2011年11月6日

教師の資質能力

教師の資質能力の形成、構造、向上について原理的に考察してみる。
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村山紀昭 @muranori7

<教師の資質能力について>1)よく言われるのが、「使命感」や「子どもへの愛情」だ。最近はそれ以上に「人間力」とか「コミュニケーション力」が強調される。もちろんこの他に、教科に関する知識、子ども理解、教育技術・教育法の習得などが挙げられる。かつしばしば、平面的な要素の羅列として。

2011-11-06 00:31:00
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>2)その上「新しく求められる資質能力」として、ICTの駆使、特別支援教育の理解、グローバル時代を睨んだ国際性、英語力などが次々と提起される。こういう議論を見ると、求められるものがあまりにも多く、どこにそれらを満足した教師がいるんだろうという疑問に駆られる。

2011-11-06 00:35:07
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>3)こうした教師への過剰な期待は、「教育の働きの根源は教師の力量にある」という至極まっとうな発想から出ているだけでなく、次々と変わる時代の社会的政治的要請に由来する。公教育が社会的なものであるかぎりこうした要請は避けられない。

2011-11-06 00:39:23
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>4)それにしても、これらの議論は、教師の資質能力の基本的な内容についてきちんと吟味されたものであろうか。あまりにも教育の実際と教師の資質能力論の基本を軽視した議論ではないだろうか。

2011-11-06 00:42:55
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>5)私見では、これらの議論に欠けているのは、諸要素の構造的立体的把握であり、もうひとつ、歴史的視点つまり教師の「成長」プロセスの視点である。あれこれの要素がばらばらにあるわけではないし、教師はどこかの時点で「完成」などありえない存在である。

2011-11-06 00:46:38
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>6)「使命感」や「人間力」「コミュニケーション力」は重要だ。最近は、保護者や地域との関係をふまえてとくにコミュニケーション力が強調される。しかし使命感はあまりにも抽象的で主観的だし、人間力とかコミュニケーション力は、下手をすればキャラクターの問題に矮小化されかねない。

2011-11-06 00:50:39
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>7)校内暴力がひどかった時期、「体育会系」の教師がもてはやされたことがある。コミュニケーション力のある教師は、余程内容を規定しなければ、人付き合いが好きで上手い教師に俗流化されかねない。

2011-11-06 00:54:32
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>8)これらの議論に欠けているのは、教師の「専門職性」についての基本理解である。それはシンプルに言えば、「何を何のためにどのように教えるか」という問いに収斂する。つまり(1)教育観(2)教科の知識(3)教育方法・技術(学級指導等も含めて)である。

2011-11-06 00:59:55
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>9)これら3者はプロフェッショナルとしての教師に欠かせない資質能力である。これに関して、これまでしばば(2)教科(知識)と(3)技術(スキル)とが対立的に語られてきた。教科重視かスキル重視かと。しかしこのあれかこれかの視野にないのが、私見では(1)の教育観だ。

2011-11-06 01:06:09
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>10)「何のために」は3者を貫く根源的な条件である。この点について、教室と学校で教育に当たっている教師たちが案外自分の情熱を根拠に関心が薄い。これは狭い意味の専門職性に無意識のうちに寄りかかっているせいだ。これではいまの社会の広範な教育への要求と期待に対応できない。

2011-11-06 01:11:41
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>11)近代学校は社会的制度であり、教師はそれを担う社会的専門職である。その視点から自己の社会的役割について明確に説明することが不可欠である。具体的には、教育基本法第1条の教育の目的(「国家及び社会の形成者」としての「国民の育成」)の専門的な担い手であることを。

2011-11-06 01:19:06
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>12)この目的の設定は、何をどのようにに密接に関わる。何をどのようには何のためにを抜きには筋の通ったものにならない。また、保護者や地域との関係でもこの視点がなければ説得的でない。先生方は、自分たちは子どもたちを社会的に自立した国民に育てるのだと確信をもって言うべきだ。

2011-11-06 01:27:00
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>13)かつその通路があくまでも「知の継承」であるのは言うまでもない。いじめや不登校、学級崩壊などがどんなに深刻でも、学校の役割の基本は変わらない。ただ違うのは、近代初期と異なり、知の継承がより複雑広範になりその社会的存在様式が変わってきているだけだ。

2011-11-06 01:31:02
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>14)この点からすると、「教科軽視」「知識軽視」「指導軽視」は論外である。教師の専門職性は、優れてその知的側面にあること、「知の大いなる使者」であることに教師は誇りを持とう。その点でまずは社会や保護者から尊敬を得よう。

2011-11-06 01:34:58
村山紀昭 @muranori7

<教師資質。15)だから教師は学ばなければならない。いや学び続けなければならない。教職はプロセスのなかにしか存在しない。「進化する教師」である。しかし、そのスタートは明確でなければならない。その核は専門職としての教育観の獲得だろう。これなしに「自立した教師」のスタートは切れない。

2011-11-06 01:40:37
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>16)いったん「自立した教師」としてスタートしても、さらに学び続ける。一定の社会的認知を得られる形で。その基本は教師の「自己成長」であろう。しかしそれを社会と国は大いに応援する必要があろう。そしてそのプロセスは、まさに教育観の深化でもあろう。

2011-11-06 01:44:09
村山紀昭 @muranori7

<教師資質>17)教師の成長プロセスの上に、教師の自己実現がある。つまり教師生活への誇りと満足である。これはしかし単なる自己満足で終わってはならない。教育者としての社会的役割の「客観的な」成就つまりは自己の教育観の達成でなければならない。(結)

2011-11-06 01:48:07

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