独創性について。横尾忠則が子供に絵の授業をしたときには、子供に自分が好きな絵を持ってきてもらって、それを模写させたのだと
- lucifer_af
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http://t.co/4qJJsfsV 独創性について。横尾忠則が子供に絵の授業をしたときには、風景を描くとか、座学を行うのではなく、子供に自分が好きな絵を持ってきてもらって、それを模写させたのだと。
2011-12-06 08:11:38何か生データを見せて、「それを好きなように表現してごらんなさい」とやったところで、生データの情報量は莫大に過ぎて、お手本無しの「表現」は、結局のところ隣の子供と同じ、その場の空気が生み出す陳腐な何かに収斂してしまう
2011-12-06 08:12:52莫大な情報を、制約ゼロで自由に表現させた結果として、そこにいる全ての子供が、ありきたりでつまらない「子供の絵」を描き出す。子供が家から持ってきた絵を模写させて、今度は「その絵を記憶でもう一度描いてごらん」と水を向けると、模写には遠い、すばらしく独創的な絵が並んだのだと
2011-12-06 08:14:21お手本たる誰かの描いた絵というものは、その作家なりの要約であって、立体の生データに比べれば情報は少なく、たぶん頭で処理しやすい。だからこそ絵画は、写真が普及しても残るのだろうし。
2011-12-06 08:15:32プロがある程度の要約を行った情報と、その場の空気にとらわれない、自分なりのお手本とを与えると、みんな自由に描き出す。独創は適切な制約から生まれる。自由はむしろ、情報に対する態度を収斂する
2011-12-06 08:16:37由良拓也は何かの本で、「自分は何をデザインしてもACコブラを描いている」なんて描いてた。由良拓也のデザインは見れば「ああ」と分かるぐらいに独創的で、一方で、トヨタや日産のデザイナーが描いた車の絵は、「デザイナーが描いた車の絵」に見える。制約がないのに個性がない
2011-12-06 08:19:41線が細くてホイールが極端に大きい、角はといえば丸まった、面の張った、いかにも「デザイナーがデザインしました」というプロトタイプのデザイン案は、RVだろうがスポーツカーだろうがなぜかイメージが変わらない。
2011-12-06 08:20:41乗用車デザイナーのデザイン画というのは、あれは車のデザインじゃなくて、会社の空気を描写したものなんじゃないかと思える。「いわゆる子供の絵」というものが、学校の教室にある空気の描写でしかないように
2011-12-06 08:21:29車のデザインって、どのレベルまで決めてから発注がかかるんだろう?デザイナーが最初から関わるよりもむしろ、ホイールベースからエンジンの大きさ、要求される客室スペースやトランクの大きさまで変更不可能なレベルで決めてから発注したほうが、デザインには個性が出るんじゃないかと思える
2011-12-06 08:24:23@medtoolz 『「制限」が創造性を高める理由』というWIREDの記事を彷彿とさせますね. http://t.co/ukp0V7I4
2011-12-06 08:32:25「何かかっこいいの」をくれ、と言われたデザイナーはたぶん途方に暮れる。顧客の頭にある「かっこいい」を見ることはできないから。機能用件が並べられて、「なんとかこれをまとめてくれ」と言われて、初めてデザイナーは、自分の「かっこいい」をそこに投影できる
2011-12-06 08:38:24要件定義って、だからこそ顧客の仕事で、それをしっかり行うことで、顧客がデザイナーの前から退場できて、初めて仕事がまともに回る。そういう意味で、デザインとは顧客自身の仕事でもある
2011-12-06 08:39:16理想的な顧客と、ものすごくわがままな顧客は、だからよく似てる。特にその人の理想が高ければ、ほとんど区別できないし、後者は自分を前者だと信じているからたちが悪い。なんのためにわがままに、無茶な要件を並べるのか、分かってる人は理想だし、分からない人はわがままでしかないし
2011-12-06 08:40:45@medtoolz 僕個人としては,人間は少数の選択肢から最適解を選ぶことはできるけれど,多数の選択肢から解範囲を絞るのは苦手(もしくは画一的になりがち)なのではないかと思うことがあります.
2011-12-06 08:41:06@glatter 「群衆の叡智」を扱った本にも、そんなことが書いてありましたね。。選択肢をいくつかに絞って、初めてあの叡智は発動するんだと
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