@yrk_iさんの「 #TRPG について説明しよう」(途中経過)

よるき(@yrk_i)さんが、TRPGについて説明しようとしたら、どうなるのだろうと考えていた途中経過。 読み応えがあったので再読のためにまとめておきます。
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夜帰(よるき) @yrk_i

わたしが、TRPGについて説明しようとしたら、どうなるのだろうと風呂で考えていた途中経過。

2011-12-05 21:05:40
夜帰(よるき) @yrk_i

小説、映画、演劇、ドラマ、漫画、アニメ、ゲームなど、色々ある「物語」は私たちをドキドキさせる。主人公がどうなるのか、障害を乗り越えられるのか、挫折してしまうのか。フィクションでも、ノンフィクションでも、ドキュメンタリーでもドキドキする事は変わらない。

2011-12-05 21:08:52
夜帰(よるき) @yrk_i

私たちが物語に触れてドキドキしているとき、「これからどうなるんだろう」「果たして幸せになれるのだろうか」という疑問、不安がある。そして、主人公がそれを乗り越えた時、私たちは「ああ良かった」と安心してカタルシスを得る。

2011-12-05 21:11:40
夜帰(よるき) @yrk_i

悲劇と呼ばれる種類の物語もあるが、それは置いておく。何故なら、「自分が主人公の物語」を悲劇で終わらせたいと思う人は多くないだろうから。

2011-12-05 21:12:34
夜帰(よるき) @yrk_i

物語に触れているとき、こう考えたことは無いだろうか。「それをしてはいけない」、「主人公はあれをした方がいいはずだ」 など。 イザナギに「振り返ってはいけない」と思いながら私たちは物語に触れている。でも、彼は振り返ってしまう。

2011-12-05 21:15:20
夜帰(よるき) @yrk_i

もし、イザナギが振り返っていなければ。もし、赤ずきんが狼を怪しんでいたら。物語は触れる人の干渉を受け付けず、決められたとおりに進む。触れる人の干渉を受け付ける形態のひとつが「ゲーム」で、これはあらかじめいくつかの微妙に異なる物語を用意していて、触れる人の選択によって変化する。

2011-12-05 21:19:51
夜帰(よるき) @yrk_i

話がずれてきた。 物語の主人公は、物語を作る。主人公の選択、行動、言動で、物語の世界は変わる。主人公は物語の世界を生きている。 でも、現実世界の私たちは物語の世界に干渉できない。私たちはその物語の主人公ではない。

2011-12-05 21:22:41
夜帰(よるき) @yrk_i

もし、自分の望んだとおりに主人公が行動したら? そして、主人公の行動に従って、物語が変化したら? 黙って物語に触れていれば、主人公が困難を乗り越えてくれる「干渉できない物語」よりも、ずっと大きなカタルシスが得られるのではないだろうか。

2011-12-05 21:24:18
夜帰(よるき) @yrk_i

自分が主人公の行動を決めるのだから、幸せな結末を導きたければ、相応の努力を主人公はしなくてはならない。 主人公が、私たちの考えたとおりに行動するとして、物語に触れる人は主人公よりも多くのことを知っている。登場人物よりも作者に近いところにいる。

2011-12-05 21:26:02
夜帰(よるき) @yrk_i

私たちは作者に近い立場だから、今まで触れてドキドキしたような、「乗り越えられるのか分からない困難な障害」を設定するには、主人公の立場でも、私たちの立場でも、「分からない」といえるものを準備しなくてはいけない。これは、とても難しい。

2011-12-05 21:27:58
夜帰(よるき) @yrk_i

この「障害」を準備する手段として、ランダム要素というものを取り入れる。サイコロを振るなり、トランプを引くなりして、ランダム要素を取り入れる。確率によって「分からない」を規定して、私たちをドキドキさせる。走って追いつくか「分からない」、テストの点数が「分からない」など。

2011-12-05 21:29:40
夜帰(よるき) @yrk_i

「頭のよい」主人公なら、テストの点数は高くなりやすいだろう。つまり、高い点を取る確率が高い、という事になる。「頭の悪い」主人公ならその逆だ。これらの、「障害に対する対処方法」を確率で決めたものを、「主人公の能力」として決める。そして、この主人公を私たちは動かす。

2011-12-05 21:31:14
夜帰(よるき) @yrk_i

これが、TRPGという遊びだ。物語の大きな枠組みを語る「作者」がいて、そこに私たちは「問題を解決しうる能力を持った主人公」で干渉する。そして、物語を作り、進め、問題を乗り越える。ここで、また物語の話に戻る。

2011-12-05 21:33:23
夜帰(よるき) @yrk_i

古い物語、「桃太郎」や「白雪姫」や、神話の類は、主人公は必ず一人だった。桃太郎の主人公は桃太郎。白雪姫の主人公は白雪姫ただ一人だ。神話なんかは主人公の資質ある英雄が沢山出てくるが、必ず英雄は一人で冒険をする。彼らは「万能の英雄」で、神にも近い。私たち人間からは遠い人たちだ。

2011-12-05 21:35:59
夜帰(よるき) @yrk_i

一人で困難に立ち向かって、乗り越えるなり、敗北するなりする。ここで、私たちが主人公を動かして体験したい、導きたい物語は「幸せな結末に至る物語」であるという事を考える。必ず障害は乗り越えられなければならない。これを踏まえると、主人公は「障害を必ず乗り越える英雄」に常になる。

2011-12-05 21:38:19
夜帰(よるき) @yrk_i

常に英雄だけを操作する、というのはあまりにも味気ない。何故なら、英雄は私たちがどう操作しても、物語をハッピーエンドに導いてくれるもので、そういう能力がある人だからだ。正面から切り結んでも、背後から襲い掛かっても、戦わずに逃げても、どれでも良いのなら、私たちが操作する意味は薄い。

2011-12-05 21:39:56
夜帰(よるき) @yrk_i

ここで、主人公を私たちに近い人間にしてみる。弱みも強みもある人間だ。ここで生じる問題は、「一人の人間で解決できる障害には限界がある」こと。こういう時私たちはどうするか? 協力する。力を合わせる。出来ないなら出来る人に頼む。「頼れる仲間」が必要になる。

2011-12-05 21:41:25
夜帰(よるき) @yrk_i

この「頼れる仲間」は、「桃太郎」では猿、犬、雉という形で現れた。しかし、猿、犬、雉は全て桃太郎の延長でしかない。「桃太郎の仲間」は「桃太郎の能力」の一部であって、つまり「桃太郎と猿、犬、雉」という新しい英雄が生まれたに過ぎない。

2011-12-05 21:43:00
夜帰(よるき) @yrk_i

主人公と仲間を、完全に分離し、個々では英雄でなくす。人間にする。こちら側で「考えて、動かす」人を増やしてやることで、「分離」をはかる。 私は「桃太郎」、Aさんは「猿」、Bさんは「犬」、という風に。

2011-12-05 21:45:50
夜帰(よるき) @yrk_i

桃太郎は刀が使える。猿には爪がある。犬には牙がある。雉には翼がある。「得意なことが違う人が集まり、一人では無理な障害を解決する」という図が生まれる。「得意なこと」は先程言ったように確率の大小で規定され、各自の得意なことが異なる=成功率が違う。

2011-12-05 21:48:06
夜帰(よるき) @yrk_i

各自が最も得意なことにあたり、全てに成功すれば、障害を乗り越えられ、幸福な結末に導かれる。自分が動かす「桃太郎」なり「猿」なりが「何が得意なのか」を考えて、「鬼退治のために何が出来るのか」を考えて、実行する。全員で頑張って鬼を倒す。これを形を変えてやるのがTRPGです(長い

2011-12-05 21:49:59
夜帰(よるき) @yrk_i

だめだなー。ブラッシュアップが全然。

2011-12-05 21:50:05
夜帰(よるき) @yrk_i

全然だめだなー。全く。長い。こりゃだめだ。でも、楽をしようとすると通じる人を限らざるをえなくなるしなー。うーん。

2011-12-05 21:50:46
夜帰(よるき) @yrk_i

つまりええと、「俺ならこうするのになあ」の実現と、「どうなるんだろう」のドキドキの両立、そこに「仲間との協力」と、協力からくる「信頼関係、認め合う関係」を足したものがTRPGだよーとか言いたかったんだけどなあ。根っこは。うーん。

2011-12-05 21:55:35
夜帰(よるき) @yrk_i

考えて行って、「PCがPT組んでる図の物語」っていつからなの?とかなっていって。古い物語ほど主人公は一人しか居ないんだ。

2011-12-05 21:57:20