格闘ゲームでわかるデリダ&ポストモダン社会+雑談α
- L_O_Nihilum
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格闘ゲームでは、キャラクターを選び、相手が選んだキャラクターと戦う。戦うキャラクターはそれぞれ個性的な技を持っていて、それの集まりで性能ができる。性能がわかってくると、そこから、戦術も生れる。戦略も生まれる。
2011-11-26 22:14:10しかし、いったん戦術を作っていくと、その感覚から離れるのが難しくなり、帰って勝ちづらくなる時がある。「こういう時にはこれ」では、済まされない時が来る。
2011-11-26 22:15:16そうすると、自分の戦い方を変えていかなくちゃいけなくなる。どう読み合い、その読み愛では何を出すのか、という考え方が、いったん根っからぶち崩れる。ていうか、そもそもその当時「その戦法で」戦ってた時、ホントにそういうための技だったのか、そんな答えは存在しない。
2011-11-26 22:16:33「昇龍拳=対空技」という図式。しかし、対空でも当たらない時が在ったり、それやろうとしたら潰されたり外れたり。思えば、「昇龍拳=対空技」ってことが、すでにどこか独り歩きしているようだ。
2011-11-26 22:18:17ためしにそれをよこから当てることだってできる。梅昇龍はその代表だけど、それ以外でも、ああいう対空技は、「ぶっぱ」で当てることだってある。つまり「昇龍拳=ぶっぱ」もあるのだ。そのための昇龍拳、ということもあるのだ。
2011-11-26 22:19:51荒れちょっと待ってほしい。使ってるのはまったく同じコマンドで、同じ発生で出る「昇龍拳」なのだ。しかし、ある時「対空」で使った時は「対空技」として現れていたし、「ぶっぱ」で使った時は「ぶっぱ」だったり「切り返し技」として現れていた。てか、「ぶっぱ」の目的もそれだけ”違って”いる。
2011-11-26 22:21:15思えば「対空」もそうだ。一口に対空と言っても、空対空、地対空。それだけではない。同じ地対空(昇龍拳とか)でも、コンボにも混ぜられる。相手が上に撃ちあがりさえすればそこに昇龍拳絡めるコンボ(スパスト4なんかで)も当たる。
2011-11-26 22:22:42このとき、「昇龍拳」はどれも”違う”その時《使う瞬間》も違えば、《使う目的》もずれた表れだ。この様が、たぶんデリダの言う「差延」。「空」と言う字を見て、ある日は「そら」と読むが、次の日は「くう」また次の日には「から」と読む。それ自体は変わってないのに、使うこちらが変わっている。
2011-11-26 22:24:40使うこちらが変わっているという事は、使われる方の使われ方も違っている。すでにそれは同じものではなくなってる(同じなのに!)。反復してるのに違っている。このヘンでビミョーな事態のことをデリダは”差延”とか言ってみた。
2011-11-26 22:25:50それじゃあ信じるモノはないのか。絶対的な確信なんかないのか。…そこ、ちょっとまった。誰でもそうなのだ。モノみて考える限り誰でもそうなのだ。そんな確固たる「昇龍拳の本質」ってのはないようなものなのだ。でも、そのおかげで。
2011-11-26 22:26:58そのおかげで「ぶっぱ」昇龍も正しい。「対空」昇龍も正しい。「コンボ」昇龍も「梅」昇龍も正しいのだ。というか、同じことのためにばかり使ってたから、違う昇龍拳の側面が見えなくなってた。そこに、そんなあなたの戦法の間違いがあった。
2011-11-26 22:29:22では、あえてこんな時に。例えば対空に。波動拳はどうだろうか。距離によっては当たる。ジャンプで来たやつに、高い位置にでる飛び道具が当たることもある。小パンでもいい。小パン対空ってのもある。
2011-11-26 22:30:20そして、昇龍拳のほうも。打撃で当ててもいいジャンか。横から当てるのもいい。無敵を生かして、ぶっぱで当ててみるというのも手だ。どんどん自分の「昇龍拳」とか「対空」とか「ぶっぱ」とかそういうモノへの”先入観”を脱していく。そして、新たにまた構築する。そう、まさに”脱構築”だ。
2011-11-26 22:31:43脱構築するから、新たなそれぞれのキャラの可能性が生まれ、読み合いも多様化する。多様化すれば、研究ももっと進むし、そのゲームの奥深さに新たな発見があるかもしれない。まさに、デリダはこういうゲームに賭けているのだ。新たなる勝ち(価値)、思想のダイナミズムを。
2011-11-26 22:33:08かくして、多様な考え方、多様な戦術を認め合いともに戦っていくゲーム、格闘ゲームが成り立つ。だが、だ。問題はこの先だ。
2011-11-26 22:33:56多様化した戦い。研究も進む。新しいことが発見されていく。しかし、それにしてもだ。「昇龍拳」は飛び道具ではない。だから、「飛び道具」としての昇龍拳はないわけだ。在りえないし、現象もしない。つまり、いつか限界が来るわけだ。
2011-11-26 22:35:15どんなことも、そう。可能性がわかってきて、それぞれのキャラでやれることっていうのが大体決まってくる。すると、最終的に「大体同じ戦法」ってのがそれぞれのキャラの中で決まってきてしまう。あれ、ちょっと待った、それぞれ違っていくはずが、同じになっていくじゃないか。
2011-11-26 22:36:10これはちょうど、ハーバーマスが批判した感じの処だ。同一性を何とかして崩したかったけど、結局、同一性を志向しているのだ。しまいには、みんな同じ戦法をとりざるを得なくなってくる。違った人があまり見られなくなってしまうのだ。
2011-11-26 22:37:24そしてそうなった格闘ゲームでは、ちょっと変わった動きをする人はマジで「変わり者」に視えたり、また大体(そのゲームでの性能が同じ理解に達してないってわけで)負けたりするわけだ。新しい可能性ってのは、もうだしきってしまったんだから。
2011-11-26 22:38:52それでは、一体誰が一番本物の使い方をしてるのか?おかしな言い方だ。使ってるキャラが同じだければ、そのなかである最良の結果のうちの一部を判断して出しているだけってことになっている。「一番うまい人」でなくても、その戦術の一部が、その「一番」の結果の一部のコピーだ。
2011-11-26 22:40:21ていうか、一番うまい人っていうのもそもそも、おかしい。そのうまさは、他人と戦って得たもので、自分のものではない。必ずその「全部」の内の一部。というか、その全部、というのはそのキャラの本質、ではない。だって脱構築できるほど差延してるからね。
2011-11-26 22:41:29そすると、オリジナルな「リュウ」も「ケン」もなく、みんな同じになる。「リュウ」も、「ケン」も、”オリジナルなきコピー”。コレが、ボードリヤールが言う「シュミラークル」だ。みんな、リュウ使うときは同じ使い方するのだ。そういう意味で。みんな、上手かれなかれ、リュウというコピーだ。
2011-11-26 22:43:22逆に言えば、ゲームなんてそういう風にパターン化できるのだ。作り手側からも。ではこの後は?なんと作り手もそのキャラの使われ方ってやつを、あらかじめ計算して作るようになるし、ホンマにプレイヤーもほぼその通りに使うってことになる。
2011-11-26 22:44:30