情報伝達技術の発展がもたらす個人の総合表現時代

情報技術の発展により個人でも動画の配信が簡単にできるようになった現代。 個人の情報発信技術もより上手い文章を書くことから、映像・音声を駆使した上手いアピールを行う技術がより重視されるようになる。 それは奇しくも、文字による論理と知識偏重の時代から、総合表現による感覚と感性が重視される時代への変化をより一層促すことになるのではないか? という考えが浮かんだので記録しておく。
5
Eiji Sakai @elm200

動画が簡単に配信できる現代。意思伝達において、文章を書くことと、スピーチ/プレゼン等で動画音声的に表現することは、完全に同義になりつつある。文章の語彙や構成を学ぶなら、どうして自分の表情や身振りを効果的に制御することを学ばないのだろうか。それが当然のように理解される時が来る。

2011-12-07 10:59:27
Eiji Sakai @elm200

私たちはおそらく動画や音声を、文字とうまく組み合わせつつ、意思疎通の手段として巧みに使って行くべきなのだ。そういう総合的な表現リテラシーはまだ萌芽の段階にある。20年後には、ネットを利用した同期的/非同期的な意思疎通が全面的に開花するだろう。そして社会は新しい発展段階へ。

2011-12-07 10:42:43
MG @MG8th

露出社会はまだ始まったばかり..........。文字だけがすべてじゃない。

2011-12-07 11:15:52
Alpha @a_alpha_m

ちょっとこの話(動画を個人が簡単に配信できる現在、これからは文章を上手く書く技術と、動画や音声でうまく表現する技術は等価になる)を見て思い出したんだけど、中世において、宗教は総合芸術であったという話。ビビっときたので書いてみる。

2011-12-07 15:56:03
Alpha @a_alpha_m

中世において、宗教は総合芸術であった。巨大な聖堂のドーム、そこに反響して響く声、音、音楽、窓やガラスから降り注ぐ光、立ち籠める香の香り、壮麗な装飾や緻密な文様、これらによってもたらされる神秘的な感動。中世の宗教は五感に直接訴えかけてくるよう、計算され設計されていた。

2011-12-07 16:01:10
Alpha @a_alpha_m

近代に入ると、知が重視され、中でも文字によって表される知というものが重要視された。「誰がどう書いたかではない、そこに何が書かれているかが最も重要なのだ」と。文字中心主義。これは、活版印刷術の普及により、まず文字のみが技術的に量産可能になったことと全く無関係では無いと思う。

2011-12-07 16:04:20
Alpha @a_alpha_m

文字中心主義は、逆に言えば、文字に書き表せないものは軽視されるようになった。文字として表現され得る事実の事象のみが大事なのであり、TVが行うような大げさなBGMや画面効果のようなものは印象操作であり、良くない、間違っている、と。感情は悪、論理は正だと。

2011-12-07 16:09:39
Alpha @a_alpha_m

しかし、それらの発想自体が逆に、伝達技術の未熟さゆえの制限から発生していた思考だとしたら。伝達技術の発展により、文字以外の伝達が容易になり、文字では表せない微細で豊かな表現の様々を伝達することが可能になったのであれば、文字こそが知性こそが全てと人々はいつまでも思っているだろうか?

2011-12-07 16:13:29
Alpha @a_alpha_m

これから個人の表現も、徐々に中世の宗教のようにありとあらゆる効果を駆使した総合芸術へと進化していくんじゃないだろうか? もともと表現とは何かを人に伝えたい、影響を及ぼしたいと言う行為である。ならばより効果的なそれに向かって洗練されていくということは十分にありえると思う。

2011-12-07 16:15:54
Alpha @a_alpha_m

そしてその時、それら感情に訴える技術は、悪いものではなく、当然のこととして受け入れられていくと思う。頭よりも心、理性よりも感性、何が書かれているかよりも誰がどう表現したかが、より重視される、古くも新しい世界へ。

2011-12-07 16:23:19
MG @MG8th

グーテンベルク革命以前の状況を、拡張できるのが、現在ではないか?つまり、地域にいる人々に直接語りかける、これを知域にまで拡張できる。文字は、もはやいらないかもしれない。声と表情で語る時代が本格的に到来するのか?

2011-12-07 11:19:10
MG @MG8th

書き言葉はいらない、これは挑発的であるが、考えてみる余地はあるなぁ。

2011-12-07 11:20:23
Hwi Jun KIM @pcaffeine

@sayuritamaki なんか古代に帰ってる気がするw なんか巫女(?)的な > 直接語りかける

2011-12-07 11:22:55
Anri 1y(2022.10)👶🏻 @anrijohna

@sayuritamaki 面白いですね!動画はより的確で濃い意思の伝搬が可能だと思います。わかり易い分一般受けしますし。私も動画の面白さに気づき、最近動画ばかりを集めたウェブサイトを始めたり色々試行錯誤しています!

2011-12-07 11:23:35
MG @MG8th

さて、ブログで自分の頭の中味を露出すること、声の露出、顔の露出、もはや私の中でこれらへの抵抗感が下がってきた。プライバシーという概念自体が自分の中で劇的な変化を遂げている、イマ。さて、プライバシーとは、なに?

2011-12-07 11:26:39
Alpha @a_alpha_m

若い年代を中心に、ネットで顔出しで映像を公開し、自分の今の素朴な気持ちや感情をそのまま露出させることに抵抗がない人が増えているように感じる。恐らくこれは、壮大なパラダイムシフトの一環。個人のプライバシーよりも集団の共感を重視する時代への転換が起こりつつある。

2011-12-07 16:28:21
一軒家 @untitled_skz

1960年代初めに、マクルーハンという人が「グーテンベルクの銀河系」で予見していますね。 RT @sayuritamaki: グーテンベルク革命以前の状況を、拡張できるのが、現在ではないか?つまり、地域にいる人々に直接語りかける、これを知域にまで拡張できる。文字は、もはやいらな…

2011-12-07 11:30:23
モリオカ @gauze1

@sayuritamaki ネオデジタルネイティブ世代はまさに、活字ではなく映像の世代です。『ネオデジタルネイティブ』にも書いてありますが、文字の登場以前の「画像として記憶する」が復活しました。これから両方駆使するハイブリッドになることは間違いないでしょう。

2011-12-07 11:50:21
MG @MG8th

私は比較的文章も書ける方ではあるが、それに執着しているわけではない。ようは、手段はなんでもいいということ。最近は1人1人と語るという対話方式に興味が向き始めている。skypeがある今、それも可能だ。続きは、Skypeで!ほなあとで。みたいなスタイルってアリだと思う。

2011-12-07 11:55:11
モリオカ @gauze1

@sayuritamaki 今添削をしている学生の卒論にGoogleとプライバシーついてのものがあるのですが、話をしていくうちに問題は「自身のコントロール化にない自身の情報流出」への嫌悪感であることに話がいきました。プライバシーの登場はその辺が考えられるかも。

2011-12-07 11:58:10
Hwi Jun KIM @pcaffeine

@sayuritamaki RT見ててそうか、と思ったんですけど動画の方が濃いと思う人はいるんですね。私は逆に薄いと思うんですけど。動画とか映像の一時間の情報量って多分A4で一ページくらいの文章量しかない気がします。まあ、表情とか非言語情報を見てるってのは分かりますが

2011-12-07 11:58:50
Alpha @a_alpha_m

これ、「情報の密度の問題」ではないんだよね、事実や論理といった情報の持つ「報」の要素を重視する時代から、それら以外の感情的表現、「情」の要素を重視する時代へということで、前者の密度自体が薄くなるのは必然であり、当然のことなんだという話。何に重点を置くかの違い。

2011-12-07 16:36:20
みきほ氏 @miqiho

@pcaffeine @sayuritamaki 動画、たしかに伝える力はありますがありすぎて見るほうが受動的になりすぎるとおもう。一方通行でいいなら動画ありだけども

2011-12-07 12:12:07
Hwi Jun KIM @pcaffeine

@mikiho3 @sayuritamaki あー、そうですね。インタラクティブ性も落ちると思いますね、動画は。何をしたいかによっての使い分けですね。当たり前だけど

2011-12-07 12:26:35
Alpha @a_alpha_m

文字だって非対称。自分が文字を書いている間は、同時に相手の文字は読んでいない。交互のやりとりで良いのであれば、それは映像や音声にだってできる。ネット上でのそれがまだ未発達なのは、単に技術の問題と、ユーザーの慣れにすぎないと思う。

2011-12-07 16:39:21