- waferwader
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江戸時代は85%が農民でした。戦前から1960年くらいまでは1400万人が農民でした(戦後数年間は、3800万人まで農業人口が膨れ上がったこともあります)。
2011-12-11 11:39:50こうしてみると、人間というものは、ほとんど、「食べ物をつくる・とる」ということをするための存在だったことがよくわかります。それは生まれながらの身分のようなもので、それ以外のチョイスはなかったわけです。
2011-12-11 11:40:49ところが、戦後の経済成長により、農村から大量の人間たちが都市にやってきました。それが資本主義経済や消費社会を支えたわけです。それは日本に限らず世界の先進国において共通するながれでした。
2011-12-11 11:41:45都市の住民には、企業で働く、消費をする、という、立派な役割がありました。しかし、この20年ほどのグローバル化の進展で、都市住民の役割が変化したり、失われたりしています。それが失業率の上昇や、新卒者の就職の困難化となってあらわれています。
2011-12-11 11:43:26この「大量の都市住民」が今後どうなってしまうのか、という不安と疑問が私にはあります。かつては、「大量の住民」の役割は、「農家として食物をつくる」ことでした。しかし、都市住民の役割は、いまや曖昧になってきている気がします。
2011-12-11 11:45:25農村で食物を作るでもなく、都市でカネの媒介物となるでもない、大量の都市住民たちは、一体今後どうなっていくのか?彼らの役割は何なのか?これまでの人類が体験したことのない未曾有の状況に、私たちは置かれているのです。
2011-12-11 11:47:14単身女性の貧困率が高まっているというニュースは、「農村から出て都市にやってきた人々の居場所のなさ」というものを、感じさせるものであった。
2011-12-11 11:48:55妄想の中で生きることは後の苦しみを深めるだけ。現実的に生きる。それが「下山の思想」であり、「降りてゆく生き方」なのです。
2011-12-11 18:42:33日本国民がみんな一斉に降りてゆく、下山するということはないでしょう。昇る以外の生き方を知らない人が多いのですから。でももう下山をして、自分らしい確かな生き方を確立するために努力するほうが、はるかに賢明であると私は思います。
2011-12-11 18:44:07優良企業や富が日本から出ていく流れは自然であり止めることはできません。日本はゆっくりと、しかし確実に下っていくのです。それは誰も抗うことはできない。そうであれば、覚悟を決めてしまったほうがいいのではないかと思います。
2011-12-11 18:45:45RT @thou77angis: 4月から海外から日本を見てて、なんとなく思ったのは、日本は滅びるんだろうなという事。8月に一時帰国した時にそういう思いが強くなった。政府は国民を守らない、国民の多くが無関心。そういう国が幸せに続くはずがない。悲しいけどそうとしか思えない。
2011-12-12 05:09:59五木寛之さんは、「下山の思想」の中で、「ローマは一日にしてならず。同時に滅びるのも一日で滅びたわけではない。少しずつ滅んでいった」「ローマは一日にして滅ばずである」「堤が一部決壊しても突然全ての機能を失うわけではない」と述べていた。正にそのとおりである。
2011-12-12 05:14:27日本という国が突然全て崩壊して無くなるわけではない。堤防が決壊しても、突然水が全て溢れるわけではないのと同じだ。しかしあふれ出た水は止まることを知らずに、いずれ堤防を完全に破壊する。
2011-12-12 05:16:51日本という国家は、すでに「決壊」していると見るほかない状態である。20年後、30年後をリアルに想像してほしい。そこに果たして希望的な状態が具体的に見えるか?衰退と崩壊はゆっくりと、しかし確実に進んでいるように思えてならない。
2011-12-12 05:18:15だとすれば、大事なことは、「国家が崩壊しても生きていく力を身に着けておくこと」ということになる。いまから、国家に依存せずに、日本国内で生きていくために必要なことをきちんと準備しておくのが、状況的に必要なことなのだ。
2011-12-12 05:19:56五木寛之氏が生きてきた「敗戦後の日本」といまの日本国の状態は近似する。国家というものは、常に、最後は国民を裏切り、見捨てるものなのだ。
2011-12-12 05:21:22歴史的に見て、日本国家が「民」を本当に意味で助けたことがあっただろうか?今後、日本国家がたくましく立ち直り、政治的行政的リーダーとして卓越した人間が現れ、民を広く幸福に導くことが想像できるだろうか?
2011-12-12 05:22:42五木寛之氏は、「民」という字が好きでないという。「民」の語源は、「目を針で刺して視力を喪失せしめられた人」のことなのだ。盲目になり現実が見えなくなった人間が「民」なのだ。だから五木氏は、「人民」も「民主主義」も好きな言葉ではないという。
2011-12-12 05:26:45目を突き刺して盲目となった人を「民」というのは、私も初めて知ったが驚くべきことである。民とは正に現実を見えなくして為政者に従うだけの存在なのだ。それはあまりに現実に即していて、言葉の力を恐ろしく感じてしまう。
2011-12-12 05:28:13