石川美子『ロラン・バルト』読書メモ

3
かんた @0sak1_m1d0r1

バルトによると 「言語」=「その時代のあらゆる作家に共通した規則や慣習」 「文体」=「ひとりの作家の身体や過去から生まれた語り口やイメージ」 「エクリチュール」=「作家みずからが責任をもってえらびとる表現形式や言葉づかい」 らしい(石川美子『ロラン・バルト』p35)。

2023-03-23 12:49:09
かんた @0sak1_m1d0r1

そのように威圧的な「自然」に対抗するものとして彼が思いついたのが、「零度」という概念だった。これはもともとは言語学の用語であり、ふたつの対立する項のあいだの中性の項をさす。どちらの項にも与しない自由な項でもある。 (石川美子『ロラン・バルト』p38)

2023-03-23 13:01:57
かんた @0sak1_m1d0r1

結局、「作者の死」とは、構造主義以降の「主体の死」を高らかに宣言しているように見えながらも、じつは書くように読んでゆくという読書の楽しみを語っているのである。 (石川美子『ロラン・バルト』p82)

2023-03-23 15:24:26
かんた @0sak1_m1d0r1

「また揚げ物は、フランスでは具のまわりに分厚い衣のついた重ったるい食べ物であるが、日本の「天ぷら」は中心の具よりも軽やかな衣のほうを食べているかのようである。このように日本で「空虚な中心」を目にしたバルトは、西欧的な意味の重みから解放される幸福感をあじわったのだった。」

2023-03-24 12:07:52
かんた @0sak1_m1d0r1

(石川美子『ロラン・バルト』p90)

2023-03-24 12:08:15
かんた @0sak1_m1d0r1

『テクストの快楽』は、快楽から生まれた「テクストⅡ」ではなく、反論や防衛や恐れなどによって書かれた「テクストⅠ」であった。「快楽」が抑圧されている現状にたいする反作用から生まれた作品だったのである。 (石川美子『ロラン・バルト』119)

2023-03-24 13:18:46
かんた @0sak1_m1d0r1

「バルトは、概念そして哲学までもが、<中性>とは反対に、何かにたいして勝利しようとする傲慢なものだと述べている。彼は生涯をつうじて、ただひとつの意味や、それを押しつけるものを嫌悪し、言語のもつ権力を恐れてきたのであるが、彼にとって概念もまたそのようなものだったのである」

2023-03-25 13:19:50
かんた @0sak1_m1d0r1

(石川美子『ロラン・バルト』p195)

2023-03-25 13:20:19