子安宣邦

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子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

4.篤胤は救済論的な神道神学を構成していく。だが近代日本にとって篤胤とは何か。宣長国学は天皇制的神道神学として近代日本の正統的な位置を占めていった。だが〈私〉の死後の救済をいう篤胤国学は近代日本で〈はずれ者〉の位置を占め続けた。知識人はこれを狂気と非合理な思惟の産物とみなした。

2011-11-16 22:48:16
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

3.だが死後われわれの霊魂はどこへいくのか、どこに静まるのかということは、たしかに〈私〉の問題であっても、それは人にとって切実な問題ではないか。これに答えることは国学者の務めではないか。そう考えたのは篤胤である。彼は国学的神道をこの問題に答えられる神道に作り変えようとした。

2011-11-16 22:38:24
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

2.宣長国学の神道世界は、日本という国のナショナルな表現であっても、そこに住む人びとの願いや望みを表現するものではない。端的にいえば、われわれの霊魂は死後どこへいくのか、われわれは救われるのかといった問題に答えるものではない。それに答えることは〈私事〉であった。

2011-11-16 22:32:34
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

1,宣長はわが「神の道」とは「神祖伊邪那岐・伊邪那美神が始められ、天照大御神が受け継ぎ、伝えられた道」「天皇の天下を治らすべき道」であるという。彼はそれ以外の、人びとの行いや教えとして説かれる神道を〈私説・わたくしごと〉として禁じたのである。神道とは〈私の世界〉の教えではない。

2011-11-16 22:27:09
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

〈ゾルゲ事件〉が国際的スパイ尾崎を作り出し、戦後のわれわれにおける尾崎像をも作り出しているのである。『オットーと呼ばれる日本人』を読むならば、木下順二が日本人である国際的スパイ尾崎を懸命に戯曲中に作り出そうとしていることを知るだろう。むしろこっちの方が日本思想史の問題である。

2011-11-10 22:15:05
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

尾崎から〈ゾルゲ事件〉を見るとは、戦争に反対する一人の共産主義者尾崎から〈ゾルゲ事件〉も、「東亜協同体」論も見るということである。いずれも彼の闘いのあり方として見るということである。これは当たり前の見方である。なぜこの当たり前の見方が妨げられてきたのか。

2011-11-10 22:08:14
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

日中戦争の終結が読み込まれているこの時期に、「東亜協同体」理念が日中双方にもちうる意味を尾崎は論じているのである。情勢論としての「東亜協同体」論とは、尾崎についての視点の転換によって可能になる見方である。すなわち尾崎から〈ゾルゲ事件〉を見るという転換によって。

2011-11-10 22:01:53
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

尾崎の「東亜協同体」論はこれを主題として論じたものではない。これは彼の他の中国論と同じ、高度の批判的分析力をもってした情勢論である。すなわち近衛の「新秩序」声明が発表された38年秋から39年にかけての時期、日中戦争の大きな転機とみなされる時期の情勢論である。

2011-11-10 21:55:09
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

尾崎秀実の読み方とともに、彼の「東亜協同体」論をめぐる私の報告を昭和イデオロギー研究会でいたします。11月12日(土)、13時から、早稲田大14号館1054室です。ご参会ください。

2011-11-06 20:26:44
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

なぜゾルゲ事件を尾崎の側から見ないのか。もし尾崎の側から見るならば、ゾルゲ事件にいたる尾崎の活動とは、当面の戦争に反対する共産主義者の闘いだけであると中西はいう。中西の指摘は重要である。ゾルゲ事件を尾崎の側から見ることによってはじめて、尾崎の優れた中国論の意味も明らかにされる。

2011-11-04 22:25:31
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

尾崎の名誉がまだ回復されていないとは、人がまだゾルゲ事件に呪縛され、ゾルゲ事件から尾崎を見ることをし続けていることだ。ゾルゲ事件から見るとは、尾崎らの国際情報活動を、反国家的スパイ活動として断罪したファッシズム国家権力の側から見ることだ。それは「訊問調書」から見ることだ。

2011-11-04 22:20:12
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

隠された諜報活動ゆえの尾崎の刑死は、彼の生前にその秘密の軌跡を、もう一つの隠された尾崎、〈世界共産主義者〉尾崎の軌跡を求めさせる。尾崎には〈裏の尾崎〉があるとされるのだ。だが快活な〈表の尾崎〉には〈裏の尾崎〉があるという尾崎像はゾルゲ事件が作り出したものである。

2011-11-04 22:13:03
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

私の「中国論を読む」も尾崎秀実について考える段階を迎えた。中西功が尾崎の名誉はまだ回復されていないといったのは1968年である。それから40年、今もまだ尾崎の名誉は回復されていない。尾崎をゾルゲ事件ぬきに考えることを人はしていない。尾崎はいつもゾルゲ事件から語られる。

2011-11-04 22:01:04
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

4.その思想的・学問的動機を全く異にしながら、中国への強い思い入れをもった二人の日本人中国学者によって、中国の独自的「近代」論が主張されるのは興味あることだ。このこと自体が、日本の中国論がもつ底深い問題であるかもしれない。

2011-10-30 11:11:34
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

3.それから70年を経過した世紀の転換期に、現代化を推進する中国を前にして、溝口によって中国の独自的「近代」があらためて主張される。彼は独自的な近代(現代)国家としての現代中国の登場の衝撃を語るのである(『中国の衝撃』2004)。

2011-10-30 11:06:15
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

2.湖南が「近代」というのは、この時代を「平民発展の時代」と見るからである。これを「近代」と呼ぶことの当否は別として、昭和の初めにヨーロッパ近代を意識しながら、湖南によって中国の独自的「近代」が定立されていたことは注意さるべきである。

2011-10-30 10:59:38
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

1.内藤湖南がいう中国史の「近世」とは、「中世の貴族の滅亡の結果として、一方に君主の権力が増加すると同時に、又一方には人民の力が認められて来る」という変化がもたらされた宋以降の時代をいう。湖南は後年この「近世」を、中国の「近代」といっている(「近代支那の文化生活」1928)。

2011-10-30 10:50:03
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

シカゴ大学での私の講演「日本知識人と中国問題」の全文を掲載した私のHPのリンク先は以下が正しいものです。訂正します。http://t.co/XtQhnEFs シカゴ大学での講演

2011-10-28 09:13:31
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

@kaikaji ご親切に有り難うございます。ご本もお礼を申し遅れましたが、拝読しております。

2011-10-28 08:42:09
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

4.舞踏者はしばしば観客を挑発し、またその言語化による追跡を脱して飛翔する。時に私の追跡は途方に暮れ、ただ空しくも舞踏者の運動をただ見ているだけということもある。その時は私は深く疲労する。舞踏は人の生と死と性と、そして舞踏そのものを問いとしてたえず観客につきつける。

2011-10-27 23:01:56
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

3.そう思って見ているのは、常に舞台を言語化しつつ見ている私である。それが舞踏であれ、舞台を見る観客は、性を性として言語化しつつ追跡する。しかし舞踏者は観客のこの言語化を脱するようにして、徹底して身体化された舞踏を演じていく。

2011-10-27 22:49:08
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

2.人間の衣装とは文化であり、その衣装を剥いで、殆ど裸身で演じる舞踏は、人間の自然、生と死と性とをしか演じない。しかし時に小道具が、例えば赤い靴が文化として突然舞台に介入する。BMはたえず文化を背後に流し続けている。人間の裸身が際どく、文化を引きずって自然を演じようとする。

2011-10-27 22:40:38
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

1.私はときどき舞踏を見に行く。舞踏との出会いは、80年代、ミュンヘンの演劇祭で大野一雄の公演を見たのが最初であった。その後東京で山海塾の公演を見に行ったりした。そして世田谷のジムで大ちゃんこと吉本大輔さんと知り合って以来、彼とお弟子さんの舞踏をしばしば見るようになった。

2011-10-27 22:20:02
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

ある人が孔子に、なぜ官に出て政治をしないのかと問う章の注解で、仁斎はこういっている。家居して学に励み、孝弟忠信に勉めることは、官に出て政治をすることと世を治めることにおいて異なることはないと。仁斎には市井の儒家として論語を読み切るすごさがある。

2011-10-25 11:25:13
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

この数日、集中して仁斎の『論語古義』の現代語訳にあたり、やっと為政篇を終えた。現代語訳することで、読み飛ばしていた細部まで、徹底して読むことが出来た。あらためてこの市井の儒家仁斎のすごさを発見した。

2011-10-25 11:09:11
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