《「水俣に学ぶ」について》のこと

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Gloria @somebodyssin

《「水俣に学ぶ」について》 ①1957年7月時点で熊本県は水俣病を食中毒事件と規定し、水俣湾特定地域内の魚介類を原因食品と断定し、食品衛生法の適用による漁獲、販売等の禁止を決意していました。(49年の浜名湖アサリ食中毒事件、55年の森永ヒ素ミルク食中毒事件への適用を踏まえて)

2011-11-15 22:44:41
Gloria @somebodyssin

②しかし、9月に国は「すべての魚介類が毒化している明らかな根拠がない」ことを理由に食品衛生法の適用を拒否したというのが、効果的な対策がその後延々と行われないまま被害が拡大し続けた事の発端だと思います。

2011-11-15 22:45:01
Gloria @somebodyssin

③つまり、「病因物質」が特定されていなかったことが対策を遅らせた直接的な原因ではなかった。そしてもう一つ重要なこととして、この時点で科学者は「御用」/「非御用」を問わず「病因物質」の解明に没頭していたわけです。言い換えると、状況に合致しない作為と不作為に動員されてしまっていた。

2011-11-15 22:45:21
Gloria @somebodyssin

④それは、結果的に「真実」(要するに水俣病の責任がチッソにあるかないか)を究明しようということにしかならず、科学者それぞれの立場における社会的使命感によるものだということには疑う余地はないけれども、当然ながら一刻を争う被害の拡大阻止には無力あるいは無用だった。

2011-11-15 22:45:41
Gloria @somebodyssin

⑤結果論になりますが、水俣病のアウトブレーク当時にこれらの科学者が果たそうとしていた役割は、「社会の声」(「誰のせいだ」「悪いやつに罰を下せ」)に、「科学的」な根拠または反証を与えることに過ぎなかったのではないかと思うのです。

2011-11-15 22:46:04
Gloria @somebodyssin

⑥ここで見失われているのは、公衆衛生は刑事事件のように証拠を固めて「犯人」を摘発し、有罪にし、無罪にし、あるいは免罪したりするものではないということだと思います。そんなことは被害の拡大が食い止められ、被害者が救済されてからやればいいのです。

2011-11-15 22:46:26
Gloria @somebodyssin

⑦だから私は、水俣病において、科学者は「社会」の期待した通りの役割を果たそうとしたし、なにもしないより事態を悪化させたわけでもない、ただ、被害者の拡大阻止にほぼ役に立たなかったということではなかったかと思います。

2011-11-15 22:47:02
Gloria @somebodyssin

⑧「水俣病から学ぶ」のはまずそういうことではないかと思います。(疫学は科学ではないだの、権力志向だ、統治者原理だのと、「ごもっとも」でかつ科学を政策/対策から遠ざけるには充分な強迫観念の刷り込みはよく目にしますし、ネットでは延々と科学の政治性とか「議論」が続いていますが)

2011-11-15 22:47:23
Gloria @somebodyssin

@somebodyssin 《蛇足》(1)1972年に食品衛生法が改正され、有毒・有害な物質で汚染されている「おそれ」をもって行政処分、刑事告発ができるようになりましたが、これは別の意味で1957年当時の(食品衛生法適用不可の)判断を正当化することにもなります。

2011-11-15 22:48:54
Gloria @somebodyssin

(2)1990年に国は「すべての魚介類が毒化している明らかな根拠がない」にいう「根拠」の要件に、病因物質(実際の文面ではおそらく恣意的に「原因物質」なる奇妙な用語がつかわれている)が判明していることまでが含まれて「いた」という歴史修正的な驚くべき見解を示しました。

2011-11-15 22:49:37
Gloria @somebodyssin

(3)さらに、こんな詭弁の名にさえ値しないお粗末なすり替えで1957年の国の判断を再び正当化するだけでは足りず、改正法の以後の執行にもよ脳敵にくぎを刺し、みずから食品衛生法を骨抜きにする許しがたい態度をとっています。

2011-11-15 22:50:45
Gloria @somebodyssin

@somebodyssin ④の補足です: それは善意/悪意の問題でも、ましてや御用/非御用の問題でもなく、この科学者の「モチベーション」の内実にこそ彼らの限界が露呈していた(そして今なおし続けている)のだろうと思います。

2011-11-15 23:34:32
Gloria @somebodyssin

@flurry ちょっと関係してそうなことをだらだら書きました。よろしかったらどーぞ。http://t.co/vrlHjHHP

2011-11-15 23:42:39
flurry @flurry

痛烈。当然、科学者についても。>『水俣病において、科学者は「社会」の期待した通りの役割を果たそうとしたし、なにもしないより事態を悪化させたわけでもない、ただ、被害者の拡大阻止にほぼ役に立たなかった』http://t.co/GZArQUMB http://t.co/XtnPyYeF

2011-11-16 00:19:19
flurry @flurry

@somebodyssin 気になるのが、公衆衛生がアウトブレイク対策と生涯にわたる健康増進という2つの顔を持っていて、その境界がどんどん曖昧になっている(←個人の感想です)という状況において、「被害者救済のあとで社会正義追求を」は無限の棚上げを意味するのではないかということで。

2011-11-16 00:52:38
flurry @flurry

@somebodyssin この原発事故に当てはまっているように思います。>『アウトブレイク対策と生涯にわたる健康増進のあいだの境界が曖昧になっている』そして「被害者の救済を第一に考えろ」というのは、しばしば行政訴訟の原告側を非難する際に用いられる理屈でもあって……

2011-11-16 00:53:48
flurry @flurry

あ、こういう視点を法哲学会のときに持っておけばよかったのか>おれ。 いまにして思うに、たとえば公衆衛生について述べた児玉聡氏の発表って、公衆衛生が行政訴訟や公害裁判といったものを経験してきたということをまるで感じさせなかったのな。

2011-11-16 01:00:29
石戸諭 @satoruishido

@somebodyssin 水俣の例で言いますと、周辺地域と比較して魚を食べた人、猫に何らかの異常が現れることは疫学的に明らかだったのに、病因物質(水俣なら水銀)の特定に時間をかけて対策が後手に回っていました。(続く)

2011-11-16 01:28:48
石戸諭 @satoruishido

@somebodyssin この場合の対策は病因物質の特定よりも水俣湾周辺の魚を食べるのをやめるという食中毒対策が必要だったということです。病因の特定は必要ですが、疫学に基づく食中毒対策という観点に立てば、特定より先に打てる手はいくらでもあったということです。

2011-11-16 01:29:40
Gloria @somebodyssin

@satoruishido ごていねいにありがとうございます。 いくらでもあったかどうかはよくわかりませんが納得しました。

2011-11-16 21:56:15
Gloria @somebodyssin

@flurry コメントありがとうございます。水俣病をはじめ多くの「公害」事件では、被害を申し出て「被害者」と「非被害者」に仕分けられる醜悪な「認定」制度を許してしまったわけですから、「被害者救済を第一に」という言葉は分断のツールとしてしか機能しなかったのだと思います。

2011-11-16 22:34:12