静岡県教委のセクハラ対策、または表現規制について
県教委のセクハラ対策は、①教員の児童に対する権力の自覚を促す ②教員同士の「相互不干渉」をなくす ③生徒からの相談を促す RT セクハラ防止「信頼から」 県教委が掛川で講座 http://t.co/j4w3eWOG via @shizushin
2011-11-19 21:07:41この対策が想定している教員によるセクハラの原因は、たぶん、①教員は児童に対して圧倒的な権力を持っていて、教員はそれを自覚していない(だから児童は「同意していた」などと勘違いするし、児童は相談もできない)(続)
2011-11-19 21:09:44②教員同士の相互不干渉により、児童と教師との密室が作られてしまう。(そのような空間では教師の権力の暴走を止めることはできない。だから、児童からの相談を促すことで、「密室」から児童を解放することも必要)
2011-11-19 21:10:57つまり、ポイントは権力と密室であり、対策として、教師には自分が持っている権力について自覚を求め、また一方では密室を作らない環境を整備する。ということなのだろう。専門的なことはわからないけれども、理に適っているように感じられる。
2011-11-19 21:12:59この対策に対して「教員が女子高生を性的な対象として見ることが間違っているという認識が浸透しないと駄目だろう」という見解があった。そもそも「性的な対象として見る」ことがセクハラの原因であることに間違いないだろうし、その原因を取り除くことは有効な対策に違いない。
2011-11-19 21:14:21「教員が女子高生を性的な対象として見ることが間違っている」・・・なぜ間違っているのか? 教員がその権力を利用して欲望を満たすための手段として女子高生を利用するのは道徳的に間違っているし、人権問題でありうる。
2011-11-19 21:16:33しかし、問題を起こした教員が「それが間違いである」ことを指摘されるまで知らなかったかといえば、そんなことはないはずだ。だから「密室」で人知れず実行するわけだし。
2011-11-19 21:17:46だから「教員が女子高生を性的な対象として見ることが間違っている」というのは、教員たちの内面深いところにまで浸透し、良心によって彼らの行動または心情を縛るのでなくては、効果がない。しかし、それは可能か?
2011-11-19 21:19:06エロ漫画の規制は、「教員が女子高生を性的な対象として見ることが間違っているという認識を浸透させる」という方向で考えられているように思う(風潮の助長云々)。
2011-11-19 21:20:19けれども、表現の規制というのはエロいこと、つまり私的領域に止まるべきことが公に表現されること、公的領域に持ち込まれること、を規制することであって、密室でエロいことをすることを禁じるものではない。逆に密室でやれ、ということである。
2011-11-19 21:21:16だから、表現規制というのは性虐待の文脈ではなく、わいせつの文脈で考えた方がよいのだと思う。(刑法175条には問題があると思うけれど)
2011-11-19 21:24:28そういうわけなので、「県教委」が取り組んでいるような、「自覚」と「環境づくり」というのは大切なのだと思う。他人の目線があるというのはブレーキになるし、良心を呼び覚ますのは結局のところ、「自覚」なのだろう。
2011-11-19 21:25:27