タイムリープ、ループ…過去に戻ってやり直す繰り返すという行為が、当初の目論見はどうあれ結局、確認と受容の為のものとなり、それによって未来や今が遡行前と変わることはないという物語は意外と多いような気がします。ただ、ループする前と全く同じ光景だけど、見る側にとっての意味は違うという。
2011-11-06 18:33:08【手描きMAD】 魔法少女V2 【日常OPパロ】 (1:39) #nicovideo #sm16072075 http://t.co/MxIOZske いいですなぁ…。ところで最近、幸せそうなマミさんやさやかを見ると涙が出てくるようになりました。というわけで眼が痛いです。
2011-11-06 18:41:24キュゥべえに搾取されている、という受身の姿勢でなく、インキュベーターを宇宙を養ってやっている、という攻めの姿勢でなければ魔法少女は救えない(2011~鹿目まどか) ※元ネタ→ http://t.co/dDaJvo16
2011-11-06 21:52:02コンピュータゲームにおける操作・選択、選択肢の意思決定の快については、それによってプレイヤー自身が“責任を負う”ことと、プレイヤーがプレイヤーキャラクターを始めとするゲーム世界に対し“責任を負わせる”ことの両方が存在していて、片方だけを求める向きと両方を求める向きとがある。
2011-11-07 11:50:31自分が戦わない/戦えない・責任を負わない/負えないからこそ、自らの意思で戦い責任を引き受ける存在を評価する、憧れる、褒め称える、サポートするというのは観戦者の心理であり、『まどか☆マギカ』における鹿目まどかとは視聴者と同じ観戦者だったわけです。そして彼女は究極のサポーターになる。
2011-11-07 12:09:59プロスポーツ的に言うと、まどかがサポーターであるなら、魔法少女とは選手のことであり、キュゥべえ、インキュベーターというのは、選手をスカウトし、目標を定め命令する経営者、フロントなのですね。
2011-11-07 12:14:33@h926 スカウトした後、魔法少女をより強烈に破滅させた方が利益が出るという特性から考えるとAVや風俗のスカウトの方が構図的に近いかもしれない、という残念な発想が俺の脳裏をよぎった。
2011-11-07 12:17:59戦って血を流している人達がいる一方で、何もしないで見ている観戦者であるということを許さない、一般人の立場にいる者を断罪するというのは、『エヴァ』が一話でシンジ君をエヴァに乗せる理由を作れなくて、綾波をダシにそうしてしまったことから続く呪いかもしれない。
2011-11-07 15:44:50『まどマギ』でも一般人、観戦者の立場であるまどかは戦う側に立ったさやかに断罪されるけれど、さやかはそれを後悔し、杏子は戦うべきかと悩むまどかに覚悟なく戦うことを否定し、ほむらは戦わせまいとする。最終的にまどかは戦う側には立たず、観戦者として究極的な応援をすることを選ぶ。
2011-11-07 15:59:25『スタドラ』は 最終的にスガタが自分1人だけ戦う側に立ち他の全ての人間を観戦者に落とし込むことで決着を着けようとする。だが、タクトはそれを否定する。過去にそうやって置いていかれたことへの後悔、ライバルとしてのプライド、戦いではなく共に青春を謳歌したいという友達としての願い。
2011-11-07 16:10:50@H926 タクトの一年間はスガタに並び立つための戦いでしたし、ワコはそれを「行け!」と認めた。ここではじめて三人が共に立つことができた。
2011-11-07 16:14:05戦う側と戦わない側、戦えない側。一般人、傍観者、観戦者、誰かが戦うことで守られている者、利益を得ている者。戦う側の話から戦わない側の話へという中で、仲間として戦わずとも見届け応援する側、友達というものを主体として肯定的に描く流れみたいなものもあるのかな、まどマギやスタドラ。
2011-11-07 16:35:30戦う側と戦わない側の間の溝については、湾岸戦争などモニターの中の戦争を受けての『パトレイバー2』のような断罪的な方向性がある一方で、「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」な『踊る大捜査線』方面や『ポケモン』などのゲーム方面では友情で埋めようという方向性がある。
2011-11-07 21:20:28『踊る大捜査線』の前に『パトレイバー』シリーズがあり、『ポケモン』の前に『サンサーラ・ナーガ』があることを考えるとこの面で押井守史観を形成することも可能な気がしないでもないが、強引すぎるのでやめる。
2011-11-07 21:23:05