日本人の裸体に対する眼差しはこうして出来た

国立近代美術館で開催中の「『ぬぐ絵画』展」 http://t.co/URkY7n4S の猥褻に就いての説明やキュレーションが間違っていることにお怒りの水野亮氏(@drawinghill)が、日本人の裸体についての眼差し=「エロ目線」を解説する。
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@drawinghell

週が明けても未だに「ぬぐ絵画」展への怒りがおさまらない。自分が昔書いた卒論のテーマとも重なる部分があるだけに、まだまだ言い足りない気がする。しかしホント、なんだったんだろう、あの展示は?

2011-12-12 20:48:10
@drawinghell

(ぬぐ絵画)展覧会本体よりも特設サイト( http://t.co/URkY7n4S )のほうがヨッポドよく出来ている。少なくともここには健全なる「エロ目線」があるからだ。しかし展覧会本体は「エロ目線」を懸命に無視しようとしているとしか思えない歪なキュレーションだった。

2011-12-12 20:49:07
@drawinghell

(ぬぐ絵画)そもそも「エロ(猥褻)」として見られていたヌードが、「芸術」として受け止められるようになる過程を説明するのに、「エロ(猥褻)視線」を無視して説明できるハズがないのだ。しかし(特設サイトにはある)「エロ目線」が、なぜか展示では執拗に排除されたカマトトな内容になっていた。

2011-12-12 20:50:05
@drawinghell

(ぬぐ絵画)明治34年、黒田清輝の≪裸体夫人像≫は陳列の際、下半身を布で覆って展示された。本展ではそれに対して「当時は性器が見えることが問題だったらしい」という説明を付していたが、「当時は」ってナンダヨ? 猥褻の定義と規制が、性器の「見える/見えない」が中心なのは今もだろっ!

2011-12-12 20:51:36
@drawinghell

(ぬぐ絵画)「猥褻=性器が見える」という性器中心型の機械的な規制が、「性器さえ見えなければ何をやってもいい」という解釈のもと日本のポルノグラフィを(表現の多様性という点で)いい意味でも(道徳的、倫理的な側面で)悪い意味でも巨大に発展させてきたことは論をまたない。

2011-12-12 20:52:28
@drawinghell

(ぬぐ絵画)自分が知りたいのは、この「性器が見える=猥褻」とする「はだか」観と、黒田が西洋から輸入したヌードの像を陳列することが「猥褻」ではなく「芸術表現」として自然なことであるという「はだか」観の形成が、どこでどうリンクしているのか?ということなのだ。

2011-12-12 20:54:14
@drawinghell

(ぬぐ絵画)さすがに最近は隔世の感があるのかもしれないが、1990年代初頭の「ヘアヌード写真集」ブーム以前は、日本における猥褻写真の取り締まり基準は、陰毛が写っているか否かだった。つまり当時は「性器」とは「陰毛」のことだったのだ。

2011-12-12 20:55:19
@drawinghell

(ぬぐ絵画)ちなみに黒田の≪裸体夫人像≫には、性器も陰毛も描かれていない。にも関わらず、明治34年の時点では「性器が見えることを問題にして」全裸の裸婦像の下半身のみを布で覆って陳列されていたのである。これは「はだか」観の形成の過程を見るにあたって重要な事実だろう。

2011-12-12 20:56:04
@drawinghell

(ぬぐ絵画)船来の「芸術」としての「はだか」観が定着したポイントは、西洋画の女性ヌードには陰毛が描かれていないことだったと思われる。逆に言えばそれこそが「陰毛が見えていなければ芸術だから猥褻ではない」という過度の性器中心主義的な規制と猥褻観を生む基になったのではないか?

2011-12-12 20:57:05
@drawinghell

(ぬぐ絵画)たとえば今から30年ほど前、日本では「少女ヌード写真集」なるものが盛んに出版された。いわゆる「ロリータブーム」だ。現在では考えられないこのブームを可能にしたものが「性徴期の少女の裸には陰毛が生えていない=芸術である=猥褻ではない」という「はだか」観だったのである。

2011-12-12 20:57:41
@drawinghell

(ぬぐ絵画)つまり明治時代に導入された「(陰毛の見えない)ヌード=芸術」という「はだか」観が、「猥褻/芸術」の線引きを基にしたその後の日本人の「はだか」観へと繋がっていくのだ。その意味ではこれは「芸術」内に留まらない問題でもある。

2011-12-12 20:58:23
@drawinghell

(ぬぐ絵画)ところが本展ではそのような「エロ目線」的な見地を一切排除して、あたかも洋画家の画面内の工夫だけで、ヌードを「猥褻」として見る無知で「未開な」視線が矯正され、「芸術」として見る船来の「正統な」視線が定着したかのように描かれる。欺瞞もいいところだ。

2011-12-12 20:59:08
@drawinghell

(ぬぐ絵画)自分が怒っているのは、こんなマヤカシまがいなキュレーションのために、自分の好きな作家の作品が中途半端なかたちで使われていたからである。本来ならば喜ばしきものになるはずだった作品たちとの出会いが、土足で踏みにじられた思いがする。ホンッッット腹立たしい!

2011-12-12 21:00:00