西條剛央さん(@saijotakeo)のNPO・ボランティア団体への「批判」「クレーム」の心理的な観点からの読み解き

震災後現地で活動するボランティア団体やNPOへの「批判」「クレーム」について、なぜそういったことが起こるのか、心理学的観点からの現象の読み解きの一連ツイートまとめました。震災やNPOボランティアについてツイートされてますが、それ以外にも当てはまる話だなと思ったので。
NPO 復興 西條剛央 ボランティア 震災
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saijotakeo @saijotakeo
現地で活動をしているボランティア団体やNPOで、「批判」「クレーム」をされないところはありません。無償で現地のニーズに答える活動をしているだけなのに、なぜそういったことが起こるのでしょうか? 今日は心理学的な観点からその現象を読み解いてみたいと思います。 
saijotakeo @saijotakeo
そもそも「クレーム」と「建設的提案(批判)」の違いはどこにあるのでしょうか? それは意見内容そのものではありません。そうではなく、執拗か、さらっとしているか、で見分けることができます。
saijotakeo @saijotakeo
建設的提案とは、現地の「状況」と被災された方々への支援という「目的」を踏まえてなされるものです。あくまでも目的を実現するために、さらにどうしたらよいかという観点からさらっと提案してみる、というスタイルです。
saijotakeo @saijotakeo
たとえば、「とても素晴らしい活動と思うのでぜひ進めてください。ついては現地の〜〜といった状況を踏まえれば、こういった方法もありかもしれません。ご勘案いただければと思います。応援しています。お返事は不要です。」といった具合です。
saijotakeo @saijotakeo
こうしたメッセージに多くのボランティアスタッフが励まされ、なるほど、というアイディアを得て、さらにプロジェクトを進めることができており、スタッフ一同心から感謝しております。
saijotakeo @saijotakeo
こうした建設的提案をされる方は、“心の底から”被災された方々のために、と考えておられます。そのためにおのずと、丁寧な表現になりますし、いつもさらっとしています。尊大な表現や執拗さによって相手のエネルギーを奪うことが被災者支援の妨げになると知っているからです。
saijotakeo @saijotakeo
それに対して「クレーマー」は、表向きは被災者のためを装っていますが、実は「自尊心」を軸に動いています。ですから“執拗にならざるをえない”のです。
saijotakeo @saijotakeo
ある種の人は(ごくごく一部の人ですが)、自分も関心の強い分野で目覚ましい活動をしている人が目の前に現れると、何もしていない自分の価値が相対的に低下したような気分になるのです。そこで無意識レベルで防衛的な反応が現れます。
saijotakeo @saijotakeo
相手の活動にいかに不備があるのかを探そうとします。相手の価値を下げることで、自分の価値低下を防ごうとするのです。さらに巧妙な方法としては、「素晴らしいとされる人たちの活動を監視している監査役」としての自己価値を担保するという人も出てきます。
saijotakeo @saijotakeo
執拗に探した結果、うまいこと不備が見つかれば、それこそ鬼のクビをとったかのようにあげつらって、「自分こそ素晴らしい人である」ということを声高に宣言することができます。しかし、その根底には「被災者支援」の面影はどこにもありません。ただ「自尊心」だけがそこにあります。
saijotakeo @saijotakeo
しかし、このことに当人は気づきません。周囲が気づいていても当人だけは認めません。この深層心理に気がついてしまったら、自己価値は担保できなくなるためです。むしろ強固に気がつかないように防衛ラインが張られている、といってもよいでしょう。
saijotakeo @saijotakeo
ですから、そういう人は「執拗な正義の味方」としてあらわれるのです。
saijotakeo @saijotakeo
人間は“執拗に”何かをするとき、そこには必ず強い心理的なこだわりがあります(もちろん僕もそうです)。そこに留まって何かを続けるためには、相当なエネルギーを要しますから、なんらかの心理的なこだわりがあると仮定しなければ、そうした現象は起こらないためです。
saijotakeo @saijotakeo
そのため、現地で活動をしているボランティア団体やNPOで、「批判」「クレーム」をされないところはない、ということになるわけです。そうしたこともあって、僕はふんばろうでは、エネルギーを前に進む方向に注ぐために、当初から5%以内のミスや批判は気にしないでいくという方法を共有しました。
saijotakeo @saijotakeo
当然ですが、ボランティアをしようがしまいが、それは自由です。「人間は他者の自由意志(自由に生きる権利)を阻害しない限り自由に生きる権利があるということを、お互いに認め合いましょう」というのがヘーゲルの唱えた「自由の相互承認」という考え方です。
saijotakeo @saijotakeo
今回は故郷がめちゃくちゃになり、大好きなおじさんも行方不明になったりといったことが重なって、こうして活動をしていますが、僕はこの震災前にいわゆる「ボランティア」をしたことはありませんでした。
saijotakeo @saijotakeo
しようがしまいが本当に自由なのだと思います。ですから、僕は支援活動にご協力をお願いします、とはいいますが、ボランティアをしない人は罪です的なことを言ったことは一度もありません。それらは自由の相互承認という観点からすると、まったくもって似て非なる言説なのです。
saijotakeo @saijotakeo
ところが、クレーマーは、「ボランティア活動をしたい」という人の自由に生きる権利を奪おうとします。これは自由の相互承認という近代哲学の原理(基本中の基本)からみても、反則なのです。
saijotakeo @saijotakeo
人に迷惑をかけない限り、自由に生きる権利があります。何もしなくてもよいのです。ですが、ボランティアをしている人に迷惑かけてはいけません。ですから、「執拗な正義の味方」には、「何もしなくてもよいから、黙っている勇気は持とうね(人の自由意志は妨げないでね)」と言いたくなるわけです。
saijotakeo @saijotakeo
もちろんこの台詞は、当人に響くことはほぼありません。自尊心を保つためにも認めるわけにはいかないので、何いっているんだかと思うのみです。ただこれを読んでいる多くの人にとって、「なぜボランティアが批判されるのか?」を理解する一助にはなると思います。
saijotakeo @saijotakeo
そして忘れてはならないのは、そうしたクレーマーはボランティアをする人にとっては「はた迷惑」なことは確かなのですが、“一生懸命生きている”ことには変わりはない、ということです。
saijotakeo @saijotakeo
ただ、自己肯定感が低く(高い人は他人の足をひっぱることにエネルギーを割く理由はありません)、また他人の自由意志を阻害したり、足をひっぱったりしてはいけないと教わる機会がなかったのでしょう。同じ環境にいたら誰でもそうなる可能性はあります。
saijotakeo @saijotakeo
じゃあそういう人に何も言わない方がよいかといえば、そうとも限りません。他人の足をひっぱることで相対的に自分の価値を高めようとしても、自己肯定感が高まることはないためです。自己肯定感とはいわば自己の存在に対する絶対的な(確固たる)肯定感だからです。
saijotakeo @saijotakeo
他人のあら探しをして、クレームをつけることで、その人の自己肯定感は高まることはありません。逆説的ですが、そういう人は自分が本当にやりたいことをやっているわけではないとどこかでは(無意識レベルでは)わかっています。
saijotakeo @saijotakeo
仮に、自分も本当はそういう活動をしたいと思っているならば、自分自身でできることをできる範囲でやることが自己肯定感につながります。それは自分が本当に望む人生を叶えてあげているからです。
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コメント

ソノダタツヤ @tatz_2404 2011年11月19日
@saijotakeo 追加分リストに加えました。僕はほぼ日で西條さんを知った口ですが、応援しております。微力ながら出来る事あれば参加したいと思います。
Tomoko Hashiguchi @hashiguchi_t 2011年11月19日
RT @saijotakeo: ある種の人は(ごくごく一部の人ですが)、自分も関心の強い分野で目覚ましい活動をしている人が目の前に現れると、何もしていない自分の価値が相対的に低下したような気分になるのです。そこで無意識レベルで防衛的な反応が現れます。
guldeen◆父は要介護5 @guldeen 2011年11月19日
似たような例で、『被害者叩き』がありますね。幼少期から、なぜそういう例(性犯罪・殺傷・事故などの被害者)で被害者が叩かれるのかと不思議に思ってましたが、要は『こんな不遇な自分より、不幸な奴のほうがメディアに採り上げられるなんて、許せない』という、ねじくれた感情が原因だった、と。
さるけー @sarkeeeee 2011年11月20日
普通クレーム付けられたら、クレームつける方の心理じゃなくクレーム付けられた自分たちを分析すべきじゃね?相手の心理を勝手に分析してなんになるのかよくわからん。パッと見自己肯定にしか繋がってないように見える
たがた三四郎 @tagata346 2011年11月20日
「クレーム付ける側の方が悪い」とも取れるつぶやきではある。ともすれば思考停止だな。
たがた三四郎 @tagata346 2011年11月20日
とかいった事をしつこく書き続けると「クレーマーだから」って無視するよって意見だよな。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
第一番目の文「現地で活動をしている…」からして、根拠のない勝手な決めつけであり、それ以降の議論の独善性を容易に予想できるものである。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
「無償で現地のニーズに答える活動」自体の批判を想定するのなら、その現象の外的要因を分析することが大事で、批判者の心理を分析することにはさほど意味は無いと思われる。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
2番目のコメント、「そもそも「クレーム」と…それは意見内容そのものではありません。」には唖然とするしかない。「意見内容」を第一に考慮しないという姿勢は理解に苦しむ。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
批判を受ける側は、その内容をこそ反省材料として取り込むべきであろう。「良薬は口に苦し 諫言は耳に痛し」という古人の警句を真っ向から否定しているわけだが、それでよいのだろうか?
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
このような断定が生まれた一つの可能性として私が考えたのは、「自分たちの方針とは異なる建設的意見の存在を認めないし、そんなものありえない」ということが暗黙の前提になっているのではなかろうか。。。しまった!私も他人の心理を分析してしまったww
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
4番目のコメント、「たとえば……といった具合です」の文中、「とてもすばらしい活動」、「応援しています」の語句は不要でしょう(苦笑)そうすれば、自らの支援活動に対する反対意見でも西條氏が言う「さらっとした」言い方はいくらでも可能になりますよ。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
14番目のコメントの文中にある言葉、「5%以内のミスや批判は気にしない」の意図する所が全く理解できない。(1)何をどう数えれば支援活動全体の5%がはかれるの?ww
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
(2)その失敗したり批判された5パーセントに当たる支援を受けてしまった人は一体どうすればいいの?支援側が謝ってお仕舞い?それではあまりにも無責任じゃないのかしら?
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
18番目のコメントでは「自由に生きる権利」とありますが、これはただの「権利」と言うべきでしょう。少なくともクレーマーは生きる権利までは奪いませんよ。批判するだけでしょう。他人の生きる権利まで奪おうとしたらそれは犯罪・殺人未遂です。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
同コメントの中で欠けている視点は、クレーマーが自由に生きる権利の擁護と、ボランティアの果たすべき義務「被災地と被災者に迷惑をかけない」でしょう。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
19番目のコメントで「何もしなくてもよいから、黙っている勇気は持とうね(人の自由意志は妨げないでね)」と言いたくなるわけです。」とのお言葉ですが、ボランティアだって間違えることはありますよ。その時にこそ生きる批判でしょう。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
20番目のコメントで「なぜボランティアが批判されるのか?」と問いかけていますが、これは問題設定そのものが大きすぎて見当外れですね。一般的にボランティアを否定・批判している人がいるのなら、こちらこそ知りたい。批判の対象になる特定のボランティア、その活動があると考えるべきではないのでしょうか?
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
21番目のコメントは、すごい上から目線ですね。誰にでも基本的人権はあると考えるのが当然だと思うのですが。。。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
24番目のコメント「他人のあら探しをして、クレームをつけることで、……」と仰るとおり、私も西條氏のあら探しをしているし、西條氏ご本人も「クレーマー」という人格を一般化してそのあら探しをなさっている。しょせん同じ穴の狢なのであるww
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
26番目と28番目のコメントから分かることは、自分に都合の悪い批判は全て他人に責任転嫁を容認してしまう姿勢である。特に28番目のコメントの末尾「その人がそれを実践すればすむだけのこと」という発想が含意することの重大性を恐らく西條氏は自覚されていない(続く)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
他人が建設的アドバイスを実践すればよいという考えは、この他人が「その支援方法はストップさせた方がよい」というアドバイスを発する機会を封じ込めている。(やめろといったその人は、実践することが何も無くなってしまうわけでしょ!)結局、自分たちがやっている支援をストップさせるブレーキを、外からの批判では作動させないことを露呈している。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
コメント全体を総覧して持った印象は、自分たちの外部にいる「他者」の存在を完全に拒絶しているという態度の表明ではないとかというものである。一連のコメントの話者が批判者から学ぶという姿勢を見せず、また、支援される側の視点が一切出てこないのも非常に特徴的であると思う。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
こんな私はどうしようもないクレーマーなんでしょうね。これが最後です。どうもありがとうございましたww
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2011年11月20日
あ、そうそう。もし私のコメントに批判があったとしても、それはさらっと流すような場合でなければ拒否していいんですよねww 私も一応、被災地支援の心積もりはありますのでww
Tsukushi Shimizu @TTegre 2011年11月20日
自分に批判的な意見を述べる人は、自分が傷つかないもしくは影響を受けないような形でのみ行ってください(精神的なもの含む)という事なのでしょうか。
Tsukushi Shimizu @TTegre 2011年11月20日
もし脅迫めいたコメントが大量に送られているのであればその気持ちも理解できなくはないのですが…。いや、ご本人には実際そのように感じておられるのかも。
真田 光 @ksanada 2011年11月21日
洋匡さんがTwitter上でおっしゃってた事と同じことだよね。色んな意見が来るだろうけど、大別して建設的な意見と単なるクレームとあって、建設的な意見は受け取り、単なるクレームは受け止めて、ああそういう方なのね、で流せって。どっかでまとめられてたと思うが、これってものすごく大事なことだ。何故なら人は万能じゃないから。単なる文句になってしまう方は、果たして自分がそれを言うに足りる完璧な人間か、振り返ってみる必要があるんじゃないかな。
真田 光 @ksanada 2011年11月21日
意見を言う自由はもちろんあるし、同様に、言われたことを容れるか容れないかを決める自由もあって、なおかつ「その行動を選択したことで発生する責任を取る自由と権利」も我々にはある、ということですな。他人を変えるより、自分を変える方がはるかに楽なんだから、何かいいアイデアがあるなら自分が当事者になってやっちゃったらいいんですよw
たかしまよしお @takashimayoshio 2011年11月21日
コメント欄みごとなクレーマーすなあ
秋葉山 大宝院 @AKBgongen 2011年11月21日
賛否あるでしょうが私はこの方を支持します。有能有力有識な人がボランティアとしてできる限りの事をすると、こうやって次々と構想が形になっていくのかと畏敬の念すら感じます。私も微力ながら自分の分野でできる範囲でできる限りの事をしていきます。
Granpa / Cypher @Hypocrisys 2011年11月21日
概ね同意だけど、ただの「構ってちゃん」と見るか「自分の不安や恐怖を外向きに転じた人」と見るかによって処方箋が異なるので、一人が応対するより大勢の中の一人が応対する事で好転化出来る余地が有るなら考慮はすべきかな?
Granpa / Cypher @Hypocrisys 2011年11月21日
ただ、書いてる間に思ったのは自分なら「クレーマー」と看做した存在には排除か徹底的に無視に回りがちなので…間に「緩衝材」を置いて対話が出来れば、とは感じたかな。多数決では無い一対多方式に出来ると良いのだけど。
よしけん @yoshiken55 2011年11月23日
西條さんのつぶやきで大切なのは、二番目の「執拗か、さらっとしているか」というところと、彼が漂わせる「現場感覚」だと思う。批判的なコメントをしている方の意見も一般論としてはうなずけるけれど、「現場感覚」が全く欠けている。
よしけん @yoshiken55 2011年11月23日
現地で日夜活動しているボランティアの方々に「私はあなた方の活動について意見がある。ついては明日までに私の質問条項に返信を求める。」とか、何かが本末転倒な気がしてならない。
よしけん @yoshiken55 2011年11月23日
西條さんの挙げる「クレーム」とは「俺の方を向け」で、「建設的提案(批判)」は「一緒に相手のことを考えよう」と言い換えることができるかと思う。つまりこれは「視線」の話で「内容」とは別の水準のことになる。
よしけん @yoshiken55 2011年11月23日
もちろんクレームの付け方が執拗かさらっとしているかはともかく、内容として重要な点があるなら検討すべきなんだろうけど、時間も資源も人手も有限な中で何を優先すべきかがもっとも考慮されるべき。機会費用の話だと思う。
nekosencho @Neko_Sencho 2011年11月23日
まあ、クレームに対処するより先にやることがある状態だからなあ。これが平時の一般的な企業とかなら話は違ってくると思うけど、災害時のボランティア活動ならこれでいいんじゃね?
🎌Yuki Y🎌 @yyuki114 2011年11月26日
このツイートを自分のこととして解釈していくと深いですね。自分の心の中の、何が自尊心に当たるのかを突き詰めていくと、自尊心がカメレオンのように貼りついて見えなくなっていることに気付くからです。
まつこ @pi_poko 2011年11月29日
その行動がこういう風に迷惑なのでやめてくださいと言った場合、すぐに対応してくれる相手ならいいですが、少しの失敗ならいいじゃないかと止めてもらえずに放っておかれたら、執拗にならざるをえないですよね。で、さらっとしてないからといって、さらに無視されると会話が成り立たなくなってしまう。
まつこ @pi_poko 2011年11月29日
さらっとしてようがぬるっとしてようが、現地のいろいろなことばを聞くことが大事なのかなと思います。意見全てに応えることはできなくても、聞こうとする意志は大事。そこに住み、復興に向かっている人達への礼儀として。善意は周りが止めにくいから、それぞれが気をつけててちょうど良いと思います
まつこ @pi_poko 2011年11月29日
いろいろ考えたくない、でも応援したいという場合は、復興市で好きなものを買うとか寄付やふるさと納税を利用するとかでも良いと思います。善意について考える時、ほぼ日のズーニーさんのエッセイを思い出します http://www.1101.com/essay/2010-10-06.html
ふくねこすけ @PapicoPapy2000 2012年6月11日
2つめの呟きでふいたので記念にコメント。コメント欄が(この人の定義する)クレーマーばかりなのも面白い。現地でも(この人の定義する)クレーマーを量産してないことをお祈りします。
遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2015年6月28日
西條剛央という人物がどんな人物か知るにはこれ以上ないまとめ。
がる @gallu 2016年4月20日
「無能な働き者だからオレの働きっぷりに文句をいうな!」以上の内容が読み取れない件について。 実害が出ているレベルのものについて「相手の価値を下げることで、自分の価値低下を防ごうとするのです」と決めつけるあたりで、まぁ、お察し。
いいな @iina_kobe 2016年4月21日
あ、この西條って人、東日本大震災の時、武装組織にみんなの義捐金100万ほど詐欺られて、自腹きって、報告すらしてない人だ!
ES@toge専用 @hituji2222 2016年4月21日
「無償だから」「頑張ってるから」「専門的な知識を持ってる実際の現場を知ってるから」アレ?それ邦画で批判すんなって炎上した人と「全く同じ意見」だわ。(http://togetter.com/li/960956) そうじゃなくて、力を入れる場所を間違えんなやとか無駄な事するなって、至極真っ当な意見を「クレーム」扱いするから批判されてるんだ。「腐った卵は料理人じゃなくてもわかる」よ。
ゆきさん @crabVarna 2016年4月21日
へんてこボランティアのおかげで「無能な働き者」の概念が浸透するする。このまま社会にしっかり定着してほしい
the_spoiler @don_jardine 2016年4月21日
もし自分が極めて理不尽な目にあった場合、納得できずに抗議を続けていたら、相手がその抗議を無視するばかりか「執拗」だから「クレームだ」と「心理的な観点から読み解かれ」たらどう思うか。「無償なのに」などと言い出している時点でその姿勢が察せられる。
HANATARAY @hanataray 2016年4月21日
”本質リーディング”の人か。