クレーマーの心理

さいじょうたけおさんのボランティアに対する、「クレーマーと建設的批判の違い」です。
1
saijotakeo @saijotakeo

現地で活動をしているボランティア団体やNPOで、「批判」「クレーム」をされないところはありません。無償で現地のニーズに答える活動をしているだけなのに、なぜそういったことが起こるのでしょうか? 今日は心理学的な観点からその現象を読み解いてみたいと思います。 

2011-11-19 10:44:32
saijotakeo @saijotakeo

そもそも「クレーム」と「建設的提案(批判)」の違いはどこにあるのでしょうか? それは意見内容そのものではありません。そうではなく、執拗か、さらっとしているか、で見分けることができます。

2011-11-19 10:45:37
saijotakeo @saijotakeo

建設的提案とは、現地の「状況」と被災された方々への支援という「目的」を踏まえてなされるものです。あくまでも目的を実現するために、さらにどうしたらよいかという観点からさらっと提案してみる、というスタイルです。

2011-11-19 10:48:16
saijotakeo @saijotakeo

そうした意見はどんどん取り入れていくことで、よりよい実践活動にしていくことはすばらしいことです。聞くべき人の意見に耳を傾けることと、クレーマーに振り回される事はまったく違う事です。その似て非なるものを見極める際に、執拗か、さらっとしているかはとても役立つ「視点」になるのです。

2011-11-19 14:25:52
saijotakeo @saijotakeo

これは誰の意見にも耳を傾けない、ということではもちろんありません。本当に妥当な意見をいってくれるひとは、さらっといいます。押し付けません。なぜなら、私はこう思うけど、あなたがしないなら、自分はこうしてみます、といってその人がそれを実践すればすむだけのことだからです。

2011-11-19 14:24:21
saijotakeo @saijotakeo

誰かれとかまわずにクレームをつける人は、世界が問題だらけだと思っているわけですが、実はその人自身の問題なのです。きちんと現地のニーズにあった活動をしているならば、そうしたクレームに惑わされずに、自分が信じた道を進めばよいのです。

2011-11-19 14:23:06
saijotakeo @saijotakeo

他方で、ボランティアをしていて、そういうクレーマーに何かを言われたときは、そういう人なんだなと理解しておくことで、本当は自分が悪いんだろうかとか不要な自責の念にかられずにすみます。

2011-11-19 14:20:55
saijotakeo @saijotakeo

仮に、自分も本当はそういう活動をしたいと思っているならば、自分自身でできることをできる範囲でやることが自己肯定感につながります。それは自分が本当に望む人生を叶えてあげているからです。

2011-11-19 14:19:13
saijotakeo @saijotakeo

他人のあら探しをして、クレームをつけることで、その人の自己肯定感は高まることはありません。逆説的ですが、そういう人は自分が本当にやりたいことをやっているわけではないとどこかでは(無意識レベルでは)わかっています。

2011-11-19 14:17:09
saijotakeo @saijotakeo

じゃあそういう人に何も言わない方がよいかといえば、そうとも限りません。他人の足をひっぱることで相対的に自分の価値を高めようとしても、自己肯定感が高まることはないためです。自己肯定感とはいわば自己の存在に対する絶対的な(確固たる)肯定感だからです。

2011-11-19 14:15:20
saijotakeo @saijotakeo

ただ、自己肯定感が低く(高い人は他人の足をひっぱることにエネルギーを割く理由はありません)、また他人の自由意志を阻害したり、足をひっぱったりしてはいけないと教わる機会がなかったのでしょう。同じ環境にいたら誰でもそうなる可能性はあります。

2011-11-19 14:12:41
saijotakeo @saijotakeo

そして忘れてはならないのは、そうしたクレーマーはボランティアをする人にとっては「はた迷惑」なことは確かなのですが、“一生懸命生きている”ことには変わりはない、ということです。

2011-11-19 14:10:50
saijotakeo @saijotakeo

人間は“執拗に”何かをするとき、そこには必ず強い心理的なこだわりがあります(もちろん僕もそうです)。そこに留まって何かを続けるためには、相当なエネルギーを要しますから、なんらかの心理的なこだわりがあると仮定しなければ、そうした現象は起こらないためです。

2011-11-19 11:13:59
saijotakeo @saijotakeo

ですから、そういう人は「執拗な正義の味方」としてあらわれるのです。

2011-11-19 11:10:44
saijotakeo @saijotakeo

しかし、このことに当人は気づきません。周囲が気づいていても当人だけは認めません。この深層心理に気がついてしまったら、自己価値は担保できなくなるためです。むしろ強固に気がつかないように防衛ラインが張られている、といってもよいでしょう。

2011-11-19 11:08:31
saijotakeo @saijotakeo

執拗に探した結果、うまいこと不備が見つかれば、それこそ鬼のクビをとったかのようにあげつらって、「自分こそ素晴らしい人である」ということを声高に宣言することができます。しかし、その根底には「被災者支援」の面影はどこにもありません。ただ「自尊心」だけがそこにあります。

2011-11-19 11:04:42
saijotakeo @saijotakeo

相手の活動にいかに不備があるのかを探そうとします。相手の価値を下げることで、自分の価値低下を防ごうとするのです。さらに巧妙な方法としては、「素晴らしいとされる人たちの活動を監視している監査役」としての自己価値を担保するという人も出てきます。

2011-11-19 11:02:37
saijotakeo @saijotakeo

ある種の人は(ごくごく一部の人ですが)、自分も関心の強い分野で目覚ましい活動をしている人が目の前に現れると、何もしていない自分の価値が相対的に低下したような気分になるのです。そこで無意識レベルで防衛的な反応が現れます。

2011-11-19 11:00:11
saijotakeo @saijotakeo

それに対して「クレーマー」は、表向きは被災者のためを装っていますが、実は「自尊心」を軸に動いています。ですから“執拗にならざるをえない”のです。

2011-11-19 10:56:49
saijotakeo @saijotakeo

こうした建設的提案をされる方は、“心の底から”被災された方々のために、と考えておられます。そのためにおのずと、丁寧な表現になりますし、いつもさらっとしています。尊大な表現や執拗さによって相手のエネルギーを奪うことが被災者支援の妨げになると知っているからです。

2011-11-19 10:53:44
saijotakeo @saijotakeo

こうしたメッセージに多くのボランティアスタッフが励まされ、なるほど、というアイディアを得て、さらにプロジェクトを進めることができており、スタッフ一同心から感謝しております。

2011-11-19 10:50:02
saijotakeo @saijotakeo

たとえば、「とても素晴らしい活動と思うのでぜひ進めてください。ついては現地の〜〜といった状況を踏まえれば、こういった方法もありかもしれません。ご勘案いただければと思います。応援しています。お返事は不要です。」といった具合です。

2011-11-19 10:49:13