時期は特定できなくても必然的に生じる未来の形から逆算したところにある「今」。そういう視点を持った人間同士にはシンクロニシティが生じる。それはオカルト的な理由ではなく、膨大にある「今」の情報の中から、瞬時に、いつか訪れるであろう未来と深く関係のある僅かな兆しをキャッチし合うからだ。
2011-12-07 14:42:54必然的に訪れる未来の形というのは、あたり前のことだが物事には必ず終わりがあるということ。発展の仕方は様々であっても、終わり方は、どれも似たようなものであること。そして新たな始まりは、常に、それ以前のものの延長ではなく反転から生じること。ルネッサンスも、コペルニクスも、明治維新も。
2011-12-07 15:02:08これからの社会は、現在の延長線上にあるのではなく、おそらく反転したものになるだろうから、既存の組織の枠組みの中にいる人たちには発想できない切り口で、新しい場や流通を発想し、立ち上げていかなければならないのだと思う。
2011-12-08 00:07:51六本木の夜。日本のこれからに思いを馳せながら、様々な分野で試行錯誤して具体的に取り組んでいる11人の猛者と5時間を超える熱い対話。近代の行き詰まり、これからの日本のこと、3.11の受け止め方、新しい仕組み、新しい生き方・・・、話の端々に、いろいろなヒントが散りばめられていた。
2011-12-09 01:39:17新しい仕組みも、新しい生き方も、既に始まっていると私は思っている。マスコミに見えないところで。そして、どんな時代でも、新しさの到来は、一度に全員ということにはならないのだ。そしてある日、ロールシャハテストで壷に見えていたものが、実は向き合う二人だったのだと大勢が気づく時がくる。
2011-12-09 01:42:312035年以降のは日本は今とはだいぶ違う雰囲気になっていると思う。団塊世代がいなくなって、バブル崩壊以降に生まれた人間が主流になる頃には。しかし、それまでの25年間は、非常に危機的で、意識が変わらなければ、もしかしたら壊れてしまうのではないかという不安がある。
2011-12-10 10:42:23税収が43兆円で医療費と年金で50兆円も必要な今の日本。50兆円の大半が高齢者対策のようなもの。これから25年、人口の莫大な団塊世代がそのゾーンに入ってくる。これまでのようにリタイヤした人々の”消費”を経済の活性化に利用しようという魂胆は、虚の活性化であり、崩壊への序章だろう。
2011-12-10 10:47:50高齢者を消費者としてではなく、社会資本にしていく仕組みが必要なのだと思う。消費というのは、虚の活性化であることはバブルの時に経験している筈。そして消費というのは、心が満たされることのないエンドレスゲーム。人生の最終章が消費というのは、きっと死の瞬間に悔いが残る。
2011-12-10 10:51:01消費ではなく、投資。投資といっても個人の財テクではなく、社会資本となって、未来に投資すること。自らの財産も、自らの心身も。もしも高齢者の意識がそのように変わることができれば、これからの危機的な25年が、異なった方向に行く可能性もある。若者に尊敬もされ、死の瞬間も安らかだろう。
2011-12-10 10:54:37消費というのは、個人のエゴを利用し、エゴを肥大化させる。消費を国に活性化の原動力にしようという発想は、畢竟、エゴが蔓延した社会になっていくのは当然。自らを社会資本にしていく発想に転換するためには、消費社会によって強固になったエゴを消していくという精神の運動が必要になる。
2011-12-10 10:58:18消費社会で身に付いたエゴを消していく精神の運動は、大変なことのように思えるが、一度でも身をもって体験すれば、それが歓びと快になり、それまでの消費による空虚感のともなった刹那的な快楽とは違うことがわかり、病み付きになるということもある。そうならないと、この25年は乗り切れない。
2011-12-10 11:02:08わかっていることは色々あっても、それを形にして具体的にやっていかなければ意味がない。今、それを行うことが簡単でないのは、これまでの方法の延長線上にないことだから。脳みその使い方を、変えなければならない。近くは遠く、遠くが近いことを行動の指針にしなけらばならない。
2011-12-10 11:05:48