20111111 今中哲二講演会「原発事故が私たちに教えてくれたもの」愛媛県松山市
というわけで、愛媛大学理学部なう。17時30分から、今中哲二講演会「原発事故が私たちに教えてくれたもの」。 http://t.co/K7xeZKdm
2011-11-11 16:51:26愛媛大学理学部長挨拶。「愛媛県にも伊方原発がすぐ近くになる。他人事ではない。不安を抱いている人も多いと思う。報道があってもわからない。やらせ質問がわかったり。我々はだまされたんじゃないかと思っている人も多いだろう。安全の数値も途中で変わったりする。どんどん不安になる」
2011-11-11 17:35:23理学部長「枝野さんの説明、ただちに影響はないということば、逆に不安になったのでは。なにを信じてどう行動したらいいのかわからない人が多いと思う。我々で勉強して判断するしかないところに来ている。きょう、原発の安全性、放射線の人体に与える影響について今中先生をお招きして勉強を」
2011-11-11 17:37:05今中氏「いまお見せしているのは、25年前のチェルノブイリ事故。下は3月11日に始まった福島原発事故。これからもっとひどいことになるとは思っていないが、終息したとは言えない状態が続いている。きょうは、これまで考えてきたこと、勉強してきたことをお話ししたい」
2011-11-11 17:39:21今中氏「専門家でない方には、非常にわかりにくい部分がある。その辺の謎解きみたいなことをして、原発開発が進んできたバックグラウンド、どういう人たちがどう考えてきたのかをお話しして、最後は、皆さんが自分自身で判断していかざるを得ない。この講演がそれに役立つようになれば」
2011-11-11 17:40:38今中氏「自己紹介がてら。日本で動きはじめた原発の数を示したグラフ。原子力発電と付き合って40有余年。大学院時代から、日本の原発政策はおかしいなと。必ず地元が強力に反対運動をしていた。東電柏崎原発予定地にちょくちょく行っていたが、電力会社は絶対安全だから作らせてくれと」
2011-11-11 17:42:55今中氏「地元の人たちは、そんなにいいものなら東京に作ればいいじゃないか、と疑っていた。そういう人たちをカネでつぶして日本の原発はできあがっていった。大学院を出て、いまの現場、京大原子炉研究所に。原子力がもっている危険性、デメリットを明らかにするのを仕事にしてきた」
2011-11-11 17:44:17今中氏「伊方原発裁判のお手伝いもした。最初の頃は、机の上での安全性論争。1979年スリーマイル島原発事故で、やはり事故が起こりうると。最悪の事態は免れた。放射能が遮るものなく外に出ることはなかった。ただ、ひとつ間違ったら、そこに行く可能性はあった」
2011-11-11 17:45:51今中氏「私にとって原発の安全神話が完全になくなったのは、1979年だった。それ以来、原発は安全か危険かではなく、原発はどの程度危険なのか、その危険を我々は受け入れるのか、という考え方をしてきた。1986年チェルノブイリ事故。これを20数年間追い続けてきた。そして福島」
2011-11-11 17:47:12今中氏「いま起きていることは、周辺30kmで村や町が消滅する危機に陥っていると。チェルノブイリで起きているのと同じことだと思っている。放射能の種類や量は若干違うけれど。村や町がなくなると、地域社会がなくなる。放射線被曝は健康影響の原因のひとつにすぎないし、被害全体の一部」
2011-11-11 17:52:59今中氏「3月12日、全電源喪失。職場に行ってテレビを見ながら、福島でスリーマイル島事故が起きていると感じた。外部電源も非常電源もなくなった。原子炉を冷やすことができなくなる状態。原子炉そのものは地震後すぐ止まる。大事なのは、止める・冷やす・閉じこめる、だが…」
2011-11-11 17:55:40今中氏「…止めたあとはかなりの発熱が続けている。福島原発1号炉、60万kW。原子炉の中の発熱量はその約3倍、140万kW。発熱して蒸気を起こす。急に止めた後でも冷やし続けないといけない。ポンプを回して水を送る。しかしそれがうまくいかない。1号炉爆発。どうも水素爆発だと」
2011-11-11 17:58:29今中氏「その時点で、福島の事故はスリーマイル島を超えたと。燃料を包んでいる被覆管(ジルコニウム)と水が反応し、水素が発生する。その水素が漏れ出して、天井に溜まってドカーンと。溶けた燃料そのものが固まりになり、下に落ちる。そのときに下に水があると、一瞬で気化し爆発する」
2011-11-11 18:00:09今中氏「格納容器はまだ残っていた。14日、3号炉も爆発。15日午前11時、格納容器が壊れたと発表。中の放射能がそのまま外に流れていく。私の言う最悪の事態になった。最初は福島から南の方へ。東京の人たち、幸い雨がなかった。午後は方向を変えて北西へ。飯舘村。その時雪が降った」
2011-11-11 18:02:29今中氏「それで飯舘村が汚染。見てきたように言っているが、最初はデータが全然出てこなかった。周辺10km避難から、20km避難へ。その人たちがいる所の放射能の情報が全く出てこなかった。茨城県の友人(原子力関係)からメールが来て、大変な汚染になっているとデータをくれた」
2011-11-11 18:04:17今中氏「9月になって、ようやく資料を見つけた。3月13日のモニタリング調査。手書きの緊急調査記録。計測して針が振り切れたと。報道では出てこない。3月15日、2号炉の格納容器が壊れ、大量流出。彼らはそれを知っていた。現地の人々は、福島市へ避難しようと飯舘村の方へ向かった」
2011-11-11 18:09:12今中氏「なのにいっさい対策はとられなかった。ヨウ素131が100万Bq/kg。草を100g食べると、10万Bqの取り込みになる。乳児なら、甲状腺の等価線量は280mSvとなる。ウクライナでは、小児甲状腺ガンが増加している。甲状腺被曝量と甲状腺ガンのグラフ」
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