シュタイナーの「神智学」「いか超」の基本的な立場について
@nanbashura そういえば、質問。ミンデルのPOPはアクティブイマジネーションにフォーカシング(?)やらボディワークやら取り入れてますが、あれによって多少は危険性を緩和してる部分はあるのでしょうか。
2010-05-19 21:24:42@iwri 彼はむしろ、危険を覚悟するようにと促してる感じがします。フォーカシングもボディーワークも社会的リスクを増加する要因にもなりますよね。そこが、ミンデルの面目躍如たるところですね。危険だから意識を明晰に保てと強調するという。
2010-05-19 21:40:07@nanbashura なるほど…そういう意味では、シュタイナーに通じるわけですね。彼のエッジの概念なんかは、本当の意味でアウェアネスの技法と言う感じがします。
2010-05-19 21:46:17@iwri う~ん。『神智学』とかは、『自由な哲学』や『いか超』というルールブックを使ったTRPGリプレイ感が強くて論理必然的展開というより、他の人がプレイしたら全部違うものになる物語蓋然的展開という感じがします。
2010-05-19 22:27:02あら、そうですか。なるほど。私なんかは、完全に別視点の「自由の哲学」と言う感じなのですけどね。 RT @nanbashura う~ん。『神智学』とかは(…)論理必然的展開というより、他の人がプレイしたら全部違うものになる物語蓋然的展開という感じがします。
2010-05-19 22:29:42@nanbashura ああ、なるほど。先程のお話はエーテル体とかアストラル体とかの表現形式のことなのかと思いましたが、地球進化論の話だったわけですね。
2010-05-19 22:40:20@nanbashura そういう意味でなら、私も先程のご発言にある程度まで同意します。ある程度の理由は、そこをはっきりと言うには大きすぎる話なので。
2010-05-19 22:42:47最近放送しても妙に辛辣な態度で話しているような気がする。僕はネットの馴れ合い自体には反対しないが、安易な「ネット上での連帯感を素朴に信じている人々」にはとても嫌悪感を感じる。2chでの「おまいら」という言葉に代表されるようなこのような言説は、その背後に排他性を持っていない。
2010-05-20 20:20:56人間関係は、その共感の深さによって類別される。最も深い関係とは、それ以外の世界から最も疎外されている関係であり、「わかりあえる人」との関係は、「わかりあえない人たち」の存在によって深化され、より定立される。最も深い共感とは、自分達以外の人とは「共感しあえない」というものなのだ。
2010-05-20 20:31:13@iwri いきなりごめんなさいです・以前シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」と「神智学」いう本をタイトルと装丁の格好良さから買ったことがあったのですが、結構おもしろかった記憶はあるのですがオカルトっぽさとどう付き合えばよいのかわかりませんでした、
2010-05-20 22:02:38@annkochan134 先程は共同体性に関する、興味深いツイートありがとうございました、実はシュタイナー的問題意識と先程のツイートはかなり関連があったりします。「いか超」と「神智学」については、私程度では荷が重いですが、できる範囲でお答えさせていただきます。
2010-05-20 22:08:12@annkochan134 霊的一元論≒唯情報論的な立場からは、物質的な知覚は霊≒情報を認識する一つの認識手段にすぎない、という立場から出発します。その上で、より抽象度の高い認識が霊的認識、ということになります。
2010-05-20 22:18:20@annkochan134 物質的な知覚の外に漏れた情報を、いかに認識可能なものにするかが課題になります。これは個的なものに適用すると(いわゆる)無意識の領域を認識すること、となります。「いか超」では基本的にはこの無意識領域をいかに認識可能なものにするかが語られます。
2010-05-20 22:21:45@annkochan134 私の解釈になりますが、無意識領域の中で自我を確立するためには、自我/非我を区別する「境界」が必要になります。シュタイナー的には、この境界は反感感情によって形成されます。そのため、「いか超」では反感を共感に変える畏敬の感情を育てることが強調されます。
2010-05-20 22:24:57@annkochan134 すいません、前後しますが、個人の無意識の領域は世界と繋がっているものとみなされます。シュタイナーは自我とは大海の中の一滴の雫のようなものだ、と言う比喩で表現します。逆に言えば、この境界を超えたところに、世界の認識が生まれえます。
2010-05-20 22:26:50@annkochan134 私のイメージでは、あらゆる情報=力=無意識の海の中で個々の人間は、壁に囲われている、と言った感じです。この壁は反感のカタマリです。ちなみに、反感とは魂的な意味で反発する力、共感とは融和する力である、シュタイナーは説明します。
2010-05-20 22:36:08@annkochan134 畏敬=ミメーシス=共感によって、壁を融和する=乗り越えると、「私」の外なる世界と「私」が違う結びつきを持ちます。そのための認識方法として霊視/霊聴/霊的合一が語られます。これらは、感覚知覚とは違うかたちで情報の複雑性を縮減するための装置です。
2010-05-20 22:39:57反感(反発する力)を共感(融和する力)に変化(変容)させる、と言った感じです。 RT @annkochan134 反感による共感が、壁をくずす力になる、という理解でよいでしょうか?
2010-05-20 22:50:20