http://hystericaa.exblog.jp/16321207/への批判

http://hystericaa.exblog.jp/16321207/ への批判を書いたのでまとめました。
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北守 @hokusyu82

えっと、今からhttp://t.co/fDPRu9X4について批判します。ちなみに自分は男性です。

2011-12-08 01:31:56
北守 @hokusyu82

この文章においては、母性主義やジェンダー的問題についての批判が「習い性」ということばで無効化されているが、そもそも「習い性」となるぐらい繰り返しこのような批判が繰り返されてきたということは、そうした問題がさっぱり解決してないことを示している。

2011-12-08 01:36:22
北守 @hokusyu82

なぜこの問題に対してはそのような批判が有効ではないのかの理由が不明。それが一点。また、60年前の「女性たちがはじめた」運動を持ち出す「だけ」では、なぜ「いま」そのような方法論が再び用いられなければならないのか、ということは示されない。二点目。

2011-12-08 01:38:59
北守 @hokusyu82

三点目。運動の担い手たちの「主体」性について想像することなしに、「古い(悪しき)」運動を切断するとするなら、それは批判されるべき「前衛主義」だろう。

2011-12-08 01:42:57
北守 @hokusyu82

しかし、この文章においてはそうした「母親運動」的なものの「主体」性を想像するとき、そこに「無垢な」とか「非政治的な」という形容が暗に含まれている。このような読み込みはむしろ「男性」たちがつねにすでに行ってきたことであり、むしろ彼女たちの政治的な「主体」を剥奪しているのではないか。

2011-12-08 01:46:35
北守 @hokusyu82

くわえて、「母親運動」的なものを批判する「主体」への想像力については、この文章はいかにもステレオタイプである。

2011-12-08 02:07:42
北守 @hokusyu82

結果、「分断」に乗るなといいながら、その矛先は「母親運動」的なものを批判する側に一方的に向けられており、批判側が全面的に白旗をあげなければいけない構造になっている。しかし、一点目でいったように「母性主義」の問題点は何も解決していないのになぜ「いま」突然論点が無効になるのだろうか。

2011-12-08 02:11:04
北守 @hokusyu82

もちろん、(必ずしもすべてそうだとは思わないが)分断が「対「男」との位置関係で決められてしまう/しまった」ものだとすれば、「女性が母性主義的に運動してくれると男性の立場性は傷つかないので都合のよいナラティヴとして消費してしまう男性」については厳しく批判されなければならないだろう。

2011-12-08 02:29:18