迷うという行為が楽しさだと気づかせてくれたのは、京都のマルイのMOSAIC DININGの看板を見てでした。「ここでごはん 入ってから迷っておいしさいろいろ揃ってる」っていうコピーがありまして、それを見た瞬間、迷うのか!って思ったことがキッカケです。
2011-12-12 06:37:00なぜ、そこにそんなに着目したのか、今となっては疑問ですが、入って迷って御飯食べるというシーンを思い浮かべたら、なんだか楽しそうだなって思えたわけです。選択肢を見つけて、迷って、選んで、実行する。そのプロセス自体がたのしそうだなって。
2011-12-12 06:37:56腹が減ってたらとっととなに食べるかは決めて欲しいものですが、そうでないときは、誰かと一緒に御飯食べるなら、どれにしよーとか考えてる時間もコミュニケーションというか楽しさの時間だなとあらためておもいました。
2011-12-12 06:40:02特に僕は、服を買いに行くときは、買うという行為や、買った後の利便性・ファッション性よりも、服を選ぶときのほうが楽しいというか意味がある。自分のスタイルや今後の方向性を考えながら、どんな服にするのか、どういうふうに見せたいのかとか考えて、服を「迷う」ことがとてもたのしい。
2011-12-12 06:41:16だらか「迷う」という行為は、ネガティブなイメージの言葉だけど、ある範囲では楽しみというかもっとポジティブに捉えてもいいんだろうなと思った次第です。
2011-12-12 06:41:59だからこそ、そこで問題になるのが「ある範囲」の内容。お腹が減ってる時にご飯を迷いたくないように、無数にある大学からどこに行くのかを決めるのがめんどくさいように、迷わせる範囲というのはとても大事におもえます。
2011-12-12 06:42:52そこで、ポイントとなるのが選択肢の数。一個では迷えないし、二個でも主体的にはなれないし、多すぎても選ぶのがめんどくさくなる。ひとはほんとうにわがままです。自分で決めている「感」はほしいけど、めんどくさいのは嫌なんだろうなと思います。
2011-12-12 06:44:44適切な数はわかりませんが、選択肢のコマンドは3〜5ぐらいがいいんだろうなと感覚値。二個だと選んでるより、選ばされてるって感じがするきがしたから。この「選んでる感」ってとても重要だと思う。迷う行為が楽しいのは、迷っているからではないから。
2011-12-12 06:46:09迷う行為が楽しいと思えるその本質は、迷うからではなく、迷うという行為が自分で決めているという裏付けになるからだと思っています。人は誰かに決められるより、自分で決定をしたほうが楽しいということが楽しさの本質だと思っています。
2011-12-12 06:47:29ただ、あまりにも選択肢が多かったり、選択基準がつくれなければ、めんどくさいとなり、そのときは迷いが楽しさでなくなる=自分で選ぶことを放棄したから楽しくはないとなると思いました。
2011-12-12 06:48:00というわけで、楽しいかどうかはめんどくさくないかどうかと言い換えれるかなと思いました。めんどくささを分解すると、選択肢の個数と選択基準の難しさになるとおもいます。ただ、個数が多くても、あきらかに選択にたりうる選択肢が3つしかなかったら、めんどくさくはないと思うから。
2011-12-12 06:50:02選択基準の難しさっていうのは、そこから得られるリターンとリスクが曖昧なことだと思います。選ぶということは、直感的だろうと論理的だろうと何かの基準に照らし合わせて選んだということ。その基準というのは基本は、それを選んだらどうなるかの天秤だと思います。
2011-12-12 06:52:34その天秤の内容や視点は人それぞれだろうけれど、たとえば誰かの誕生日プレゼントを選ぶときに、知らない人のプレゼントを選べと言われたら、なにを喜ぶか分からないから、リスクとリターンが見えず、もうめんどくさいなと思うと思いました。
2011-12-12 06:54:10それでいけば、どのぬいぐるみがいい?って女の子が男の子に聞いても男の子が興味なければめんどくさいなっておもうだろうなと。つまりは、その選択が自分にとって意味があるか、自分ごとであるかどうかはもっと前の前提としてあるんだなと今気づく。
2011-12-12 06:55:18だから、大学選びとか、就活とか、たまにめんどくさいなっておもって投げ出すんだと思う。だって、どれ選んだらじぶんがどうなるかはっきりとは見えないからね。
2011-12-12 06:56:00次は選択肢の同等性。これはジレンマとも言いかえられるんだけど、コンパクトデジカメを買おうとしてるときに、デジイチやチェキが選択肢にあっても迷わないだろうってことです。それぞれの選択肢が甲乙付けがたいからどれにしよーかと迷うわけで、はっきりと選ぶべきものが分かったらたのしくない
2011-12-12 06:58:28そういう意味において、迷いを楽しさに変えるときは、リスクとリターンがある程度見えて、しかもそれが天秤にかけられないからまよってしまう。天秤にかけられたら迷わないからね。同じ基準で測れないことが重要。
2011-12-12 06:59:54ただ、あまりにも天秤射かけられないとめんどくさくなるなとも思う。しかも、その選択が自分の人生にとって重要であれば有るほど、測れないという状況はひとを不快にさせるかもなって。
2011-12-12 07:00:48ま、エンターテイメントの選択肢はそんなに重くないからここは論点にしないけど、天秤にかけられないけれど、迷う選択肢という意味で、同等性が必要だと思った次第。
2011-12-12 07:02:07そんなこんなで人を楽しませるときに、相手が考えたくなるテーマで、相手が選んでもいい選択肢が3〜5個あって、それぞれ甲乙付けがたい内容であることが、「ある範囲」ってことになるかなと思います。
2011-12-12 07:03:53だから、居酒屋のメニューとかももうすこしコマンド制にすればいいと思う。ロジックツリーっぽくなるけど、サラダに9品も一覧であるより、ヘルシー・たっぷり・当店オリジナルとか3つにジャンル分けて、その中に3つ選択肢があったほうが、選び易いからいいかなって。
2011-12-12 07:05:40まあ、これは俺が理系というかロジカル的にサラダを選んでるからかもしれなくて、他の人は9つの中から迷うほうが楽しいのかもしれないけど。
2011-12-12 07:06:16でも、メニューというのはお客さんに商品をかってもらう上で最終的に目にするものだから、もっと戦略的に考えたほうがいいなとはおもっている。
2011-12-12 07:08:37