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銭の流通と荘園公領制~與那覇潤、儀狄 両氏のやりとり~

個人的な控えです。気になるやりとりがあったのでまとめました。特に意図はありません。まったくの門外漢です。
人文 荘園 日本史
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儀狄@パブリックエネミー @giteki
@toshiitoh @jyonaha @takkawato togetter見てフォローさせていただきました。以後お見知りおきを。中国史畑の塾講師だったり高校講師だったりする人です。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@toshiitoh @jyonaha @takkawato 大雑把に言うと、日本への銭の流入に関して「中国で銭を使わなくなったから~云々」というのは誤りです。詳しい話は応答できる時間になってからにしましょう。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 今、歴史の話してよろしいでしょうか。話題は銭の流通と荘園公領制の話です。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha そもそも宋銭の流入は平安時代の後期から起こっていますが、荘園公領制の下、鎌倉・室町時代を経て銭の流通は阻害されるどころか加速する一方だったわけです。鎌倉時代には地頭から荘園領主への年貢が金納が主流になり、室町には農民が地頭に払うのも銭になります。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha なんでこんなことになるかというと。荘園領主は主に京都にいます(一部例外として東大寺や興福寺領、あとは関東御成敗地があります)。一方、荘園は全国にあり、荘園領主から見ると自分の荘園が全国に散らばっています。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha で、荘園領主に納める年貢は穀物だけでは済まずに各種の特産品を納めさせたのですが、荘園領主が自分の荘園一つ一つに対して「ここの荘園は何が特産品で~」などと把握していたわけではありません。なので、海のないところに昆布を納めさせたり、山がないのに絹を納めさせたりします
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha それらの年貢として納められる特産品などを換算する手段として銭の流通が促進され、年貢の金納現象が起こってくるというのが鎌倉時代頃の話です。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha では室町時代はどうかというと。北条氏の失敗(自分の土地を集積させて他の武士の不満を買った)を踏まえて足利幕府は領地をばらまきました。なので、『室町幕府の領地』は実はほとんどありません。じゃあ室町幕府の財源は……というと、ちまちま取るので覚えるのが面倒になります。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 室町幕府の財源がややこしいのは受験生の悩みの種ですが、要は荘園公領制における既得権益と言える『土地から取る税』をほとんど部下に与えてしまったので、新規開拓したわけです。だから金貸し・運送業者や関所から取ったり、都市から棟別銭を取ったりしてるわけです。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha というのが、荘園公領制下における銭流通の概略になります。一応これで終わるので質問あればどうぞ。
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha
代銭納が普及した中世が(物納に戻した近世よりも)貨幣経済ベースだったのは、網野善彦が特に強調した日本史の「常識」。その背景に実は「元朝中国での銅銭使用禁止→日本への銅銭流出」があったことを発見したのが大田由紀夫氏の研究 @giteki @toshiitoh @takkawato
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha
で、桜井英治先生は『年報中世史研究』32号の網野史学の総括で、大田説が定説となって以降も、網野が自説に東アジアの視点を取り入れなかったのは問題と批判している。「誤り」なのは国内要因で中世すべてを説明する旧来の歴史観です @giteki @toshiitoh @takkawato
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 大田氏の論文はいくつか(残念ながら全部ではない)読みましたが、元朝中国の銅銭使用禁止が日本への銅銭流入のきっかけではありません。だいたい、元が金を滅ぼし河北を支配したのが1234年で、それ以前から日本に銅銭は入ってきています
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 日本に貨幣経済が浸透したとされる一つのわかりやすい例としてよく挙げられる「銭の病」云々という記述が出るのは平清盛存命の治承三年。中国は北に金、南に宋。元はまだモンゴル族をまとめてない時代かな。
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha
@giteki 「きっかけ」だったとは誰も(大田氏も)言ってないでしょ。重要なのは元朝が南宋制圧後に銅銭使用を禁止し、結果として日本や東南アジア(中国国外)への宋銭普及が加速されるという点。この視角で書かれた中世経済の通史は桜井英治・中西聡編『新日本体系史12 流通経済史』を参照
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 元王朝が銭の使用を禁止して[金少]への切り替えを図ったのは事実ですが、それで銭が流出したと見るのは早計です。確かに税などの文書では銀や金少が使われていますが、特に南方で、土地取引や寺院への寄付などに銭使用も十分に残存していたと推測されます。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 加えて言うなら、元を倒した明のとき、王朝は洪武銭や永楽銭を発行したのですが、1450年頃の中国人の日記で『昔は永楽銭を見たのに最近はまるで見ない』と書かれており、同時期の出土銅銭からして宋銭の使用が復活したと推測されます。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha もちろん、私鋳銭ではないかという疑問はありますし、実際一定割合は私鋳銭でしょう。ですが、重さも質もそれほど変わらない銭が全て私鋳銭だったと考えるのは無理があります。宋銭が十分な量残っていてその使用が再び公認されたと見るのが自然です。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha 元朝における銭・金少・銀の相互関係については『 元代における銀・鈔・銅銭の相互関係について--使用単位の分析を中心に / 市丸 智子 九州大学東洋史論集. (36) [2008.3]』が出典
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha
なるほど、これは面白そうな論文ですね。ただ「流出」を否定するような強い根拠はあるのですか? RT @giteki 元朝における銭・金少・銀の相互関係については『 元代における銀・鈔・銅銭の相互関係について / 市丸 智子 九州大学東洋史論集. (36) [2008.3]』が出典
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha まず単純な問題として、どこからどうやって流出するのかという問題があります。元末期になって復活した日元貿易では限られていますし、朝鮮経由(朝鮮の貨幣経済浸透は遅い)と、倭寇(にしたって中国本土にいくのは13世紀も後の方)と南方はどれも有力には思えません
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha あと、大田由紀夫先生が伊原弘編の「宋銭の世界」という本に「金少から銀へ」というタイトルで寄稿してらっしゃいますが、元朝の銅銭使用禁止で急激に変わったわけではなく、緩やかに変わったとかいてらしたような(手元に本がないのでうろ覚え)
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha
@giteki いや、大田氏の論文や『流通経済史』等は、現実に日本国内の物価の動き等を見て「対応関係があった」と議論しているわけだから、「なんとなく流出しそうにないでしょ」では反論にならないでしょう。『宋銭の世界』情報は感謝、自分も気になっていた本なのでぜひ読みたいですね。
儀狄@パブリックエネミー @giteki
@jyonaha あと、王朝が禁止したってただ禁止して来年から移行とかは不可能です。(混乱したら最悪、王朝の命取りになります)。元朝の貨幣政策史についてはそのものずばりの本がありますので見てください http://t.co/8UcNVlUG 今は品切れですが。

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