渡邊芳之先生@ynabe39の「「障害受容」の文脈に取り込まれると逆に「障害リテラシーのない母親が悪い」になっちゃうんだよなあ」

さて風呂に入るぞ。家族も起こすぞ。。by 渡邊芳之 http://twitter.com/#!/ynabe39/status/143442927362916352
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渡邊芳之 @ynabe39

それも「障害受容」の文脈に取り込まれると逆に「障害リテラシーのない母親が悪い」になっちゃうんだよなあ。

2011-12-04 09:36:40
渡邊芳之 @ynabe39

「当事者や当事者家族が障害について正しい認識を持つことが障害受容の第一歩です」的な言説も十分に暴力的でありうる。なんで「賢くないと助けてもらえない」のか。

2011-12-04 09:38:20
渡邊芳之 @ynabe39

自閉症の「原因」だって完全にわかったわけではない。「先天的な脳の障害」で落ち着きかけていたのが最近の自閉症激増に伴って「自閉症の環境因の再評価」が言われるようになっている。誰が「正しい認識」を持てるのか。

2011-12-04 09:40:32
渡邊芳之 @ynabe39

「先天的な脳障害」「親に責任はない」と「確定」したところで,「なぜそれが自分の子どもでなければいけなかったのか」「なぜこの子にだけその運命が与えられたのか」という問いから自由になるわけでもない。

2011-12-04 09:43:11
渡邊芳之 @ynabe39

「別問題でなければいけない」なら賛成。「現実に別問題である」ならばそうではないと思います。 RT @motoken_tw: 「障害受容」と「助けてもらえない」は別問題だと思う。母親自身の内部処理と他者の母親評価は別。

2011-12-04 09:44:00
渡邊芳之 @ynabe39

「問題の解決には原因の解明は必須ではない」というのは人間の行動の問題を考えるときの基本的な考え方です。

2011-12-04 09:48:51
渡邊芳之 @ynabe39

それらの社会的要因を除外しても純増している,というのが定説になりつつあります。 RT @hii1701: 最近の自閉症の激増は、単純に保護者が特別支援教育を選択するようになったからだと思いますけど?現在、特支学校の高等部は、…

2011-12-04 09:50:01
渡邊芳之 @ynabe39

「自閉症の数」についての最近のnatureの記事。The prevalence puzzle: Autism counts http://t.co/iJATlrPt

2011-12-04 09:51:35
渡邊芳之 @ynabe39

それが「できていない」のは当事者の側ではなく「支援する側の人たち」です。 RT @motoken_tw: 当然に別問題と思いますが、立て分けができていない人も多いと思われます。故に別問題と指摘する必要があると思います。

2011-12-04 09:52:39
渡邊芳之 @ynabe39

「障害受容」についてはこの本。「障害受容再考」 http://t.co/VZv9lgMl

2011-12-04 09:55:45
渡邊芳之 @ynabe39

私はさっきのツイートでそのことを書いておられるとちゃんとわかりましたが,誰にでもわかる表現ではなかったかもw。 RT @kurusingo55: @motoken_tw 障害者児童を扱う職員がよくゆう台詞です。

2011-12-04 09:57:01
渡邊芳之 @ynabe39

そういう考え方がおかしい,という話です。さっき紹介した本もそういう問題意識。 RT @taketombow: 「助けてもらえない」のではなく、支援が困難というのが実情かと。先ず家族に理解して貰わないことには・ 

2011-12-04 10:00:50
渡邊芳之 @ynabe39

当事者がそう考えるならいいですが,それが外部から強制されるのはおかしいです。 RT @akutanpo: 賢くないとじゃなくて自分で意識的に動いていかないといけないってことなんじゃないのかなー

2011-12-04 10:01:19
渡邊芳之 @ynabe39

その「理解」の内容について特定のフォーマットしか認められない,ということが問題なんです。RT @hii1701: 子供を育てる義務は保護者にあるので、保護者の理解が必要という事なのては?療育を受けるか受けないかは、保護者の選択。強制できるのは、義務教育のみ。

2011-12-04 10:34:09
渡邊芳之 @ynabe39

「障害受容というタイプの障害との折り合い方」が当事者によって選択され実行されることにはなんの問題もありません。じっさいそれで楽になり積極的になる人もたくさんいる。しかしそれが「標準」として実質的に強制されることには賛成できない。

2011-12-04 10:35:34
渡邊芳之 @ynabe39

「貧乏人は貧乏なりにつつましく生きていけばいい」と貧乏人自身が思ってそういう生き方を選択するならいいけれど,たとえば厚労省が「貧乏人は貧乏なりにつつましく生きていくべし」と強制したならどうか。(まあ「それにも大賛成」という人もいるでしょうが。)

2011-12-04 10:38:20
渡邊芳之 @ynabe39

理解したり受容したりしていない親とその子もふつうにいっしょに暮らせるようにすればいいだけの話です。 RT @hii1701: 保護者が子供を育てなくなかったら、手放せばいいのにとか、そういう事ですか?その手の施設は、満杯状態だと聞きますが。

2011-12-04 10:39:14
渡邊芳之 @ynabe39

健常な子どもが親といっしょに暮らすのに特定の条件を課すことなど誰もしないのに,障害のある子が親といっしょに暮らすのにだけそうやっていろいろな条件をつけようとするのが「おかしい」とは思わないようになっているのが不思議。

2011-12-04 10:40:49
渡邊芳之 @ynabe39

借金だって自分がするのですから「言われる筋合い」はありませんよ。どうしてそういうふうに「他人の生き方」に指図できると考えるのか。 RT @hii1701: お金のかける割合に対して文句言われる筋合いはないですよね。でも、借金してまでなら、そう言われるのは当然かと?

2011-12-04 10:41:56
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく福祉全般の問題と同様に「面倒みてやっているのだから面倒みる側の都合に合わせろ」ということなんですよ。

2011-12-04 10:42:57
渡邊芳之 @ynabe39

「障害受容」についてはキューブラ=ロスの「死の受容」のアナロジーだといわれることがよくある。もともと「死の受容」についても特定の死に方を上位に置くこと,「最後まで死にたくないと叫びながら死んでいくこと」への「軽蔑」を生み出したことなどの問題があったと思う。

2011-12-04 10:45:11
渡邊芳之 @ynabe39

もうひとつ問題を書いておけば「当事者の障害受容」と「当事者家族の障害受容」の問題が基本的に同じ図式で語られることへの違和感も大きい。当事者家族は当事者とは別の種類の当事者である。

2011-12-04 10:46:27
渡邊芳之 @ynabe39

「○○さんのママは障害受容ができていないから療育がうまく進まなくて困ります」みたいなことを言わせない会北海道帯広支部長。

2011-12-04 10:49:39
渡邊芳之 @ynabe39

本部に問い合わせないと。 RT @imymemii: 私、長野県上田支部長やります。 RT @ynabe39: 「○○さんのママは障害受容ができていないから療育がうまく進まなくて困ります」みたいなことを言わせない会北海道帯広支部長。

2011-12-04 10:54:55
渡邊芳之 @ynabe39

「生まれつきの障害だから親御さんの責任ではない」という「慰め方」は,もしその障害に具体的な環境因や「親の影響」が発見されたときに「親の責任である」といわれることを言外に準備してしまうかもしれない。

2011-12-04 10:57:48
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