『世界と孤独』(高島屋美術画廊X)/企画:袴田京太朗 に関する議論

自身も作家である袴田京太朗の企画によって11月23日(水)から行われる全五回のシリーズ展示『世界と孤独』(日本橋高島屋美術画廊X)。その展覧会のチラシに寄せられた袴田氏自身のテキストを巡る議論をまとめました。
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中島 智 @nakashima001

「いま美術が考えるべきことは、「善」なる直接行動ばかりではなく、この状況においてまで反社会的でいかがわしく、あっけらかんと理解不能な「他者」として存在できるか、ということである。」 袴田京太朗(シリーズ企画『世界と孤独』@日本橋高島屋美術画廊X)

2011-11-18 22:53:24
袴田京太朗 @hakakyo

展覧会の告知です。「世界と孤独 Vol.1東島毅」11月23日(水・祝)-12月12日(月)10:00-20:00 日本橋高島屋美術画廊X(03-3211-4111)。僕が初めてキュレーションする全5回シリーズの第一弾です。初日23日17:30よりオープニングパーティーがあります

2011-11-19 00:03:45
袴田京太朗 @hakakyo

シリーズ「世界と孤独」Vol.1東島毅、Vol.2石川卓磨(2012-4月)、Vol.3 小沢裕子×村山悟郎(2012-8月~)、Vol.4 佐藤玲子×岡野智史(2012-12月~)、Vol.5 今村源(2013-4月)。全5回共通のチラシと東島展パンフにテキストを書きました。

2011-11-19 00:15:28
宮本武典 @miyamototo

んー… RT @nakashima001 “いま美術が考えるべきことは「善」なる直接行動ばかりではなく、この状況においてまで反社会的でいかがわしく、あっけらかんと理解不能な「他者」として存在できるか、ということである” 袴田京太朗(シリーズ『世界と孤独』高島屋美術画廊X)

2011-11-20 21:40:38
宮本武典 @miyamototo

何が〈善〉で誰が〈反社会〉か、判らなくなっているのがポスト3.11なのに。〈理解不能な他者〉を演じることで、目の前にいる〈現実の他者〉とのコミットメントを回避する安易なブラックボックス。

2011-11-20 21:58:43
宮本武典 @miyamototo

@hakakyo 『世界と孤独』(高島屋美術画廊X)のチラシ、東北にも届きました。こういう言説がなんの躊躇も議論なく、パブリック(狭いアートシーンですが)に露出してしまうところに、ムサビの蛸壺化を感じます。孤立した「他者」を演じる前に「他者」と向き合うべきでは?

2011-11-20 22:35:14
宮本武典 @miyamototo

みんな自分のスタンス・立場を肯定したい。肯定するために様々な事柄を組織する。でも、震災は〈僕らのスタンス〉の基盤自体を揺るがした。深い震源からもういちど立ち上げるのか、それとも揺れたままヨコスベリするのか…。(スベルのはイタい)

2011-11-21 00:06:42
中島 智 @nakashima001

東北芸工大での宮本さんの活動にはいつも瞠目しています。袴田語録をツイットした立場として一言申し上げますと、宮本さんがおっしゃるように、袴田さんに対しても「理解不能な他者」として向き合われたなら問題ないのではないでしょうか。 RT @miyamototo: @hakakyo

2011-11-22 00:11:48
袴田京太朗 @hakakyo

「世界と孤独」のチラシの僕の文章への批判的な意見は予想していました。ただ僕個人の意見を自分の名前で発表することは、あなたのいう蛸壺から外にでることでもあります。自分は常に他者を知りえていないと思うからこそ、ひとつの始まりを提示したつもりです。@miyamototo

2011-11-22 01:06:33
宮本武典 @miyamototo

@hakakyo では、その「始まりを提示」の先を注視します。RT @hakakyo ただ僕個人の意見を自分の名前で発表することは、あなたのいう蛸壺から外にでることでもあります。自分は常に他者を知りえていないと思うからこそ、ひとつの始まりを提示したつもりです。

2011-11-22 11:22:10
宮本武典 @miyamototo

@nakashima001 袴田さんのスタンスが理解できない訳ではないのです。理解はできますが、共感できない。それでいいのだろうか?と。コミットしているのは共感しあう作家たちだけ(=蛸壺化)。3.11に言及しつつコミットメントの回避を表明する「展覧会」にどんな意義があるのか?と。

2011-11-22 11:34:47
中島 智 @nakashima001

@miyamototo 僕の解釈ですと、袴田さんはコミットメントを回避しているわけではなく、「直接行動ばかりでなく」はそれを否定する表現ではなくて「直接行動するにせよしないにせよ」というニュアンスに受け取りました。「善」の所在を「直接行動ばかり」に置こうとする一義化に抗うために。

2011-11-22 11:48:13
中島 智 @nakashima001

@miyamototo そしてムサビの蛸壷化についてですが、これは全面的に共感します。東北芸工大に百年遅れてます(笑)。それは最近まで図書資料館もgfalもムサビ関係者以外を排除してきた事実に表れています。僕も非力ながらそれを打破する試みとして民俗資料室を解放してみたりしました。

2011-11-22 11:55:16
中島 智 @nakashima001

@miyamototo とはいえ、袴田さんは今回、「武蔵野美大教授」としてキュレーションをしているわけではなく、袴田さんの活動の一つ(教育活動もその一つ)として位置づけている気がします。そして加えて言えば、蛸壷化はコミットメントの有無とは無関係に、直接行動のなかにも生じえます。

2011-11-22 12:02:14
中島 智 @nakashima001

@miyamototo そのことは宮本さんならよくよく実感なさっていることと思われます。コミットメントはローカルにしか実現しえないものでもあるからです。ゆえに積極的にローカルであるべきなのです。が、それが蛸壷化しないためには、先述の「するにせよしないにせよ」という視点は必要かと。

2011-11-22 12:07:34
宮本武典 @miyamototo

@nakashima001 もちろん直接行動もすぐに蛸壺化します。しかし、それはコントロールできない「現実の他者・状況」と向き合う現場であるが故に、蛸壺体質のままではエンゲージメントは成立しないのです。

2011-11-22 12:55:33
宮本武典 @miyamototo

@nakashima001 現代美術展や美術大学が、今日的なエンゲージメントに向かわないとすれば、それは慣習化・形骸化した文化にすぎない、というのが地域文化興亡においてサヴァイヴァル状況下にある東北での、僕の立ち位置です。

2011-11-22 13:03:57
宮本武典 @miyamototo

@nakashima001 ムサビに限らず、日本の美術大学のほとんどは既に社会的要請もアカデミズムも失いつつある。日本も東京も大学もとっくにローカルですが、ガラパゴス化を自嘲的に受け入れている昨今の風潮には同調できません。ローカルでありオープンであることが前提だと思います。

2011-11-22 13:06:33
中島 智 @nakashima001

@miyamototo まさに実感ですね。一つのエンゲージメントを交わすことは、いくつかのエンゲージメントを放棄せざるをえないことでもありますが、それでも宮本さんは宮本さんの愛する「他者」への筋を通そうとしていらっしゃる。それが「現実」を(オープンに)生きることだと僕も思います。

2011-11-22 14:55:06
中島 智 @nakashima001

@miyamototo ただ、そこに「美術」が向かうべきだと言う場合、それは一人の人間を《アーティスト》なり《美大教員》なりに押し込めてしまう無理が生じはしないでしょうか。エンゲージメントはアフリカの一夫多妻、雲南の一妻多夫など多様であり、いわんや個人をや、です。

2011-11-22 15:05:17
中島 智 @nakashima001

@miyamototo 昨今の風潮はともあれ、「ローカルでありオープンであることが前提」という宮本さんのお考えには強く賛同します。であればむしろ問うべきは、美術/非美術に拘わりなく「この人物(他者)はどのようなエンゲージメントを生きているのだろうか」ということではないでしょうか。

2011-11-22 15:13:10
袴田京太朗 @hakakyo

「注視する」前に僕の文章のどの部分を批判したのか言うべきではないですか?ツイッターできちんとした議論をする自信はないけれど、問題の内容だけでもはっきりさせておくべきだと思いますが。@miyamototo

2011-11-22 20:49:35
宮本武典 @miyamototo

@hakakyo 再掲します:何が〈善〉で誰が〈反社会〉か、判らなくなっているのがポスト3.11なのに。〈理解不能な他者〉を演じることで、目の前にいる〈現実の他者〉とのコミットメントを回避する安易なブラックボックス。

2011-11-22 23:27:10
宮本武典 @miyamototo

@hakakyo 3.11以降の「社会/他者」を語るとき、僕と袴田さんとは立脚している場所・体験・責任が違うので、この種の議論は平行線をたどりそうですね。僕は「社会/他者」を観念的に処理できない場所(被災した現実の東北)で、美術と向き合わざるを得ない:続く

2011-11-22 23:46:44
宮本武典 @miyamototo

@hakakyo 『世界と孤独』のテキストを読んだとき、その『孤独』を包囲している「」つきの社会が、ものすごく現実離れしたものに感じられました。そのような記号化された「社会」としか向き合っていないのに「社会的なものにコミットするそぶり」を仮想敵とする態度に違和感を覚えます。

2011-11-23 00:28:35