ほんとに。新宿駅のホームで電車を待ってたとき、ここにいるすべての人たちがかつては赤ん坊だったんだと思うと不思議な感覚に襲われた記憶が。 RT @t_hayashi: 何だろうなー、すっごく陳腐な感慨になっちゃうけど、人が生まれて、そして大きくなるって、やっぱりものすごいことだよ。
2011-11-19 20:24:11@yukiphilo @t_hayashi 新宿とか東京駅とか梅田とかでは、この人たち、みんな帰る家があるんだってのが不思議に感じることがある。
2011-11-19 20:29:09@tenapi ぼくは、どこであれ街行く、たぶん今後いっさい会うことのない、あるいは会ってもその人だろうと気づかないであろう人もそれぞれ固有の仕方で、嬉しかったり、悲しかったり、腹が立ったりしてるであろうと思うだけで、遠い気持ちになります。@yukiphilo
2011-11-19 20:37:02@t_hayashi @yukiphilo 自分以外の人も感じたり考えたりするんだと思いながら行きかう人を見ていると、自我というか自意識というか、俺をここに閉じ込めているそれが、とてもくだらないものに思えてきます。
2011-11-19 20:41:23@tenapi 何だろうな、これは一般化していいことなのかどうか迷いもあるのですが、人ってやっぱり自分のことを特権化しがちだと思うんですよね。でも、街を行きかう人たちを見ていると、そういう根源的な「夜郎自大」めいた心性を気付かされて、とても恥ずかしくなります。
2011-11-19 20:44:38@tenapi 人はときとして、ごく限られた単一の尺度で「自分は優れている」とか「劣っている」とか思ってしまいがちです。もちろん、それに自覚的であれば、そうした単一の尺度が学問であれスポーツであれ、競いあえばいい。ただ、「生きて、在る」ということにかんしては慎ましくありたいです。
2011-11-19 21:21:08@t_hayashi 「自分」なんて、海の表面の波みたいなもんなんですよきっと。あちらとこちらで波が出会い、重なり、また離れていく。その間、海はずっとそこにある。
2011-11-19 21:25:14@tenapi そうですね。人は「自分」というものをあまりにも固く、こわばって捉えすぎている。そしてそのことが、人を(多くは無意識的に)傷つけるのみならず、自分をも苦しめる要因に往々としてなってしまう。それは、やはり、よろしくないことです。
2011-11-19 21:28:23@tenapi @t_hayashi 出張の合間を縫って、以前に住んでた街を訪れるのですが、おばあさんが一人でやってる果物屋が二十年前とほとんど変わらずに店を開いてるのを見たりすると感慨深いです。自分がドタバタしてる間にも、毎日、みかんやりんごを並べてたんだろうなぁと思って。
2011-11-19 21:30:08@yukiphilo それが、たぶん、生きるということです。そしてわれわれにしたって、そのおばあさんと、ほとんど変わらない。@tenapi
2011-11-19 21:31:02@tenapi それは尊いことですし、そして、そのように日々生きることは、とてもうつくしい。そして、ぼくらも、そのようにうつくしい日々を送っている。そうしたことは、一日にいっぺんくらいは思いかえしてもいいんじゃないかなあと思います。
2011-11-19 21:45:38@t_hayashi @yukiphilo 悲しい気持ちで果物を並べた日も、嬉しい気持ちで並べた日もあったでしょう。誰かを恨んだり、もう死のうと思った日も、ひょっとしたらあるかもしれません。だけど、現に、いま、生きて、働いている。それは尊いことです。
2011-11-19 21:49:55@tenapi ほんとうに、仰るとおりです。だからぼくも、と他人の「生きて、在る」ことにかこつけるようにこう言うことはじゃっかんのためらいがありますが、でも、うれしいときもかなしいときも、できるだけ精一杯、だいじに一日を過ごせたらなあ、と思います。
2011-11-19 21:53:11@tenapi がんばって、という言い方はちょっとそぐわないし、なすがまま、と言うのも何だか癪なので、何と言ったらいいのか、うまい言葉が思いつきませんが、日々野菜や果物を並べるおばあさんや、そして、うれしかったりかなしかったり感じているすべての人といっしょに、生きていきましょう。
2011-11-19 21:59:31@t_hayashi @tenapi おっしゃる通りですね。僕たちは僕たちで、自分のみかんやりんごを並べることで生きていかねばと思います。僕も凹みっぱなしの日々でしたが、ありがたい話を聞かせていただいて感謝です。ありがとうございます。
2011-11-19 22:05:34@yukiphilo いえいえ、ぼくもここのところなかなかにきつい日々を送っており、われ知らずため息をついていることに気づくありさまだったのですが、何か「突き抜けた」感触を持てました。うれしさやかなしさや苦しさや腹立たしさを人と比べてもしようがない。とりあえず、生きましょう。
2011-11-19 22:08:52@t_hayashi 内子の高昌寺の門前に掲げられていて知った詩です。わりと有名なものらしいですけど。 (・×・)つ http://t.co/opACtrUs
2011-11-19 22:06:44@tenapi この詩で詠われている「足の裏」のような、とても大事なのに日々一顧だにされないような人/ものたちに、意識的にではなく、自然といつくしみが向けられるような人間になれたら、すばらしいですね。ぼくはそうした境地のとば口にすら立てていないので、意識することから始めます。
2011-11-19 22:22:37@t_hayashi おっしゃる通りで、ほんとに、お互いに生きていかねばなりませんね。その苦しみの合間に、こうして喜びを得られたことに深く感謝します。どうか、よい日々を☆( ´ ▽ ` )ノ
2011-11-19 22:56:40@yukiphilo 言うまでもないことですが(でも、あえて言います)、生きていれば苦しいこともあればうれしいこともある。それが、当たり前というものです。でも、その「当たり前さ」は同時に、とても尊く、うつくしく、そしていとおしい。そうしたことに、たまには思いを馳せたいですね。
2011-11-19 22:59:31