暴走する組織への人間による戦いとしての橋下改革、あるいは地方分権

組織は、組織目的を自己目的化する。組織目的を超えた動きを組織にさせるためには能力と責任が必要になるが、必要となる能力と責任は組織が大きくなればなるほど大きくなり、一定の規模を超えると人間によるコントロールが効かなくなる。霞ヶ関が人的コントロールを超えた組織だとしたとき、地方分権は人間が組織に勝利する唯一の道となるのではないかという考察。
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長野テル @naganoteru

安定した社会が継続すると、組織化、仕組化を通じて非効率が増大する。ところが、非効率が過大になると社会がそのコストを負いきれなくなる。その段階を変革期という。変革期には、それを推し進めるための強力なリーダーシップが必要になる@inosenaoki @t_ishin

2011-10-27 03:48:35
長野テル @naganoteru

もっとも、個人が組織意思を動かすことは不可能ではない。ただしその難度は、組織規模が大きくなればなるほど困難になる。組織意思修正の必要性を感じながらもできない人は、能力不足とも無責任とも言うことができる。したがって、組織は本来、そのポストに見合った能力と責任を有する人を配置すべき

2011-10-15 11:33:11
長野テル @naganoteru

裏返して言うと、それだけの能力と責任を持つ人を配置できない時点で、組織はその適正規模を超えているということができる。霞が関はその典型だけれど、大企業にもこれは往々にして妥当すると思う。規模の経済を通じて効率性を追求した結果不効率が生じるのはこのメカニズムによってではないかと思う。

2011-10-15 11:36:02
長野テル @naganoteru

もし今の霞が関がもはや統制のきかない組織であるとすれば戦前の軍部同様、「敗戦」のような終末状況をもってしかその暴走を止めることができないのかもしれない。ぼくは、それを避けるもっとも現実的な方法は、地方分権ではないかと思う。

2011-10-15 11:38:41
長野テル @naganoteru

なので、橋下さんらの地方の動きは、地方のみならず国全体の改革への動きの一環として捉えなければならない。そこへの抵抗は国レベルのエスタブリシュメントをも背景にする可能性があるのだけど、それでもなお市民はリーダーを信じることができるかどうか。 @inosenaoki @t_ishin

2011-10-27 04:19:26
長野テル @naganoteru

本質的な対立構図は、人間対人間ではなく、人間対組織。組織を批判することで支持を得ようとする改革者と、人間を批判することで支持を減じようとする組織の戦い。人間であるリーダーを信じられない限り、人間が組織に勝利することはないと思う。 @inosenaoki @t_ishin

2011-10-27 04:24:29