- cafe_ohana
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竹野内さん 沖縄には、ぬちどたから という言葉がある。「命こそ宝」ということ。発信するために、皆、ジャーナリストになっていただいて。
2011-12-07 16:49:56佐藤幸子さん 本当の教育をしたい。文科省の人は、自分の言いたいこと言えない。一人一人が自分の生きたいように生きられる、そういう教育がされていない。
2011-12-07 16:44:03ゆみこさん 森下さんの最初のビデオメッセージに胸が熱くなった。こんなに早くから取り組んでいた人かいた。 食の力と思いの力で、まず自分の命のなかに平和を。
2011-12-07 16:39:27佐藤幸子さん 子どもたちはガラスバッチをぶら下げ、問診票には、配ってもいないヨウ素材を飲みましたか? スクリーニングをしましたか? という項目がある。そんな福島に住んでいる。どうか3人の人に話してください。
2011-12-07 16:26:33福島は炎に包まれていると思ってください、と言っている。 炎の中に子どもを置いておく人はいないでしょう。子どものときに火事にあい、母は炎の中に入って妹を助けた。私も同じことをする。
2011-12-07 16:17:48ヒバクシャ展 佐藤幸子さん 私は、今年畑を止めている。土は5000ベクレル超えている。百姓をやらなけれはならないと思っているが、子どもたちを守ることを優先させている。 あまりにも大きな敵と闘っているので、くじけそうになることもある。
2011-12-07 16:14:39肥田先生 早寝早起き お米は30回噛め。つばに含まれるジアスターゼを働かせて腸に。夜早く寝て、朝早く起きて、食事の時間をゆっくりもつ。
2011-12-07 15:39:39肥田先生 放射線に対抗する免疫力を親からもらっているのを、自分の暮らし方で減らしている。これは何万年もかけて、自然放射線にやられながら生きてきて、作ってきたもの。
2011-12-07 15:33:54肥田先生 和服の女性を診ないでいたら、兵士が「熱が出ているから診てやってくれ」。3時間後に死ぬ兵士が人を心配する。当時の日本人は優しい。忘れられない。お産で帰省していたが、夫を探しにきて偶然会えた。皆がこの幸せな二人を応援したが、夫の前で血を吐いて亡くなった。
2011-12-07 15:27:42肥田先生 原爆ぶらぶら病 働きたくても、だるくて動けない。調べても、病気の痕跡がない。医学の知識を総動員しても、わからない。原因不明で亡くなる人が出た急性期のあと、慢性的に出てきた症状。
2011-12-07 14:29:44肥田先生 占領軍は、患者を治療しようとする医師の手を縛り、口をふさいだ。私は餓死した被爆者を何人も見た。医師として、悔しさがある。
2011-12-07 14:25:47肥田先生 マッカーサーは文書で出さずに口頭で言った。あとで自分の責任にならないように。被害は軍機密情報だから、自分の被害について、親にも言ってはいけない。医師は症状を記録しても発表してもいけない。違反したも者は厳罰に処する。
2011-12-07 14:23:06肥田先生 広島、長崎の被爆者を診た医者は、みな死んでしまって、私しかいない。これから症状が出たときに、放射能被害かどうか、わかる人がいない。
2011-12-07 14:15:18ヒバクシャ展 肥田瞬太郎先生講演 内部被ばくはゼロでなければならない。後遺症が起こってくる時期は、少なくとも半年後。一番多いのは2~3年後。人生の最後にガンや白血病など恐ろしい病気が起こって亡くなる。
2011-12-07 14:11:40