「南北問題」の講義、あすはゲストに、ミアタ・ロバーツ・サーリーフさん(リベリア)★広報してあった内容( http://t.co/ZEeps1OD PJC#47) とちょっと変わって「リベリア紛争を乗り越えた女性たち」というお話になります。精華大13時C-101教室 #dev
2011-11-28 17:35:21「リベリア紛争を乗り越えた女性たち」ミアタ・ロバーツ・サーリーフさんのゲスト講演@京都精華大、13時から始まります。ちょっと電波、不安定ですが、中継できるかな。。。 #dev
2011-11-29 12:52:46「アジア学院」
佐久間郁(かおる)さん
まず、アジア学院でミアタさんと同期に学んだ佐久間郁(かおる)さん。アジア学院の紹介、アジア・アフリカの農村リーダーを育成する学校。毎年、各国からの留学生20名ほど、日本人学生もまじえ。学院モットー「ひとといのちを支える食べものを大切にする世界を作ろう ── 共に生きるために」
2011-11-29 13:08:18続き/ これまで1500名以上の卒業生、アジア・アフリカ・中南米・太平洋地域にいる。アジア学院では、有機農業。土をこわさない農業。卵も有精卵。(ひよこのどアップ写真!) 自給自足生活をしながら学ぶ。
2011-11-29 13:09:57続き/ こぶた、おやぶたの写真、なんとまぁ、いい表情。牛のどアップ! もみがら燻炭をつくる様子。地域資源をできるだけ活かす、自分たちの地域にあるものをできるだけ使って農業する。リソースマップ作り(使われていない宝物をさがす)、話し合いしながら実践的授業をします。
2011-11-29 13:12:21続き/ 学院の夜はたいていライブになる。学生のほか、大勢のボランティアに支えられている。良心的兵役拒否で、アジア学院で1年間ボランティア(兵役代替)をするドイツの若者が毎年数人いる。
2011-11-29 13:14:06続き/ アジア学院(栃木県那須)の3.11 かなり揺れた。ダメージ受けた校舎・食堂などの写真。立て替え余儀なくされている。自給自足のための設備(水道など)、だいぶ被害。しかし最大の問題は放射能汚染。福島から100キロ以上離れているが、ホットスポットとして汚染された。
2011-11-29 13:16:09続き/ 有機農業にとって土の汚染は深刻だが、なんとか対処して、那須の土地でやっていきたい。アジア学院と連なる15の方法、あります(パンフ配布)。長期・短期のビジターも歓迎。古本市、アフィリエイトなど、いろいろな方法あり。卒業生を訪ねる旅もやってます。
2011-11-29 13:18:35続き/ アジア学院のホームページからAmazonに入ってもらうと購入金額の3%が学院に寄付されます。どうぞよろしく。以上、佐久間さんによるアジア学院の紹介。つづいて、ミアタさんのお話。
2011-11-29 13:21:32「リベリア紛争を乗り越えた女性たち」
ミアタ・ロバーツ・サーリーフさん
【ミアタさん1】 日本に来たのは2回目。最初は1999年から2000年、アジア学院で学んだ。ちょうどリベリア第1次内戦(1989-1996)が終わったあと。すべてが破壊された、学校も焼かれたりして、教育の機会失われた。食べるものもなかった。1997年、休戦協定。
2011-11-29 13:23:12【ミアタさん2】 休戦後、すべてのことを復興しなければならなかった。アジア学院というのが日本にあると知って喜んで来た。日本にいるとき第2次内戦が始まってしまった(1999-2003)。
2011-11-29 13:24:22【ミアタさん3】 1820年代にアメリカから黒人奴隷たちが帰郷してきた。現在のリベリアの場所に、自由をえた奴隷を受け入れる土地が用意された。だから、この地域にもともといた黒人たちと、200年以上アメリカで奴隷としてすごした集団とが共存することに。
2011-11-29 13:26:00【ミアタさん4】 帰郷してきた人々を地元の人は好意的に受け入れたのであったが、社会階層の溝はある。リベリアはいろいろとアメリカ的。国旗も似てる。でも☆は1つ! リベリアのこういった背景を知らないと、内戦を理解できない。
2011-11-29 13:27:43【ミアタさん5】 木材、石油、鉱物資源など、資源はゆたか。しかし、とても貧しい国。なぜか。多くの富は、帰国してきた解放奴隷に分配されていた。帰国組のほうが教育もあり、お金をためる才覚も。ふたたびアメリカに家をもつ人も珍しくない。
2011-11-29 13:29:49【ミアタさん6】 地元組と溶け込んで生活する帰国組もいたけれど、全体として平等ではなかった。1979年頃まで、こういった状況。人口の70%をしめる地元組が不満をもって、変革求めた。80年にクーデター。軍政始まる。
2011-11-29 13:31:57【ミアタさん7】 軍政の大統領の時代、帰国組のリベリア人は各地(国外)に散り散りになっていたが、89年から本格的内戦に。皆さんと同年代の学生たちが武装させられ、戦線に送り込まれた。第1次内戦は東から。首都モンロビアまでは遠い。途中の村々の若者を徴兵していった。
2011-11-29 13:34:40【ミアタさん8】 内戦が長引くにつれ、若者の命は失われていった。戦線はどんどん北上。反政府軍が優勢になるにつれ、分裂がおこった。内戦は複雑な構図に。96年まで続く。西アフリカ諸国と国連が介入して、休戦となった。97年大統領選挙で反政府軍リーダーが大統領に。難民多く発生。
2011-11-29 13:37:20【ミアタさん9】 国外に避難した人々も武装勢力を編成。大統領は彼らの帰国を恐れた。いろいろな立場の反政府軍が1999年いっせいに攻勢を開始、第2次内戦。隣国シエラレオネで金・ダイヤモンド発掘。そちら方面から攻勢、ダイヤモンドは軍資金となった。
2011-11-29 13:39:31【ミアタさん10】 小さな国が20もの軍閥に分かれて、ひどく暴力的な状況になった。どの勢力も若者を兵士として求めた。男も女も。鉱物資源は戦争をひどくするために悪用された。戦線は南下、東側の住民は隣国に避難。西の住民はシエラレオネに避難。
2011-11-29 13:41:24【ミアタさん11】 私はモンロビアの北の村の生まれ。NGOのワーカーをしていた。2003年、首都の近くまで戦線近づいてきた。10万人以上の人が海岸近くで難民となっていた。そこで、人々を支援する活動してた。もう女性達はうんざりしていた。停戦の協議はなかなか進んでいなかった。
2011-11-29 13:43:43【ミアタさん12】 自分たちの子供たちが次々と死んでいく状況(銃撃、飢餓)、国連から支給される食料で生き延びた。日本からも大豆の支援物資が来てました。女たちが平和を実現するために立ち上がった。女性団体のリーダーが集まって話し合った。ひとつの決断。
2011-11-29 13:45:52【ミアタさん13】 大統領と国会に、停戦合意にむけた手紙を書いた。国連にも各国大使にも書いた。戦争はもううんざり、平和が絶対必要だ。火を消すために火を使ってはいけない。兵士達が銃を使うのなら、私たちの武器は平和だ。非暴力に徹するため、女達は白い服をまとった。
2011-11-29 13:47:50