渡邊教授(ynabe39)の「差別主義者だと言われることはどういうことなのか」についての連続ツイート

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渡邊芳之 @ynabe39

世の中に「良識的な人」と「差別主義者」とがいて,差別を行うのは差別主義者だけであるならば話は簡単である。しかしそうではないということは誰にでもわかるだろう。

2011-12-12 07:10:12
渡邊芳之 @ynabe39

人はみなある文脈,ある状況の中では自分が意図せずとも差別を行う。それが「差別が構造である」ということの意味だし,だからこそ「差別を生み出す構造への気づき」「自分の差別への気づき」が強く求められるのだと思う。

2011-12-12 07:11:25
渡邊芳之 @ynabe39

普通に考えると,人は自分が意図せずに行うことについて「主義者(ist)」と呼ばれることは少ない。「無意識に共産主義者になる」とか「無意識に仏教徒(buddhist)になる」とはあまり言わない。そう考えると差別主義者とは「差別をする人」ではないのだ。

2011-12-12 07:13:24
渡邊芳之 @ynabe39

【挿入分】では「差別主義者」と呼ばれるのはどのような人だろうか。ひとつには「意図的に差別を行なう人」「差別は悪くないと主張する人」がそれだろう。「差別は犯罪でない」というようなことを主張する人が,そういう意味での「差別主義者」と呼ばれるのだと思う。

2011-12-12 11:02:16
渡邊芳之 @ynabe39

しかしそのように差別一般を容認するようなことを言う人は現在ではごく稀だろうと思う。しかし「差別主義者」と呼ばれる人はすごくたくさんいる。であればその人たちは何によって差別主義者と呼ばれるのか。

2011-12-12 07:18:23
渡邊芳之 @ynabe39

それは「誰かが差別だということを差別でないという人」「差別だと主張されていることが本当に差別なのかを問う人」である。フェミニズムの問題について小倉先生や私,タキオカくんなどが「差別主義者」だといわれたのは,そういう文脈においてだったと思う。

2011-12-12 07:21:06
渡邊芳之 @ynabe39

誰か(とくに当事者)が「これは差別だ」と言っているものを差別と認めない者は「差別主義者」という図式は非常によくみられる。もちろん実際に差別が存在してもそれを認めないということはとくにマジョリティの立場にはよく見られるので,その意味で差別主義者はたくさんいることになる。

2011-12-12 07:24:04
渡邊芳之 @ynabe39

「自分は差別などしていない」といいながら(自分でもそう思いながら)実際には差別している人,というのは無数にいるわけで,そういう人をいちいち差別主義者とはいわない。差別主義者とは「自分のやっていることは差別ではない」と主張する人に与えられるラベルなのだろう。

2011-12-12 07:28:04
渡邊芳之 @ynabe39

私が差別主義者だと言われるということは,私が「誰かが差別だと思っていることをやっていながら,それは差別ではないと主張した」か,「世の中で差別だと言われていることが差別なのかどうかについて否定的な主張をした」か,いずれかに分類されたということなのだと思う。

2011-12-12 07:30:08
渡邊芳之 @ynabe39

朝に連続ツイートが多いのは,朝風呂に入りながらいろいろなことを考えるからである。

2011-12-12 07:31:07
木下秀明 @khideaki

@ynabe39 差別反対を叫んでいる人が逆に差別的な扱いをしていると感じることもあります。そう感じさせる人はある種の枠組みを恣意的に設定してその枠の内と外で扱いを変えているように感じます。枠の設定自身に疑問があると差別的に扱われたと感じてしまいます。そこには普遍性がありません。

2011-12-12 07:22:43
渡邊芳之 @ynabe39

@khideaki そしてそれを批判することが「差別主義者」といわれる典型的なパターンのひとつです。

2011-12-12 07:32:16
渡邊芳之 @ynabe39

「以上,差別主義者だと言われることはどういうことなのかについての連続ツイートでした」。

2011-12-12 07:33:40