近代のゲームが辿った進化の道 - ケネス x 川村の深夜議論 -

このビデオから派生した議論: If quake was made today: www.youtube.com/watch?v=W1ZtBCpo0eU
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Kenneth Chan @chankenneth

もしQuakeが最近作られたらゲームなら。。。http://t.co/uJtZGRiB これを見ると、最近のゲームって本当に優しい(易しい)なって実感がわいてくる。

2011-11-03 02:01:13
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Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura まぁ、良くも悪くも時代の流れってやつだな。こんなことを偉そうに言ってる俺もすっかり今風のゲームになじんでしまってるけどな。ダークソウルで超苦戦してなう。

2011-11-03 02:08:08
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth 良くも悪くでも無く、洗練の末なのだ。目的がはっきりしたと言うこと。そのへんはパワーポイントに書いた次第だ。ハイエンド表現を目指すゲームであれば、もはやゲームそのものに主軸は無い。

2011-11-03 02:10:35
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura 確かに、洗練の一つの可能性ではあるな。ただこれを見ていると、別の可能性を追っていたら今ころどうなっていたのかなって考えてしまうな。

2011-11-03 02:15:54
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth 構造論的に言うと、俺が思うに必然によって今があると考えている。表現技術とゲームが結びついた時、こうなってゆくことは必然だった。そう言う方向で無く、かつ技術と結びつく要素がゲームにあるとすれば、それは技術の要素、「実験」とゲームの融合だ。

2011-11-03 02:21:50
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura 結果から見れば必然のように見えるかもしれないけど、これしか道がなかったとはまったく思ってないな。表現技術の発展によって、いかにその表現を一番気持ちよくインタラクティブに体験させるかという考え方もあれば、ゲーム性をいかに表現で増幅させるかもある。

2011-11-03 02:33:09
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura 表現を主軸にしたら、確かに現状は必然な結果とは思える。ただ、表現に引っ張られずにゲーム性を求めてたら、進化の道は多分違ってたと思う。

2011-11-03 02:35:51
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth ゲーム性とは競技性と密接だ。競技性とは条件の提示と記録の更新、または競争が軸となる。君の話だとな、陸上競技の発展とともにトラックを走るのは必然となるわけだが、草原を走って競う合う進化もあるという話をしている。論理的に言えばそれはない。

2011-11-03 02:38:33
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth だが、たとえば美しい景観、環境、状況、空気感が表現されるとなれば、クロスカントリーランニングという意味のための「走り」になるのは必然だ。つまり、走るゲーム性はプレイヤーの意識がその仮想環境に溶け込む、催眠効果さえ得られれば事足りる。

2011-11-03 02:42:25
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth ゲーム性を求めるのならば、状況も環境も表現も「記号化」された方が正しい。たとえば美しい表現を使うにしても、リアリティとは離れた方向性での高度な表現にしなければ、勝ち負けが見えにくい。色々出来ないことに論理的合点がいかない。

2011-11-03 02:45:02
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura それは同意できないな。陸上競争でも、走りやすい環境を求めるか否かって選択肢もあるのでは?前者だと走りやすいトラック、後者だと草原・土の上に走るテク。

2011-11-03 02:55:04
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura この2択にはそれぞれの必然性があると思うよ。トラックでは環境の影響も少ないし、ありのままの道の上にいかに早く走れるかの競争になるのは必然である。草原だと地面の状況で先天的にボーナス・ハンディがある、それを補うために速度以外のルールを付け加える進化が妥当

2011-11-03 02:59:32
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth クロスカントリー競技というのは競技性よりも体験だよ。表現が進んで判断が付きにくい複雑な状況下においてリアルに競技性を求めてみろ。誰もまともにコントロールできやしない。そしてそれをシステムがフォローすれば、結局プレイヤーがやっているのかどうかも分からない。

2011-11-03 03:01:11
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura また、どっちを選んだとしても、それはもう片方を完全に捨てることにはならない。ただ、どっちを大事にするかによって方針も違うし、結果も違う。Half Life 2みたいなゲームむあるし、Call of Dutyみたいなゲームもある。

2011-11-03 03:03:28
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth 状況や条件が複雑になればなるほど、コントロールと判断も複雑になってゆく。「これとこれだけやればいい」ではなくなる。君は人間限界と言うことを加味していないし、エンターティンメントの役割という物も加味していない。

2011-11-03 03:03:32
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth そしてだ、俺は言っておくが、もちろんパワーポイントにも書き込んでいるが、混同するなと言っているだけで、ものの案配はあるんだ。表現や物理の反応などを限りなくリアルにしてゆけば競技的要素を高めてはゆけないし、体験という満足に向かうのは必然なのだよ。

2011-11-03 03:06:18
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura 「これとこれだけやればいい」ではなくなることはなぜだめかね?そもそもそれを言ってたら、ゲームなんていらないんじゃない?CoDやるぐらいならプライベート・ライアンでを見た方が「簡単」なのでは?という言い方もできる。

2011-11-03 03:19:20
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth これも言おう。コールオブデューティーは映画的なゲームの代表格だが、何が映画的かと言えば、単に「リアルな戦争映像表現だから」って事じゃ無いんだ。表現や動的環境が究極リアルなら、それはシミュレーターで、我々素人は一分と生き延びられん。

2011-11-03 03:08:50
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth たとえばEAのボクシングゲームや、ロックスターの卓球ゲーム、キネクトのダンスゲームだって、本当にリアリティを求めた上で厳密な競技性を持って行くとしたら、あらゆるテクニックも厳密に採るべきだし、プロ並みに動けるべきだ。しかしそうではない。体験だからさ。

2011-11-03 03:13:13
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura これには共感できる。体験型のゲームだからな。ただ、すべてのゲームは体験に向かう以外道がない、という論点にこれは結びつかないぞ。

2011-11-03 03:24:51
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth マリオやストリートファイターであれば、置かれた状況下の100%をプレイヤーは把握できるし、能力を利用できる。これはわかりやすく話しているから極端なんだと思って欲しいが、競技性を高めれば高度な表現でも記号化は必要だし、

2011-11-03 03:16:10
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth 率直に高度な表現を求めるなら体験型ゲームに寄せてゆくのが必然なんだよ。もちろん抜け道はあるがね。

2011-11-03 03:17:41
Kenneth Chan @chankenneth

@yas_kawamura これにも共感できる。高度な表現を求めるなら体験型ゲームを目指すのが一番合理的だということを俺も思っている。ただ、高度な表現を求める以外の道はなかったか?というのは俺の最初の問い。

2011-11-03 03:29:20
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@chankenneth これとこれだけやればいいでなくなるというのは記号化から離れると言うことだ。記号化や単純化から離れれば人間限界が来ると言っている。君がリアルな状況下に見合った複雑多岐で精密な操作系で、セリーナウィリアムスとテニスをやってみればいい。試合にはならん。

2011-11-03 03:35:47