ヒストリエ 7巻発売に際して。その多層・二重的な物語構造について
ヒストリエには、物語面で複数のレイヤーがある。優れた作品の常として異なる層の衝突や対照により生まれる微細な色調が重なり合うことで複雑な妙味を放っている。
2011-11-30 21:00:39ヒストリエにおける基軸とは、観察者エウメネスが「マージナルな外部から眺める非ギリシャ/ギリシャのマージナルな社会=マケドニア」という「記述する/される」「主体/客体」の二重構造の話と、その二重構造の内奥にある「『世界精神』たるアレクサンドロスの二重性」にある。
2011-11-30 21:06:48マージナルであること。本来ならディアドコイ以降に大きく名を示すことになるエウメネスの創作された半生とは、非ギリシャではなく、マケドニアでもないことが、後に彼自身の(ギリシャ的)悲劇へと転換される帰納的なものである。
2011-11-30 21:10:04また彼が接触する「すれちがう女」の像についても、構成的には悲劇的であるわけだ。「王宮にいること」それ自体が等しく「顕名」として取りざたされるあまりにも貴族的な世界にあって、その「舞台」にあがり、ひきずりおろされるという行為には残酷がつきまとう。
2011-11-30 21:17:14ここの残酷については、特にエウリュディケという顛末について語ろう。サテュラとのすれちがいという「トロイになりそこね」、より現代的な結末が先行した「ヒストリエ」がやはり現代の創作である証左であるネガとして。副読本は、やはりタネ本であろう「王妃オリュンピアス」を参考したい。
2011-11-30 21:20:33と、まあ、エウメネスは、徹底的に「外側」でなくてはならないし、だからこそ「(より観念的な意味での)王家の臣下」としてアレクサンドロスに従軍できたわけである。
2011-11-30 21:24:55そして、ヘファイスティオンが「男≒父」性を司るため、アレクサンドロスは「女々しく」描かれている。この対比には、アレクサンドロスの背後に母であるオリュンピアスがいるためである。
2011-11-30 21:30:32そして、おそらく「ヒストリエ」におけるアレクサンドロスがなぜオケアノスを目指すのか、というモチベーションの正体だが、これは恐らく「母からの逃避」であり、もっと大きく言えば、「ギリシャ的世界観からの離脱」にあたるのだろうということだ。
2011-11-30 21:32:30これは「父」の不詳に由来するのだと思う。もっといえば、アレクサンドロスには観念的な「父」しかいない。(フカシであるが)ギリシャ神話の英雄・アキレス、そしてヘラクレスの血を引くと母に謳われること。そして、覇王ヒュリッポスの後継者であるというストレス。
2011-11-30 21:38:53目指すべき「父」≒男性像が限りなくギリシャ的であるのに、肌感覚がどうやら「マケドニア人」ではない、という違和感。不協和音こそが、恐らく「外側」を求めていくのだろうし、その点で、エウメネスと共鳴するのだろう。
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