入したかったのだ。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き8:商品の値(価値)も知の値(知値?)も、結局は、わたしたちがそれに見いだす有用性(効用)に帰着するといってしまえば、効用価値説に帰着することになり、せっかく「商品」と「知」(あるいは私がこれまで使ってきた言葉でいえば「通識」)を区別した意味が薄れてしまう。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き9:「商品」は交換ないし販売を前提として生産・取得される。他方、「知」あるいは「通識」は、「通有(シェア)」を前提として生産・取得される。(もちろん、同一の「なにか」、たとえば先にみた「D」や「S」が、商品でも知でもあるという、二面性というか両義性をもっていてもいい。)
Shumpei Kumon @kshumpei
続き10:「D→S→D'」を「知値」(それとも堺屋さん流に知価と呼ぶかな)の流れだとみなした場合、ビッグデータの取り扱い事業者が採用可能な一つの実際的な評価法としては、次のようなものが考えられる。
Shumpei Kumon @kshumpei
続き11:すなわち、事業者がなんらかの通貨類似物(「知貨」と呼ぶか)を発行して、入手するデータをそれで評価して対価を支払う一方、提供するサービスもそれで評価して、対価の支払いを要求するのだ。(一部を無料にすることはかまわないとしよう。)
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コメント

藤村正則 @bugsworks 2011年11月15日
RT @kshumpei: もちろん、グーグルにせよアマゾンにせよ、データを入手してサービスに変換するためには、膨大な設備投資をしている。その意味ではデータが無料で入手できているわけではない。しかし、データをサービスの「原材料」とみなすならば、その多くは無料でとられている。私が疑問に思うのはそこだ。
藤村正則 @bugsworks 2011年11月15日
RT @nixontk: 論理の繋がりはともかく「みんなで入力した情報で儲けるのはずるい」というのが落とし所と読めました。その不満・不公正の感覚(≒再分配要求の考え方)はどういう枠組みを根拠としてるのでしょうか。マスの心をつかめるかもしれませんが、生産的とは思えません。@kshumpei
藤村正則 @bugsworks 2011年11月15日
RT @kshumpei: 続き4:このように D→S→D’ は貨幣で測れる価値をもつ「資本」の運動形態の一環だとみなすことは可能だし、重要でもあるが、より重要なのは、それを「資本」とは異なる「智本」の運動形態の一環だとみなす視点だろう。では「智本」は何で測ればいいのか。この問いに答えるのは難しい。
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