映画よもやまばなし 4回目 21世紀初頭のイーストウッドの荒みについて <前編>
0.はーい、chimumuだよー。自転車イベントにでるつもりだったけど、色々あって出走できなかった。えーん。それにしても今日のプロサイクル・ロードレース Giro d'Italia のステージはあんまり動かなかったね。え、誰も観てない? さーせん。
2010-05-17 00:25:361.で、昨日は昼間もごろごろ家にいて、WOWOWのイーストウッドの特番なんぞを観てた。無料だったから。それにちょうど、僕もクリント・イーストウッドのことをつらつらと考えている最中だったから。因みに今日の分は見逃しました。
2010-05-17 00:26:352.というのは、来週、とある集まりでイーストウッドについて話すことになってんだよねー。前後編に分けて、3時間づつ計6時間、主として監督作品について話してるんだが、来週は後半。
2010-05-17 00:27:033.この前つぶやいた作家主義の流れで言うと、脚本を人任せにしつつも出来上がってみれば紛れもなく演出家の映画となっているヒッチコックやホークスこそが作家中の作家(ヒッチコック・ホークス主義)として特権的な位置におかれたんだが、今はこの位置にイーストウッドがいると思うな。
2010-05-17 00:27:514.ついでにいえば、スリラーという一つのジャンルを追求したヒッチコックに対して、多彩なジャンルを見事に撮ってしまうイーストウッドは、ギャング映画、西部劇、艶笑喜劇と何でもこいのホークスを彷彿とさせる。
2010-05-17 00:28:495.そういえば、ヒッチコックやホークス同様、イーストウッドもアメリカより先にヨーロッパで評価された。いや、実は真っ先に評価した国は実は日本みたいだよ。これはあとで話す。
2010-05-17 00:29:306.しかし、こういう映画監督は語ることが難しいんだな。ストーリーそのものに一貫した主義主張があるわけじゃないし、ジャンルも猫の目のように変わる。猫の目を見て、よく変わるにゃーと思ったことはないけどさ。
2010-05-17 00:29:537.じゃあ、イーストウッドについてみんなどんな風に語っているのかみてみようか。以下、偉大な先輩諸氏も敬称略にて失礼します。
2010-05-17 00:30:278.まず、非常に多彩な映画を撮る監督である。そして、そのすべてがジャンル映画であるということ。ジャンル映画というのは、ハリウッド映画の原型にかなり忠実な映画だといっていい。
2010-05-17 00:32:109.彼の監督デビューまでの経緯も、ある意味象徴的だし、独特だという意味で、よく語られるよ。
2010-05-17 00:32:2810.ハリウッド黄金期の末期に端役デビュー、そこでウィリアム・A・ウェルマン等の巨匠の作品にも出るが、結局は芽が出ずに契約解除。テレビ『ローハイド』を経て、いったんハリウッドを離脱、そしてマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』で主演を張る。これはJ・コバーンが断った役だ。
2010-05-17 00:34:2311.このセルジオ・レオーネ&クリント・イーストウッド三部作が予想外の大ヒット。イーストウッドはハリウッドに帰還する。結果として、いったんハリウッドを離脱することで、赤狩りなどによるハリウッドのゴタゴタを回避できた。
2010-05-17 00:35:3912.もともと、俳優業だけでは満足できなかったんだろうね、マルパソ・カンパニーというプロダクションを設立して、イーストウッドは映画制作を始める。俳優が制作プロダクションを持つというのは当時としてはかなり異例だ。
2010-05-17 00:36:5013.そして『マンハッタン無宿』でドン・シーゲル監督に出会う。彼がイーストウッドの演出に多大な影響を与えることになる。
2010-05-17 00:38:2814.無駄なショットを撮らない、製作費を浪費しない、遅く重い動き、という今やイーストウッド映画を語るときの常套句となった演出方法は、B級映画の巨匠、ドン・シーゲルから学んだものだ。イーストウッドは『マンハッタン無宿』のドン・シーゲルの演出を追った短編ドキュメンタリーを撮っている。
2010-05-17 00:40:5215とにかく、ドンとクリントは気があったみたいだ。ドンはマルパソ・プロダクションに参加し、演出について出し惜しみなくアドヴァイスをイーストウッドに与えたっていう。
2010-05-17 00:41:4516.そしてイーストウッドは満を持して、監督デビュー。ストーカー女に恐喝される色男という、ダーティ・ハリーの真逆を行くテーマで『恐怖のメロディ』を撮る。これはタイプで言うとヒッチコック的なスリラーだ。ラストのアクションシーンは完全に『サイコ』のシャワー・シーンへの目配せだね。
2010-05-17 00:42:2017.イーストウッド映画の重要なモチーフの一つ「痛めつけられる肉体」が既に芽吹いている。
2010-05-17 00:43:5118.そう、タフ・ガイのイメージが強いが、作品をつぶさに観ていくと、壊れる肉体、打ちのめされるヒーロー、が繰り返し描かれるというのもよく言われることだ(『センチメンタル・アドベンチャー』)。
2010-05-17 00:44:2119.このデビュー作『恐怖のメロディ』を世界に先駆けて褒めたのが日本のしかもうるさがたの評論家諸氏だったという。真っ先に騒ぎ出したのが和田誠だったと僕は山田宏一から聞いた。イーストウッドを「我々が発見した」(蓮實重彦)みたいに表現するのはこのせいのようだ。
2010-05-17 00:44:4820.しかし、本国アメリカでは「ま、俳優が監督したにしてはちゃんとしてるじゃないか」程度の評価だったと聞く。この辺は資料をあたっていないので知っている人は教えて下さい。
2010-05-17 00:45:1721.そして、シーゲル&イーストウッドのコンビで『ダーティーハリー』を撮り、これが大ヒット。しかし、一方でマッチョで保守反動という政治的なイメージがイーストウッドにつきまとうことになる。ニューヨークの映画批評論壇の重鎮ポーリン・ケイルのひんしゅくも買っちまう。けど、気にしないぜ!
2010-05-17 00:46:0722.とにかく、『ダーティーハリー』の成功で、イーストウッドは一気にスターダムにのし上がり、マルパソ・カンパニーは経済的な余裕を獲得する。これを背景にイーストウッドは自分の映画づくりを着実に推し進めていく。その為にまず彼はメイン・スタッフを確保した。
2010-05-17 00:46:3823.撮影(照明)・編集・音楽等のメインスタッフはほぼ固定され、師匠から弟子への世代交代も順調に行われていく。これもイーストウッドを語る際にかならず言及されることだ。
2010-05-17 00:47:1224.たとえば、イーストウッドの映画のルックを決定づけたのは撮影監督のブルース・サーティーズであると言われているが、この人は“プリンス・オブ・ダークネス”の異名を取る程、暗い絵を撮るのが非常に得意だった。
2010-05-17 00:47:57