ペナンの歴史(簡単まとめ)

マレーシアペナンに隠居中の謎の投資家 @_Ninjya_ のペナンの歴史についてのつぶやきをまとめた。
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ペナンの歴史 日曜の午後に一読するに価するよ!  イギリス 東インド会社 壊血病 ポルトガル マラッカ海峡 海賊 スルタン王 植民地 1941年日本領 ジョージタウン シンガポール 世界大戦  http://t.co/9B2d7YHXペナンの歴史 
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ペナン:労働者、資本家のいずれもが不足。ライトの最も思い切った政策は関税撤廃。イギリス人&周辺地域商人を強く惹きつけた。税収を蒸留酒とアヘンで補うことにし1791年までに島内に生産拠点を設けた結果、ペナン島の人口は急激に膨張。特に関税撤廃の効果は高く中国人、インド人、アラブ、、、
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いつの時代も 爆発的発展のキッカケは関税撤廃だね 重税の大国の末路はあきらかです。。。。。
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支配者層を形成する白人がごく僅かな中でライトが選んだ舵取り方は各言語コミュニティごと代表者を立て統治機構に組み入れることだった。これによりペナン島の各コミュニティは特色を失わずに存続していく。ペナン売り込みに奔走していたライトだったが1794年にマラリアに倒れそのまま息を引取る。
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ペナンはそれまでの無関税政策を見直し関税を設定。これは最悪のタイミングでだった。当時それまでペナンの貴重な輸出品目だったマラッカ内陸部のスズの採掘が不可能に。。。スマトラ島北部で暴動が発生したことがペナンの貿易と、アヘン、売春、賭博といったペナンの主だった収益に打撃を与えた。
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貿易と、アヘン、売春、賭博  という主な収益品目に笑う リアルワールドを見る・・・・
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そして何よりも、1819年にシンガポールが建設されたことが決定的なペナンの打撃となる。シンガポールはマラッカ海峡のより重要な位置にあり、その上天然の良港となっていたことと、戦乱の地域から距離をおいていたことから多くの船舶はペナンからシンガポールへと寄港先を変えた。
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各地戦乱から逃れるマレー人と中国人の移民が増大し。中国人の数がすぐさま二位へ。1950年代に入る頃60%を占めた。中国人は移民の中でも特に勤勉だったため、マレー人の2.2倍の働きと評され単純労働力として中国人移民が歓迎された。
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中国人は古参の福建語を話す一団と新参の広東語を話す集団にわかれて1867年の大暴動の火種へ。また収入を求める政府が移民たちにアヘンを売り賭博から収入を得たために治安が悪化し、その維持のために政府はさらなる経費を計上。この時期、ペナン政府は破産寸前となる。 ⇄今のカジノを想わせる。
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19世紀後半ペナンは再び貿易額が激増。その要因は1869年に開かれたスエズ運河による航路の変更。スエズ運河が開通すると航路はほとんどの船舶がマラッカ海峡を通るようになり、その中でも石炭を供給できるペナンは最も恩恵。急激に需要が高まったゴムが主役となりこれもまたペナンに莫大な富を
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1900年のペナンは豊かな慰留地として数多くの著名人を引き寄せた。サマセット・モーム、ジョゼフ・コンラッド、ラドヤード・キップリング、ヘルマン・ヘッセらの文豪を始め政治家や軍人、植物学者などが遊休や研究の目的でペナンを訪れイーストン&オリエンタル・ホテルなどの高級ホテルに宿泊。
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勃発した第二次世界大戦に対してペナンはイギリス海軍に全幅の信頼をおき、それだけにプリンス・オブ・ウェールズが撃沈されるとあまりにも無力。日本軍に対し、ペナンの親イギリス的な住人はに避難を始め、それに続いて軍属も島を放棄して撤退してしまう。
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こうして1941年12月19日、日本軍はほぼ無抵抗で島を占拠することができたが、島を離れ損ねた親イギリス的な住民は島の奥へ逃げ込み、日本軍はペナン島を占有し、同盟相手のドイツ軍のUボートもこのペナン港をインド東部での補給地として利用し、UボートIX型の行動範囲を著しく増大させた。
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ペナンを占拠した日本軍は、1945年9月6日にイギリスに降伏して、ペナンは再びイギリスの元へと戻った。ペナンは戦争後半に度々爆撃を受けたが、島の中心部であるジョージタウンには損害が少なく、ペナンには再び人が戻り昔の姿を取り戻し始めた。
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ペナンも連邦に加わり1963年にはマレーシアの一員へ。1970年 までマレーシア及びペナン政局は混迷。ペナンは自由港の地位まで失い14.5%という失業率問題を抱えて、経済の再建に乗り出すことになる。しかし、復興は成功した。エレクトロニクス製造産業を誘致し、アジアでも有数の生産額へ

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